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繋げる二人、繋がる二人

コーヒーメーカーの前に、百七十八センチの俺よりデカい男が二人。いつかのルナのようにかぶりつきでガン見している。 「これが和子(わこ)が言っていた機械ですね?」 顎に手を当てて、一見クールな白虎の薄青い瞳が興味でランランと輝いている。 「これを和子が操っていたんだろ? 深海(みうみ)が自分の淹れたこぉひぃを美味しいと言ってくれた、って自慢してたもんなぁ」 胸の前で両腕を組んだ朱雀は黒い瞳を細めて、ルナの話をしてくれた。 「今から機械が動くから、ココ、穴が空いてるでしよ? ココから蒸気が出るから絶対に触らないでください。火傷するから」 「はい。解りました。和子も言っていましたしね」 「絶対触らねぇ」 コーヒーができるまで話の続きを、と思っていたのにこの二人が動かない。 「見てぇんだよ」 「私も是非見たいですね。絶妙な配分で湯が落ちると和子が言っていましたし」 動かない二人にもう一度蒸気に触らないようにと言い聞かせて、先に食器を洗う事にした。 背後で朱雀の低い歓声が上がった。 「深海よ!」 「一滴落ちたっしょ?」 ルナと同じ反応で解りやすい。 「ルナも一滴出たらすごく興奮して……」 あの時は本当に慌てた。 蒸気の吹き出し口の事を注意してなかったから火傷したんじゃないかって。そしてあの日、俺とルナは伴侶になった。 大事な大事な思い出だ。 「先にまずは安心させとくな。和子はまぁ、元気だ。生きてる」 「良かった」 「和子が戻られて、再び花も咲きました……あぁすごい、本当に絶妙な配分ですね」 二人が唸って感心している間にコーヒーができあがって、再度同じ位置に座る。 「さて。今の和子の状況は私が話しましょうか。こぉひぃ、いただきますね、深海さん」 目を細めて香を楽しんでいた白虎の言葉に頷く。 ルナが元気なのは解った。じゃあ何故俺を呼ばないのだろう。 「尾白に抱えられて帰って来た和子にはすぐに(さと)で一番の妙薬とも言われている金桃が与えられました。弱っていた身体も抜けていた気も数日で元に戻りました。起きている時は貴方の名前を呼んでは胸を押さえて泣きながら笑っておられました。引き離されて痛むけど、深海が呼べば温かいと。貴方もそうでしたか?」 「痛くて……頭がどうにかなりそうだった。でもルナって呼べばすぐにぽわんとして……呼べない時はすごく胸が熱くなって、きっと深海深海深海深海って連呼してるんだろうなって……」 正解です、と白虎がくすりと笑った。朱雀も頷いて 「深海が呼んでくれない! 学校かなぁ? むーっ呼ぶもんっ深海深海深海深海深海深海……って、俺達が安静に! って止めるのも無視だよな」 「そうそう。桃を(かじ)っては深海。齧っては深海。銀の首飾りを握りしめてその繰り返しで。あまりに深海と繰り返すので、一体和子はどんな(まじな)いを唱えているのかと思った程です」 ぎゅっと握りしめたネックレスは俺の代わりになっただろうか? 俺は毎朝毎晩ルナのつけてくれた消えない痕を見つめて、それを指でなぞっている。俺の知らないルナの様子を聞かせてもらうのは予想以上に胸にキた。 「体調が落ち着かれて、貴方の声も毎日届いて胸の痛みも治まった頃、帝が和子の様子を見に来られたんです。そこで深海とは何だと聞かれて、あっさりと伴侶だと。ご自分の、まぁ、桜の件での浅はかさを詫びようとしておられた帝も和子の発言に大変驚かれまして、根掘り葉掘り貴方の事を問い正され……」 「大反対だ」 言い淀んだ白虎の言葉尻を朱雀が受け継いだ。 尾白も全員が許さないと言っていたので、まあそうだろうなと思う。 「和子は、こちらで一人過ごすうち勘違いをしたのだろうと。少しばかり清らかな気を持つ人間と接触して、優しくされて絆されただけだと。そのうち人間は心変わりして和子を呼ばなくなるだろうと。和子はそんな男を魂が伴侶と認めるワケがないと一蹴されてしまいまして、実際に貴方に会った尾白も帝と私達の前で、決して引き離してはならない御魂を引き離してしまったのかも知れないと、貴方が和子の伴侶と認める発言をしたんですよ」 「え……尾白、さんは俺の事すげぇ嫌ってたぞ?」 あの目は忘れられない。 汚いと蔑むあの目は敵意しかなかった。 「尾白はひたすら人間嫌いなんだよ。あいつは昔こっちで生きてた。だから人間の嫌な面を見て知ってる。まぁ、その話は今度、だ。で、そんな尾白が苦い顔して言うからよ、俄然俺達は“深海”って人間に興味がわいた。和子から深海の話を聞く度にこっちまで幸せな気持ちになりやがる。青龍は和子が幸せなら問題ないってあっけらかんとしてやがるし、玄武は何も言わねぇし、帝は断固反対だし……」 はぁ、と溜め息をついた朱雀の雰囲気が変わった。 「深海さんが和子を呼ぶのは、和子が呼ぶからだと。和子が貴方を呼ばなくなればすぐに忘れ去られてしまうだろう、という事で……あぁ、嫌ですね。言いたくないですが、これもここに来た理由の一つですしね。深海さん、この一ヶ月和子が貴方を呼ばないのは、呼ばないのではなく呼べないからです。貴方の名前を呼ぶなと言う帝の意を無視して毎日貴方を呼ぶ和子は今帝に声を封じられています」 「は?」 なんだそれ。ただ静かに想い合う事も許さないって事か? 目の前が赤くなった気がした。心の底から腹が立った。三年前のキス写真を見せられた時とは比べ物にもならない激しい怒りの感情が満ちてくる。 俺の中にこんな激しい感情があったなんて初めて知った。 「あいつ、泣いてるだろ……あんたらの帝って、クソだな! 痛っ!?」 胸が痛い。別れた時と同じような胸の奥の奥から引き裂かれるような痛みが走る。 「い、てぇ……なぁ、あんた達がいるからか? あいつの状況が解った、から? こんな痛いのって、あいつの痛みだろ?」 胸を押さえて呻く俺を心配したのか白虎がそっと肩に触れた途端、両目から涙が溢れた。 ぼたぼたと自分でも驚く程の涙が溢れてくるのを止められない。 「繋いであげます。貴方と和子の心を」 白虎にきゅっと抱きしめられて、朱雀の手が伸びてくる。大きな掌が両目を覆って、真っ暗な視界に光が見えた。 またその光はとても美しいのにひどく寂しそうに揺れていた。 『ルナ!』 光が輝きを増した。 『えっ? 深海!? ホントに︎深海!? なんで?』 『白虎と朱雀が繋いでくれた』 『そか……名前……ひっく……声が出せなくて、言霊……っく、飛ばせな、くて……でも深海の言霊は毎日嬉しくて……』 腕が、身体がないのがこんなに悔しいなんて思わなかった。 ルナが泣いているのに、抱きしめる事もできないなんて。 『二人から聞いた。泣かなくて良い。ちゃんと解ってる。何も変わってない、俺はお前を愛してる。だから泣くな』 『うん……愛、してるよ……うぅ深海深海大好き大好き! 深海っ会いたいよっ!』 『……すみません、和子、深海さん……そろそろ……限界です』 『深海深海っ! 白虎っ! ごめんっ! ぅわぁあぁああぁーっ』 突き飛ばされて床の上に転がった俺は慌てて白虎を見た。 三島さんに抱き上げられていた時のルナよりも更に真っ青な顔で朱雀にもたれかかっている。 「すみません、深海さん……突き飛ばしてしまって……」 「喋んな。悪いな、深海。これが限界だ」 「ベッドに横になって! すぐに水持って来るから!」 冷蔵庫からミネラルウォーターを引っ張り出す手が震えていた。 ルナが泣いてた。 子供みたいに泣いてた。俺も涙が止まらないから、今も泣いているのが解る。 それでも胸の奥の奥が少し温かいのは白虎と朱雀のおかげだ。 深呼吸をして、袖で両目をこすって二人の元へ戻った。 いや、戻ろうとした。部屋の入り口で二人の声が聞こえて思わず足を止めてしまった。 「食え。持って来て正解は正解だったな」 「こんな使い方をするとは予想外ですけどね」 「俺はお前があんな無茶して和子と深海を繋ぐとは思わなかったぜ」 「ふふ、そうですね、私もそう思います。でも……貴方も掌から感じたでしょう? あの二人の想いの強さ。ま、帝にバレたらお説教でしょうけど、それも良いでしょう」 「嬉しそうだな? ま、そん時ゃ一緒に説教くらってやるよ。良いから早く食え」 「いただきます」 帝に背いて、自分の力も削って白虎は俺とルナを繋げてくれた。 俺を安心させる為に。 俺の怒りを鎮める為に。 どれ程の負担を強いたのだろう。 謝らなきゃ。 「水、持って来た」 一声かけて部屋に入ると、白虎はベッドにもたれて、小さな桃を食べていた。 「すみません、深海さん。朱雀が力を添えてくれてもあんな短い時間しかお二人を繋げられなくて……」 「いえ。すごく感謝しています。まさか声が聞けるなんて思ってなかったし……ツラい思いをさせてしまって本当にすみません……本当にありがとうございました!」 「大丈夫ですよ、コレいただいてますから。郷の桃なんです。すぐに良くなります」 ミネラルウォーターのペットボトルを差し出して、頭を下げたままの俺の頭を大きな手がぽすんと掴んだ。 「礼を言うのはこっちの方だ。俺達はな、帝から見極めて来いと言われて来た。もしお前が思っていたような人間だったら……口八丁で身勝手で傲慢な人間だったら……和子の事はその場の成り行きで済ます人間だったら、お前の記憶か存在そのものを消すつもりでいた。力を使う事を予測して桃も持って来たけどよ。それをさせないでくれてありがとう。美味い飯をありがとう。こぉひぃをありがとう」 「そうですよ? 貴方をどうにかした後で食べても、きっとこんなに美味しくなかったでしょうしね。深海さん、ありがとうございます。和子の伴侶が貴方で良かったと心から思いますよ。さ、顔を上げてください。私はもう大丈夫ですから」 朱雀の言葉がとても嬉しい。白虎の声がとても優しい。 それでも俺は頭を上げる事はできなかった。一旦は止まったはずの涙がまた溢れて、情けなくて顔なんか上げられやしない。 「おーい深海、コレどうやって飲むんだよ!?」 ポコン、とペットボトルで頭を叩かれた。 「キャップ……外すんだよ……」 「きゃっぷって何だよ!?」 「白いフタ、あんだろ……? 捻って……」 「わっかんねぇなぁ〜! おい白虎解るか? 俺はお前に水を飲ませてやりてぇのに深海が力を貸してくれねぇから飲ませてやれねぇわ」 「おや、ま。それは残念です。桃だけじゃ足りません。私、喉がカラカラです。確か近くに川がありましたねぇ……飲めますかね? アレ」 朱雀は喋る度に俺の頭をポコンポコン叩くし、白虎は明らかに笑いをこらえてるし、あんな汚い排水溝の水なんか飲んだらまた真っ青になるに違いない。 「もー! 解ったよ! 開けてやるから貸せよ!」 ポコン、と降ってきたペットボトルを引ったくってキャップを開けて白虎に渡す。朱雀に渡して叩かれるのはごめんだ。 ポコンポコン優し過ぎて余計泣ける。 「あっ!」 にっこり笑ってペットボトルを受け取った白虎が目を丸くして固まった。 まさかミネラルウォーター飲めないのか? 原産地どこだっけ? ルナがいつ来ても良いように国産で揃えてたはずだけど、安売りで間違えた? 内心ドキドキの俺から朱雀に視線を移した白虎はひどく真剣な声で 「桃齧りながらだったらもう少し長く二人を繋げられたんじゃ……どう思います?」 なんて言い出して。 おまけに 「試してみます?」 って真っ直ぐに俺の目を見て聞いてくる。 クールでちょっぴり怖いが第一印象だった白虎は、本当はすごくマジメで優しくて…… 「大丈夫! 桃ならまだあります! もぎたて新鮮で美味しいです!」 少し天然……かも。 俺が心配してるのは桃がまだあるかないかじゃなくて、二人の身体と立場なのに。 「じゃあよ、ちょいと休憩して次は俺が繋げてやらぁ。桃齧りながら、な。実験してみようぜ!」 白虎の思い付きを真に受けて真剣に答える朱雀も、本当、お人好し。 「試さなくて良いよ! ルナが泣く」 「もう泣いてたろうが? お前と繋がったら和子は喜ぶだろ?」 「んな事あるか! 俺達の為に負担かけて、それで自分責めるって解るだろ? だから良い。二人のおかげで話せたし。俺達は大丈夫!」 白虎! って叫んだルナの声、聞いたろ? と言えば二人は目を伏せた。 「けどよ……納得いかねぇだろ……」 「納得いきませんよ。和子も深海さんも泣いているのに……」 俺を消す事も考えてここに来た二人が悔しそうにしてくれるだけで、もう充分だと思った。 「俺の記憶とかさ存在消せるって事は、さ。ルナのも……消せるって事だよな?」 「どうだかな……でも、まぁ、アレだ」 頭をバリバリ掻きながら朱雀が深い溜め息をついた。 「見極めに来て、見極めた。深海を消すなんてできねぇなぁ。俺、しっかり和子側だからよ」 「玄武はどうなんでしょうね? 私達のうち三人が和子側、あとは尾白と紅蘭(こうらん)……」 「ちょっと待って!」 再び俺を置いて話を進めようとする二人を止めた。 和子側って事は和子側じゃない存在もあるって事で、和子はルナなんだから俺も知らなきゃいけないだろ? それとも郷の事には首を突っ込むなって事か? それは心底納得できない。 「深海さん、貴方、和子の為に消える覚悟はありますか?」 「……え……消さないって、今言ったじゃん……」 きゅう、と細くなった白虎の瞳孔がインパラを喰らう獣のそれに見えた。

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