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最後の嘘
亮平のアパートまでは歩いて片道二十分くらいの距離で、重い段ボール箱を持って歩く事にした。
もう歩かない道に、もう見ないだろう風景。
そして。
ルナと出会ったあのゴミ箱と自動販売機が並んでいる角。
ここで出会って、ルナと名付けて抱き上げた瞬間から……きっとこうして段ボール箱を抱えてこの道を歩く事は決まっていたんだろうと思う。
「っしょ」
今、亮平は彼女の茉奈ちゃんと一緒にいる。お邪魔して悪いとは思うけど、時間もないし、最後にお似合いの二人を見ておくのも悪くないと思う。
「深海 さん!」
「こんばんは、茉奈ちゃん。お邪魔さま」
「お久しぶり! ホントだ! 雰囲気変わった!」
「そんなに?」
茉奈ちゃんはいつ会っても元気いっぱいで、面倒見の良い亮平とは本当にお似合いだと思う。
ショートカットの毛先を揺らして部屋の奥の亮平を大声で呼ぶ。
「超変わったよぉ! で? で? どんな人? 深海さんの氷の美貌とハートを溶かした人でしょ? すっっごい興味ある!」
「茉奈ちゃん、それは大袈裟……」
「茉奈! 騒ぎ過ぎ。深海、困ってんだろ?質問攻めにすんなって」
「とかなんとか言っちゃって! 亮平だって知りたいくせに!」
ぶぅ、と膨れた茉奈ちゃんの頭をコツンと叩いて、亮平が俺の腕から段ボール箱を受け取ってくれた。
ふっと軽くなった瞬間に、俺の心も軽くなった気がした。
「うわ、重っ! 何入ってんの? って、うわーコレ手に入んなかったヤツだ! 今度貸してくれよ?」
「良いよ。いつでも」
「ま、上がれよ」
「うん! うん! 上がって! 彼女の話、絶対聞かなきゃ! 深海さんコーヒー飲む? あ、夕飯食べた?」
コーヒーをお願いして、茉奈ちゃんのおかげで片付いている亮平の部屋の小さなコタツに入らせてもらう。
郷 にコタツはあるのだろうか? と考えてつい頬が緩む。
「思い出し笑いしちゃう程幸せですって?」
頬杖をついてニヤニヤと俺を見る亮平に俺は正直に頷いた。
「そういう事」
「写メないの?」
身を乗り出した茉奈ちゃんには苦笑いを返す。
「ないよ」
本当にない。
撮ろうと思ったけど、スマホのカメラを向けるとルナは恥ずかしいし何やら恐ろしい! と嫌がってすぐに俺に抱き付いてきて、俺はルナが嫌がる事なんてできなくて。
写真を残すより、抱きしめてキスをしている方が俺達にとっては大切だった。
「えーっざんねーん! でもさ、優子とか智美なんかさ深海さんの超ファンだからね? 彼女できたとか関係なく今年もバレンタイン、来るよー?」
一波乱 を確実に期待していそうな笑顔の茉奈ちゃんに笑顔を返す。
「受け取らないよ?」
「えーっそうなの? つまんない」
「つまんない、はないだろ?」
一波乱を望んでいない亮平にたしなめられて、茉奈ちゃんはひょこっと肩をすくめた。
そして始まる質問攻めに答えていく。
名前はルナ。髪は少し長いかなぁ。目が大きくてキラキラしてる。甘えん坊で寂しがり屋で、優しくて。でもすごく心が強い。俺なんかよりよっぽど強いよ。
「ぅわぁ……らぶらぶだぁ!」
恋バナ大好きの茉奈ちゃんは興奮して、で? で? を繰り返す。
「うーん、で? って言われても、もうないよ!」
「じゃあさ、今度四人でデートしようよ! 良いでしょ? 亮平」
「俺は良いけど……」
「俺も良いよ」
あり得ない事だと解ってはいても四人でデートっていうのを想像してみた。
映画を見に行ったらルナはどうするんだろう。臨場感溢れる大音響にびっくりして叫んじゃうかも知れないな。
遊園地は、乗り物には興味を示して、係員に根掘り葉掘り仕組みを聞いて納得するまで動きそうにないな。お化け屋敷に入ったら……うーん、お化けの身の上相談に乗った挙句、成仏させようとするかも知れない。相手は機械か人間なんだけどさ。
「うん、良いね、楽しそう」
「てかお前が楽しそうだけどな?」
「想像だけでそこまで甘い顔ができるって、ホント深海さんベタ惚れだね……情報回しとこ……」
茉奈ちゃんはニマニマしながらスマホを弄り出して、亮平は安心したような顔で俺を見た。
「幸せオーラ撒き散らしやがって。ま、その濃いまんまのキスマークが薄くなったら相談なりなんなり乗ってやるよ」
キスマークという単語に反応した茉奈ちゃんが、はうぅあ! と言葉にならない奇声とも溜め息ともつかない音を洩らして悶えている。亮平は茉奈ちゃんに三ヶ月以上消えてない、と要らん説明をして茉奈ちゃんはスマホを弄る手を早めた。
……どんな情報を広めているんだ……
「あんまからかうなよ。俺、二人には感謝してんだよ? 二人だけじゃなく、三年前のあの時、お前ら俺以上に怒ってくれたろ? すごく嬉しかった」
三年前、亮平は冷静に別れを勧めてくれて、血の気の多い和彦と沢井がせめて男だけでも張り倒しに行こうと言うのを俺と一緒に止めてくれて、茉奈ちゃんは
「深海さんはそのままで良いよ!」
と笑ってくれた。
それがどれ程嬉しかったか。そんな奴らをどこか疑う自分がどれ程嫌だったか。
今は、心から感謝している。だから
「亮平達も幸せになれよ?」
二人を真っ直ぐ見つめて心からの願いを伝えた。
「なるよー! なるなる! 亮平次第だけど、なる!」
「俺次第って!」
多分亮平は茉奈ちゃんに振り回されるフリをして茉奈ちゃんを上手くリードしていくだろう。茉奈ちゃんもかかあ天下を味わいつつ亮平に守られていくだろう。
朱雀と白虎とは違うけど、この二人も良い夫婦になると思う。
「そうだ、休みの間にさ、和彦がみんなで旅行行こうって言ってた。就活とか色々と面倒になる前に行っとこうって。深海どこが良い?」
「……う、ん。近場でさ、温泉とかでも良いかもな。ゆっくりできるし」
「ねぇ、それって私も行って良いの?」
「ダメだろ、男旅。お前は留守番な」
えーっ! ってケラケラ笑って、茉奈ちゃんは
「深海さん、亮平が人妻とふりーんな雰囲気になったらすぐ連絡してね! んで、殴って良いから止めてね!」
と心にもない心配事を口にする。
「人妻狙うなら年上好きの和彦だろ! ばーか」
「ばかって言うな、ばーかばーか! 深海さんより頭悪いくせに! ばーか! 人妻だって亮平より深海さんの方を選びますぅ!」
「んだと!?」
「あの、俺を巻き込まないで……」
むむむ、とふざけて睨み合う二人につい“犬も食わぬナントヤラ”に割って入ってしまって、一番バカなのは俺じゃないか? って思ったところで茉奈ちゃんが盛大に吹き出す。
一つ歳下の茉奈ちゃんはいつも場を和ませる天才だと思う。
「ま、深海さんがいるんなら安心か! 和彦さんは危ないけど! お土産よろしく!」
差し出された茉奈ちゃんの手を亮平が叩いて、俺はその光景が嬉しくて笑う。
旅行の話や教授の話、茉奈ちゃんの学校の話なんかをしてずっと笑っていた。
胸に満ちていくのは、満足感。
「じゃ、そろそろ帰る。いきなりごめんな?」
「もう? お前コーヒー飲んでねぇじゃん!?」
「あー、ごめん! 話に夢中で飲めなかった! 口付けてないからさ、良かったら亮平飲んでよ」
「コーヒーじゃなくて他のが良かった? ご飯? え、ホントに深海さん帰るの?」
「うん。早く帰って模様替え終わらせないと寝るトコないし、待たせてるから」
朱雀と白虎を。だけど。
早く帰って身体から残りの穢れを抜かないといけないし、なんか、そろそろ息苦しくなってきた気がする。
ほんのちょっとはもう郷の住人になっているって事かも知れない。
「じゃあ手伝いに行く!」
「あー、気持ちだけ。ルナ人見知りだからダメ」
「ま、ぶっちゃけお邪魔だよな? ちゃんと今度紹介しろよ?」
「デートプラン考えるし!」
胸の前で小さく拳を握る茉奈ちゃんと親友に手を振る。
元気で。どうか幸せに。
たまにケンカして、仲直りして、いっぱい笑ってくれ。
「風邪引くなよー!」
「お前もな! ルナちゃんによろしく!」
「りょーかい! じゃあな」
心が軽い。足取りも軽い。
ちょっとだけ遠回りしてコンビニに寄る。本当は郵便局に行ってきちんと書留で送らなきゃいけないんだけど、もう時間もないし。特例で許してもらいたい。
コンビニでレターセットとペンを買って、じいちゃんとばあちゃんに手紙を書いた。
俺が消えても唯一覚えている二人に、明日郷に行く事と、今までのお礼。そしてコーヒーを買い占めても余った金を同封する。俺にはもう必要ない物だから、何かに役立てて欲しい。
重さが解らないから多めに切手を買おうとしたら、定額で手渡しのサービスがあると教えてもらえて、迷わずそっちにした。少々高くても、ちゃんと届く方が良い。でもデカデカと『現金は送らないで』って書いてあるんだよな……うぅ、心が痛い。詐欺じゃないです! と胸の内で唱えて、封筒を入れた。
現金を送る時は、金融機関を使うか、郵便局から現金書留で送りましょう!
部屋に帰ると朱雀と白虎が駆け寄って来た。
「遅くなってごめん」
「お帰りなさい!」
「無事か? 気分悪くねぇか?」
大丈夫、と答えて白虎が渡してくれた石を返す。透明だったはずのそれはほんの少し濁って見えた。
「この程度で済んで良かったです。深海さんのお友達はやっぱり良い人ですね」
と笑って、白虎は受け取った石をシンクに持って行って竹筒から水を数滴垂らした。
「喉乾いた……」
「何も出されなかったのか?」
「コーヒー、出してもらったけどさ……せっかく抜いてんのに入れちゃダメかなと思って飲んでない」
偉い! と頭を揺する朱雀の手をペシペシ叩いて手を外してもらって、シンク近くに座り込んだ。
どうせ吐くんだから、ココで良い。さすがにトイレで食べるっていうのはイヤだけどさ。
「水、飲んで良い? あ、ビワ食いたい」
「友達はどうだったよ?」
「うん、元気だった。資料も欲しかったみたいでちょうど良かったよ」
「あ、深海さん、ゆっくり食べて……」
そして吐く。ゴボッとヌメった塊が口から出るのは何回やっても気分の良いモノじゃない。吐いたとしても体力を消耗する感覚はないし、吐瀉物独特の饐 えた臭いもないけど、やっぱり吐く瞬間は苦しいし、涙目になってしまう。
それでも食べて吐く。
今俺ができる事はこれしかないから、水が胃から染み込んでも平気な、果物を受け入れる身体ができるまで絶対にやめない。
「深海、ちょっと休め」
「大丈夫だけど……うん、ちょっとお腹いっぱいかも。休憩!」
「そうです! まだ時間はありますから」
二人が心配してくれるから無理も押し通せないし、な。ちょっと休憩。
亮平と茉奈ちゃんの話をして、じいちゃんとばあちゃんに金を送った話をして、それを二人は黙って聞いてくれた。
「あ! 深海さん! 玄武を朱雀に見せてください」
そう白虎にねだられて、白虎が見た動画を見せると朱雀が唸った。
「この人もなかなか話さないんですって!」
「性格まで似てるのか!? まさか弟……いや、アイツに郷違いの弟がいるとは聞いた事もないし……そう簡単に郷違いが現れるはずはない……」
「あの、コレ、簡単に言っちゃうと“絵”だから! もう一人のめちゃくちゃ強い人も“絵”だから!」
CGの説明、難しかった……。
大袈裟かも知れないけど、吐くよりツラかった。頭がぐらんぐらんした。
最終的に、立体的に描いた絵だと説明して、動きは買い取り拒否された本の隅にパラパラ漫画……地面から芽が出て花が咲くまで……をヘタなりに描いて、コレの応用だと言い張った。
正しく理解してもらえたかは解らない。
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