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「ごめん!出て行ってもらっていいかな」
瀬野麻里 は、キレイにネイルの施された手を合わせ、申し訳なさそうに言った。驚きはしたが、いつかこの日が来ると分かっていたので、青年は、反論する事なく笑って頷いた。
「分かった。長く世話になってごめんな」
彼の返答に、ホッとした様子で麻里は顔を上げた。ふわりとした長い髪が良く似合う、すらりと背の高い美しい女性だ。
「ううん、こっちこそ急にごめんね」
「良いんだ、今荷物まとめるな」
「え、別にすぐじゃなくても。もう、夜だし」
「こういうのは早い方が良いって。男が居るって、バレたら大変だろ?」
「え?」
その返答に、麻里はきょとんとした。
「恋人出来たからでしょ?どんな人?」
「…いい人よ」
「良かったな、俺もホッとした」
「何よそれ」
照れくさそうに笑う麻里に微笑みながら、彼は、さて、とソファーから立ち上がった。広々としたマンションの一室、白で統一されたリビングからは東京の夜景が一望出来る。リビングの他、寝室や書斎、廊下にも麻里のコレクションである絵画が飾られており、この絵を眺めるのも今日で最後かと思うと少し寂しかった。
そうして彼が纏めた荷物は、大きなリュックと段ボール箱一つだけ。麻里と暮らして半年が経つが、彼の荷物はこれだけだ。荷物を纏め終えると、彼は麻里に頭を下げた。
「長い間お世話になりました」
「やめてよ、こっちこそ助けて貰ったんだから…ねぇ、本当に行くの?今晩くらい泊まっていってよ」
「恋人が出来たら出て行くって、最初に決めただろ。それに、俺のせいで関係が拗れたら嫌だし」
ね、と説得するように微笑まれれば、これ以上は引き止めても無駄だと判断したのだろう、麻里は諦めて眉を下げた。
それから、手にしていた封筒を、彼の持つ段ボール箱の中に忍ばせた。
「少しだけど使って」
「え、悪いよ」
「いいの、気持ちだから」
それから麻里は彼の頬を撫で、少し寂しそうに表情を緩めた。
「…行くあてはあるの?」
「その辺は、俺プロだから」
「…まぁ、私に人の事とやかく言えないわね」
二人は笑い合い、「元気で、またね」と言葉を交わし、彼は麻里の部屋を出た。
「ここにもお別れかー」
高層マンションの三十一階。きっともう、自分には無縁の住処だ。
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