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「側に居たいよ、すぐに絢也(じゅんや)君の家に帰りたい、俺だって……君が好きだ。でも、ダメだ、このままじゃ君に甘えるだけになる。それじゃ、逃げ回って暮らしてた時と変わらない」 それから(あおい)は顔を上げ、決意を新たにした様子で、きゅっと唇を引き結んだ。 「ま、待っててくれないか?ちゃんとけじめをつけたい。ちゃんと君に見合う男になって戻ってくるから、…その、待っていてもらう事は、可能、かな?」 葵の男らしい宣言が、徐々に尻すぼみになっていく。 絢也としては、見合うも何も、自分が葵を追いかけてきた身だ。いくら有名人になって、かっこいいと言ってもらえる事が増えたって、絢也の中の基準は、葵に見合う男でいられるかどうかが重要だった。だから、葵が誰に見合うかなんて、絢也に言わせればまったく必要のない事で、葵の過去を知ったところで、絢也の中の葵は昔と変わらず、憧れの人のままだった。 だから、本音を言えば、今すぐにでも葵を連れ去りたかった。 いくら葵にとってそれが必要な事だとしても、絢也はずっと焦がれてきた葵と、ようやく思いを重ねる事が出来たのだ、このまま抱きしめてしまいたいし、話したいことも沢山あるし、一緒の家に帰りたい。 だけど、不安に揺れる葵の瞳を見ていたら、自分勝手に思いを貫くことは出来なかった。 葵はこの気持ちに応えてくれた、その上で、今は一緒にいられないというなら、やはり葵の気持ちを大事にしなければならない。それに、これは黙って家を出て行くのとは違う、別れでもない、前向きな始まりだ。 そう思えば、葵の気持ちも受け入れられそうだった。それが葵にとって大事なことならば、快く送り出すべきだと。 絢也は、名残惜しさは払拭出来なかったものの、何度も自分に言い聞かせて、その手を下ろした。 「分かりました。今まであなたを探してきた日々を思えば、待つことなんてどうってありません。ただし、」 ほっとして気を緩めた葵のその腰を、絢也は少し思い直して引き寄せた。 「俺、本気で待ちますから。よその男に目移りしたら承知しませんからね」 これは本気だと分かって貰えるように、間違っても他の男になんかに靡いてしまわないように。そう念を十分に込めながら、絢也は間近に迫る葵の瞳を見つめた。 葵はといえば、いきなり抱き寄せられ、間近で囁かれ、その顔を一気に赤く染め上げ狼狽えている。 「き、君、本当にあの時の一年生か?変わりすぎだろ…」 「全てはあなたに会うためですから、許して下さい」 その囁きに、葵がきょとんとして目を瞬けば、絢也はふっと微笑むので、葵もつられるように頬を緩めた。それから、まだ躊躇いつつも、葵は絢也の背中に腕を回した。 触れる手の温かさに、愛しさが増していくのはお互い様だ。 「そう言われると、逆に問いただしたくなるな」 「俺の気持ち信じられませんか?」 「そうじゃないけどさ」 「では、確かめてみましょうか」 含みのある言い方に、え、と葵は顔を上げた。再びのきょとんとしたその様が可愛くて、絢也がそっとその頬を手で包めば、葵は絢也の行動に察しがついたのか、真っ赤になって慌てて俯いた。「葵さん」と名前を呼べば、再びおずおずと顔を上げる。葵が見上げた絢也の瞳は優しく、愛しさに溢れていて、葵は照れくさくて、でも今この瞬間を手放したくなくて、頬を包む手に触れて呟いた。 「た、確かめてみようかな…」 目を逸らして、赤い顔で。絢也は、きっと葵は照れてその誘いを突き返すだろうと思っていたが、しっかりと葵は応えてくれた。その事に、葵と同じ気持ちでいると実感して、ただただそれが嬉しくて頬が自然と緩んでしまう。 「はは」 「わ、笑うなよ!」 「いえ、嬉しくてどうにかなりそうです」 葵が可愛くて、この気持ちを受け止めてくれたのが嬉しくて、こんな風に話して触れ合える事が幸せで。 あんなに人が怖かった自分が嘘みたいで。それも全て葵のお陰で。 そしてこの先には、葵との未来がある。今すぐでなくとも、未来がある。そう、それは幸せな事なんだと思えば、また泣けてきそうで、でも嬉しさに頬の緩みも止まらない。 そんな絢也を見上げ、葵は面白く無さそうに唇を尖らせると、背中に回した腕を絢也の首に回して軽く引き寄せた。 「ん、」 絢也は驚いて目を瞬いた。柔らかな唇が自分のそれに触れ、ゆっくり離れていく。絢也が惚けていれば、してやったりとばかりに葵が笑うので、今度は絢也が顔を熱くする番だった。 「はは!真っ赤になってるぞ、」 しかし、葵が笑ってられたのも束の間。すぐに腰を抱き寄せられ、葵が躊躇う間も無く再び唇が触れ合った。先程の触れるだけのものとは違い、思いをぶつけられるような口付けに、葵は驚いて肩を強ばらせたが、頭を支える指が、まるで縋るように髪を抱くので、葵は口付けに応えながらその肩から力を抜いて、絢也の思いを受け止めるように、そっと頬を撫で、髪を撫でた。 「葵さん、」 途切れる息に視線が絡み、胸が更に熱くなる。高鳴る鼓動に急かされ、葵が何か言葉を発しようとしたが、それより早く呼吸を奪われ思いを唇の先に乗せた。 熱い舌先、角度を変えて何度も愛されれば力が抜けそうになって。葵がよろけてしまったので、絢也はその体を支え、ゆっくりとすぐそばの水槽に葵の背中を凭れさせた。 「ん…」 はぁ、と息を切らす瞳が涙で滲み、絢也は葵を囲うように水槽に手をついた。光に照らされた水槽の水が、葵の頬を照らしている。たゆたう水の煌めきが、まるで葵を連れて行ってしまいそうで不安になった。 またどこかへ行ってしまわないかと、満たされた分だけ臆病になる自分が顔を覗かせる。そんな絢也の気持ちに気づいているのか、葵は頬に触れる絢也の手に触れ、その手にすり寄った。その表情は幸せそうに微笑んで見えて、絢也の胸を震わせ満たすには、十分すぎるものだった。 「…それ、ずるいですよ」 「え…?」 きょとんとして見上げた瞳に引き寄せられるように、絢也は再び唇を合わせた。 今度は優しく、囁くように。擽ったくて笑ってしまう、それでも離れ難くて、ついばんで、深く愛を語り合うように触れ合わせて。 ゆっくりと、そっと。彼が好きだとその思いが体中を駆け巡って、涙に変わり溢れていく。 そっと唇を離すと、絢也は葵の頬に伝う涙を拭った。 「葵さん、好きです。俺、待ってます」 「うん」 葵は絢也の胸に顔を埋め、絢也はその体を優しく抱きしめた。 葵と再会したあの日、絢也はまさか偶然にも葵と会えるとは思わず、呆然と葵に見惚れていた。 どうしよう、葵さんだ。それしか考えられなくて、店舗の前で立ち尽くす横顔をただ見つめて、葵しか目に入らなくて。 声を掛けよう、何て声を掛ければいい、葵さんは変わらない、自分があの後輩だと気づかないだろうな、なんて考えている内に葵の側まで来ていて、ぶつかってしまった。 やっぱり格好つかないなと、再会したあの日を思い出し、絢也は苦笑する。 でも、何でもいい、葵は今ここに居る。二人を繋ぐものが、ここにある。 ふわりと浮かぶクラゲがたゆたう、その先へ。 二人は共に過ごせる未来へ向かうべく、その手を離した。

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