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浮世を巡りて

注意事項 ・スイ視点 ・女性との絡みあり アラームを鳴り響かせるスマートフォンを手探りで取る。画面の眩しさに目を眇めながらアラームを切った。 時間は午前5時。 ちょっと寝不足気味だけどベッドから身体を起こした。すると、袖をツンと引っ張られる。 「・・・もう行く?」 「ごめんね、起こしちゃった?」 まだ寝ぼけ眼のレンの頭を撫でた。レンの表情が和らぐ。それからいってらっしゃいと言うように手をひらひらと振って、布団の中に引っ込めた。また寝息が聞こえ始める。 あっさりしてるなあ。しばらく帰って来ないって分かってるのに。詮索してこないのがレンのいい所でもあるんだけどね。 レンの黒くてさらさらした髪に指を通せば、その隙間から愛し合った痕が現れる。無防備な寝顔を見ていると、もっと付けたくなってくる。 我慢してキスを一つだけ落として、アパートを出た。 今日は午前中と午後に人に会う予定が入っている。 まずは国貿駅付近の、外国のチェーン店のコーヒーショップにスーツを着て向かった。曇り空で少し肌寒いけど店の中はそうでもない。 コーヒーを飲みながら待っていると 「你好(こんにちは)趙静先生(ヂャオ・ジンさん)」 晴れやかな笑顔を振りまきながら二十代前半の男性が来た。髪は染めず短く刈って、派手な柄のTシャツを着ている。 大学で経済を学ぶ傍ら、趣味と小遣い稼ぎを兼ねて小説を書いて電子書籍を出しているんだって。こっちは家族構成から卒業してからの就職先まで把握済みだけど。 彼は今日、本を出版するための打ち合わせに来ている。僕はその出版社の編集者"趙静"に扮していた。 タブレットで色鮮やかな本の装丁を見せれば、彼の目は輝いた。自分の書いた本が世に出る期待に満ちている。 「如何?」 どうですか、と聞けばニコニコしながら絶賛して、それから思った通りもう少しこうして欲しいっていう要望が出た。 デザイナーに追加報酬を払わなければいけないと話せば顔を顰めた。出版社から出せば手数料が引かれて利益が減ってしまうこと、自分で出せばその心配がない事を話した。もちろん全部嘘だけど。まだ首を縦に振らないから、難しければ家族の手を借りたらどうかと話せば、自分で出すと焦ったように言った。家族には内緒で書いているって知っているからね。 学費は家族に出してもらっているはずだから、アルバイトを頑張れば払える金額だ。パンクしない程度の金額にしておかないと、これからも払ってもらえないでしょ。 打ち合わせが終わると、しばらく拠点にするビジネスホテルにチェックインした。 スーツのジャケットを脱いでネクタイを緩める。 ベッドに寝転がってスマートフォンに電源を繋いだ。 待ち合わせの時間まで動画サイトをチェックする。 最近は英会話の解説の動画を配信し始めた。教育市場の需要は高くて、オンライン授業や教育系の動画が流行っている。講師はアメリカ人やカナダ人が人気らしいから白人男性の画像を使って動画を作ってサイトに流してみた。まだ収入は少ないけど、決まった金額が入ってくるのがいいよね。 動画のコメントや再生回数を見ているとあっという間に次の約束の時間が迫ってきた。  半袖シャツにプリントTシャツ、細身のジーンズとラフな服に着替えて、きっちりセットした髪を少しルーズな感じにほぐす。カバンもワンショルダーバッグに変えて、夜の街に出た。 今にも雨が落ちてきそうな湿った空気の中、駅で待ち合わせをしていたのは十代後半の女の子だ。家族の転勤について来てきた高校生で、まだこっちには友達も知り合いもいない。SNSで知り合って、同じ日本人だとわかったら会うのはすぐだった。 僕の肩書は大学に通う留学生で、"トオル"と名乗っている。 彼女は年上の僕に合わせてか、少し背伸びして韓流アイドルのようなメイクや肩出しのトップスを着ている。子犬のように僕にまとわりついてきては度々かまってとばかりに視線を向けたりスキンシップをとってくる。 こういう子といるとちょっとしんどいんだよね。レンの素っ気なさが恋しくなってくる。 ファミレスで夕食を食べながら、日本人学校では真面目な子が多くて勉強にも価値観にもついていけないとか、言葉が分からないから遊びに行ってもつまらないとか、幼稚な戯言にニコニコしながら耳を傾ける。次のターゲットになりそうな生徒や先生の名前や素性なんかも会話の中で聞き出しておいた。 会計は割り勘。彼女は甘やかされてお金を持っているし、大人ぶることが好きみたいだ。 それからショッピングモールを歩いて、高価な腕時計の店の前で足を止める。 「またここ?」 って彼女は笑う。 「買えばいいじゃん」 「高いから」 また何事もなかったかのように腕を組んで歩き出した。彼女は少しだけ何か考える素振りを見せていた。多分、半月後ということにしてある誕生日にあげようかな、でもやっぱり高いかななんて考えていると思う。アルバイトなんてしてないし。でも、ちょうど半月後には新しいモデルが出て少し値下がりするんだよね。これ幸いとばかりに飛びつくだろう。 ところが、今日は想定外な事が起こった。 ショッピングモールを歩いたらアミューズメント施設に行くはずが、クラブに行こうと誘われて来たのはとあるホテル。クラブはその中に併設されていて、SNSの仲間がオフでちょくちょく遊びに行っているらしい。 はっきり言って、入りたくない。 確かマフィアが出入りしているとか。あまり関わりたくないのだけれど、彼女が独りで行ってそこから素性に綻びがでるのもまずい。 諦めてホテルのエレベーターに乗り込んだ。 クラブ「天堂」は、一言で言えば混沌としていた。客の年齢も人種も様々で、パッと目を引くのはフロアで踊ったりバーカウンターでお酒を飲んだりして健全に楽しんでいる人たちだ。彼女も僕の手を引いてフロアに飛び込む。 でも目を凝らせば、露出の高い服の女性の肩を抱いて退出する人に何度もすれ違ったり、フロアの隅の方で険しい顔をして話し合う黒服がいたりして不穏な気配も漂っている。 彼女は喉が渇いたってバーカウンターに来てカクテルを頼もうとするものだから焦った。やたら強いお酒ばかりで、そんなのを飲ませたら連れて帰るのに苦労するに決まっている。サンザシとマンゴーのジュースを選んで、一口だけ交換しながら飲んだ。 彼女は途中でトイレに立って、1人になると少し溜息が漏れる。 「晚上好,大哥(こんばんは、お兄さん)」 声をかけられて、隣に座ったのは黒いチャイナドレスの女の人だった。大振りの花飾りについたベールが顔を一閃する傷痕を隠している。でも、スタイルがいいしとても綺麗な人だ。 やっぱり来るんじゃなかった。この人、マフィアの関係者だ。顔に傷痕がある美女と言えば、镰木里(リェン・ムウリー)か。 「日本人?Malaysia(マレーシア)?上海?」 镰木里はニコニコしながら顔を傾ける。 さりげなく三カ国語喋ってない?日本語も喋れるんだ。 「日本人です」 「大学生くらいカナ、日本だとまだ夏休みだよネ」 「いえ、留学です」 「へー、なに勉強してるノ?」 「経済と、社会心理学と」 「ンフフッ」 镰木里は吹き出して、口を手で覆ったまま顔を伏せて笑う。 「君、嘘つきネ」 こちらを向いた顔はニコニコしてるままだけど、雰囲気が変わった。ピリッと空気に緊張が走る。 「最近コソコソ悪いコトしてるデショ。大した悪さはしてないから放っておいたんだケド・・・何しに来たのカナ?」 妖艶に微笑みながらじっと顔を覗き込んでくる。僕がやっていることは全部筒抜けみたいだから、たまには正直に言った方がいいかな。 「ただの付き添いですよ。本当は乗り気じゃなかったんですけど。"お仕事"の邪魔をする気はありませんよ」 フーン、って獲物を狙う猫みたいに目が見開かれる。関わる気はないって言ってるのに。 目立たないようにしているし、マフィアの領域には入らないようにしている。 「あれ?トオル君?」 彼女が戻ってきた。この人誰?って言いたげに僕を見る。この時ばかりは助かったと思った。 镰木里は「"彼女"サン、キレイな人ネ」と僕に笑顔を向ける。多分、目の前の子の事じゃない。レンのこともバレてる。男か女かははっきりしてないみたいだけど、少なくとも相方がいるっていうのはわかっているはずだ。 「ここで悪さしちゃダメヨ?」 全然笑っていない目をして、グロスで艶めく口元だけ弧を描く。彼女も見惚れるほど優雅な仕草で立ち上がり、镰木里は去っていった。 自分たちの(ナワバリ)を荒らすなってことだね。そのつもりもないし、触りたくもないけど。でもしばらく派手に動くのはやめておこう。 まず、この娘を帰さないとね。 「そろそろ帰ろっか」 「えー、もう?」 「2人っきりになりたいな。ダメ?」 耳元で囁けば顔を真っ赤にしていた。 それから震える手で僕の服の裾を掴む。 「個室、あるみたいだけど・・・」 ああ、なるほどね。ラブホテルとか売春宿みたいな側面もあるわけか。 「ダメだよ。明日も学校でしょ」 「でも」 「"俺"も朝一で講義あるんだけど」 少し不機嫌な風を装えば、彼女は焦って簡単に頷いた。そうだよね、僕に嫌われたくなくて必死だもんね。知ってるよ。 ホテルを出たら僕から手を繋いで信頼の回復を図る。彼女は安心したように顔を綻ばせた。  駅まで送っていくと、別れ際にはにかんだ顔をして体を寄せてくる。触られるのあんまり得意じゃないからやめて欲しい。レンは別だけど。 昨日したばかりなのに、またレンとセックスしたいな、なんて思いながら彼女に求められるまま唇を近づけた。  帰りには少し雨に降られてしまって、ビジネスホテルに戻って来たら真っ先にシャワーを浴びた。髪をセットするのに使ったワックスも女の子特有の甘い匂いも洗い流して、ようやく真っ新な自分に戻れた気がする。 誰でもない自分のままで居られるのは、こういう1人の時間とレンの隣にいる時だけだ。一息つくと、レンに無性に会いたくなってくる。 スマートフォンを手に取って電話でもしようかと思ったけどやめた。誰がどこで何を聴いているかわからないし。同じ理由でメッセージアプリもあまり使わないし、履歴はすぐ消している。 スケジュールだけ見て、明日の予定を確認して削除する。また明日も別の名前の誰かにならなきゃいけない。 ベッドに入って寝転がると、無意識のうちに1人分空けているのに気づいた。苦笑しながら真ん中に移動するけどなんだか落ち着かなくて、時折ちらと隣に目をやってしまう。 おやすみ、と頭の中だけで呟いて、今朝見た寝顔を思い描きながら目を閉じた。 end

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