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●「すみません」ではすみません。

 蛍光灯がピンピンッとお馴染みの音を立て、部屋が明るくなると、まるで魔法が解けたように現実に引き戻された。 「窓開けて」  兄の掠れ声に、知玄(とものり)はベッドとローテーブルの間の狭いところを通り抜けて、南の窓を開けた。  砂埃を含んだ風が吹き込み、室内に籠っていた兄の匂いが散ってしまう。桜の芳香に似た、良い匂いだった。色にたとえれば、ちょうど今、夕日が沈んだ方とは逆方向、東の空に広がるネイビーの下を縁取る、淡いピンクだった。 「はぁ」  思わず出てしまった溜息に、 「溜息出るのはこっちの方だろ」  兄がピシャリと言った。知玄は開けた窓に背を向けた。兄は黒いジャージのズボンに脚を通し、そして黒地に白で髑髏や十字架などの描かれた、尖ったデザインの長袖を着たところだった。  広い襟ぐりから赤い傷が覗く。ついさっきまでは結構な量の血が流れていたが、もう傷口は塞がったのか、ただ赤く腫れているだけに見える。  知玄はフローリングに両膝をついて深々と頭を下げた。 「すみませんでした」  兄からのリアクションが無いので、顔だけチラッと上げてみた。兄はローテーブルに手をのばし、マルメンとジッポを取り上げた。案外関節の部分がしっかりとしているせいで、かえって華奢な印象の際立つ、兄の細い指たち。左手の親指がジッポの蓋を弾いた。人差し指と中指に煙草を挟んだ右手が口元を覆い、離れる。兄は薄い唇から紫煙を細く長く吐いて、まだ点けたばかりの一本目を灰皿の縁に押し付けた。 「で、どうしてくれんの?」  知玄が答えあぐねていると、兄は二本目に火を点けて言った。 「俺、もうお前にしか抱かれらんないじゃん」  まさかのお褒めの言葉!? とぬか喜びをしたのも束の間で、兄は切れ長の目をじとっと細めて言った。 「お前さぁ、女子に対してもあんな風にやるの? 今までよく通報されずに来れたな」  きっつー! それならまだ直球で「この下手くそ!」と罵られた方がマシだ。

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