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◯牡蠣食えば……。
「あはは、違いますって。ただの思いつきで。どこまでやれるか実験的な。そもそも俺、彼女いねぇですし。でも、飯食い行くだけなら」
はぁ……。半月以上引きこもってたら、夜のテンションにアゲていくのが辛ぇ。だが、あまり人付き合いを疎かにするのもなんなんで、今夜は高志 さんの誘いに乗ることにする。夕飯抜いたせいで、丁度小腹が空いてきたことだし。
もう夜の九時。知玄 の野郎はまだ帰って来ねえ。今日はバイトは休みだったはずが、オーナーに電話で急遽呼び出された。もはや学生バイトの勤務形態じゃねえ。そろそろ親父にチクりを入れた方がいいかもしれん。
上着を羽織り、ポケットに財布と携帯、そして煙草の代わりにミルク飴を詰め込む。この間、俺が咳してたら知玄がこれと同じ飴をくれたんだが、のど飴でもねぇのに結構効く。
大寒の前日。昼間は晴れていたが、それだけに、夜は風が強くて寒かった。スナック『ゆりあ』は物凄く暇で、ママは十時を待たずに店じまいした。そして高志さんとママと俺の三人で、高志さんの知り合いがやっている創作居酒屋に、邪魔することになった。
「今夜のおすすめは?」
高志さんが店の大将に聞いた。
「新鮮な生牡蠣が入ってるよ」
「おー、いいね。アキ、生牡蠣食ったことあるか」
「いや、ないっすね」
「アキにも食ったことのねぇもんがあるんか」
高志さんは嬉しそうだ。うちもバブル時代は羽振りがよくて、てっちりとかウニとかなんか色々珍しいもんを食わしてもらったけど、親父が貝類を好かないせいで、牡蠣は一度も食卓に上ったことがない。俺も自分から食いたいと思わねぇし。
「お待たせしました」
各人の目の前にひとつずつ、大ぶりの生牡蠣が差し出された 。高志さんとママはすごいデカイと喜んでいるが、俺はグロいなと思った。
「これ、どうやって食えばいいの」
「ツルッといけツルッと!」
いやどう見ても固体じゃん。液体を飲むように飲めるかよ。でも高志さんが本当にツルッといったので、俺もかぼすを搾ってツルッといってみた。お、結構いける。
だが中った……。
深夜、死ぬほど吐きそう、でも吐かない! と、便所と土間を行ったり来たりしていたら、知玄が帰って来た。
「あれお兄さん、こんな所で何してるんですか」
お前こそ、今何時だと思ってんだよ。
「牡蠣……中った……」
「えぇ。我慢しないで全部吐いちゃった方がスッキリしますよ」
嫌だ、人生で一度も吐いたことない記録に傷をつけたくないっ。
「吐けないんなら僕がお手伝いします。この間、泥酔してた時みたいに」
どういうこと!? 食中りよりもショック。うちひしがれる俺を知玄は便所に引き摺って行き、やめろというのに背中をゴシゴシ擦った。
くそう、知玄の野郎め。確かに楽にはなったけれども……。むしゃくしゃしたのでバイトの件を親父にチクると、親父は即オーナーに電話して、元の週三勤務に戻させた。
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