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―8月5日火曜日―

今日も変わらず厳しい暑さ。 直弥は雑然としている机に少し伏せた。窓の外に視線を移し、小さく息を吐く。 夕暮れせまり、営業帰社後の社内業務も大体終えた。 けれど直ぐに退社する気にもならず、だらだらと時間を無駄に過ごした。 陽も落ちた頃、エレベーターで誰にもかち合わない様に注意を払い、抜き足で会社を出た。 暗さに乗じて、駅まで突っ切ろうと早足で歩く直弥の腕は、予告通りがっしり掴まれた。 振り返ると、風景に馴染んだ浅黒い顔に、白い歯が浮いて光っている。 何故かホッとした顔を浮かべた大介の表情に視線が捕らわれて、直弥は腕を振り解けなかった。 「今晩は」 「あ、あぁ。今晩は」 「今日は残業だったんだな」 別に残業でも何でもなく”明日も来る”と言葉を残し帰っていった大介に、からかわれている様な気がして、帰りをぐずっていた。 考えている内、口だけかも知れない、遅くなって帰ったかも知れないとも思ったけれど……大介は待っていた。 「今日も来てると思わなかった。こんな遅くまで待ってなくても、そんなに夏休みってすることないのかい?」 「すること?色々あるし、やってるけど」 直弥はまた昨日と同じくつかつかと大介を先導し、筋一つ違いの通りへと移動する。 「それだったらこんな所でオレなんか待たなくても。また改めて後日にでもお礼はさせて貰うよ」 「いいじゃないっスか。これもオレの日々することの一環になったから」 真っ直ぐ見つめて、からかうでもなく至って真面目な顔で返事をする大介に直弥は戸惑う。 幼さの中覗く凛々しい顔に、直弥はまた視線が捕らわれて。 (日々すること?”サラリーマンの生態観察だ”とか笑いながら言っていたアレの事だろうか) 冗談ともつかない返事の言葉は、世代の違いで自分は理解が出来ないのか。 直弥は眉間に皺を寄せ、少し首を振った。 「部活だとかバイトだとか忙しいんじゃないのか?やってないのかい?」 「え?ちゃんとしてるしてる。シーズンオフだけど。ナオヤさん、クロカンって見た事ある?」 「クロカンって……スキーの?」 「知ってるんだ! そうそう! オレ、あれやってんだ。ここら辺雪なんて降らないしヤル奴あんま居ないから同好会で冬だけなんだけど。それにテレビで見て面白そうじゃんて始めたから趣味って感じで」 直弥が知識の端だけで記憶があると伝えるや、薄暗い中、大介の目が輝いている。 自分の好きな事を喋る時に嬉々とする子供の様に、大介は話し出した。 「……だから今は、自主トレ&資金稼ぎ。両方かねて昼は肉体労働バイトしてんだ」 「へ~え」 そんな事どうでも良い話なのに、直弥は知らぬ間に楽しそうな大介を見上げて聞いてやる。 「友達以外にこんな話したのはじめてだ。タナベさん流石知ってくれてたし。女子とか聞いてくるから言ってやっても”クロカンて何?”って口開けてぽかーんだもんな」 「ダイスケ君の話は面白かったよ。でも俺だって別に見た事あるっていう程度で知ってたっていうだけだ。 知らなかったその子達より、長く生きてるおっさんだから。それだけ記憶の履歴が多いだけだ」 「アンタは、おっさんじゃないよ」 「ぇ……」 切れ長の目でマジマジと姿を見下ろされ、直弥はまた戸惑う。 大介の視線の先に何が見えているのか判らない。 「オレの話はおしまい」 沈黙の後、空気を切る様に大介は伸びをし、測道の段差を軽く蹴った。 「帰る。また明日」 大介は背を向け、後ろ手に手を振り去っていった。 「あぁ、また明日」 暫くして直弥は無意識に普通に挨拶を返している自分に気付いた。 つられて振ってしまっていた手を、半笑いで見つめた。

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