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2月3日火曜日
「ナオヤさん……」
膝枕の上で大介は額を擦り溜め息を吐いた。
「どうした?」
自分より大きな身体の少年の、重みもろとも座椅子に預けながら、直弥は呼びかけに応える。
「あ~ぁ」
声の主は、家に来てからいつもの無邪気な明るさもなく、曖昧な言葉を繰り返すだけで。
直弥もつられて溜め息を吐き、大介の髪を梳いていた手を止めた。
「今日は様子が変だぞ。一体、何?」
業を煮やした直弥の強い語尾に身を固くし、大介が重い口を開いた。
「あのさ、再来週、」
「再来週? テストだっけ?」
「ちげーよ」
社会人になって久しい直弥だけれど、大介と付き合いだしてから、時代が記憶と共に逆行するかのように学校行事に詳しくなった。
だがすぐさま否定され、大介の言葉を基にカレンダーを目で手繰る。
そして捉えられた横のライン。
「土曜日さ、」
「あ、あぁ」
メジャーな日付に、直弥も大介の言わんとする14日の意味を理解した。
「合宿行かなきゃなんねー……」
大介は深い唸り声を上げ、直弥の太腿に顔を埋めた。
直弥は下半身に大介の熱い体温を感じながらも、一言を聞いた後、頭から指先が瞬時に冷えてゆく。
「あ、そうなんだ」
けれど、いい年してしかも男のくせに、無意識に囚われていた自分が恥ずかしくて。抑揚の無い言葉を返した。
「『そうなんだ』って、何の日か判ってんの?」
「あぁ、バレンタインなんだね」
「知ってんじゃん。だのに『そうなんだ』だけ?」
「約束……覚えて、ねーの?」
また一つ大きな溜め息を吐きながら、寝返りを打った大介の横顔は拗ねている。
あどけないのに凛々しく真面目な大介の顔を見下ろし、直弥の胸は鼓動を早める。
覚えている。はっきりと。だけど
「何が?」
大介のお気に入りだと密かに自分で気付いている、殊更優しい声を出しながら、気付かないふりをした。
「そうなんだ……ナオヤさんは仕事とか忙しいもんな。俺は馬鹿だけど、こんな事は絶対忘れねーから、ずっと覚えてたけど」
直弥の声に強く言い返せず、しょんぼりとする膝の上を大介を見て、良心が痛んだ。
”合宿に行く” と聞いて寂しさに血の気が引いた指を、大介に不意に絡め取られる。
「直弥さん。指、冷てーな。手冷たい人は心温かいって言うのに。約束、忘れてんだもんな。冷てーよ……」
切れ長の瞳をさらに細めて見上げられ、直弥の心は跳ね上がった。
「俺は、ずーーっとアンタの事ばっか考えてて、毎日好きで好きでしょーがねーのに」
直弥の冷えた指に、大介は口付ける。
「ごめん、大介。思い出したよ」
大介の一言が内心嬉しくて、そしていたたまれなくて、忘れる事などしていなかった約束を、思い出した振りをした。
「マジで思い出してくれた? なぁ、どうにかならね? 行くのやめよかな」
「でも合宿だろ? 行かなきゃ。大介が皆を勧誘して漸く作った同好会なんだろ? いつも大事にしてるし、仲間想いだし。そんな大介の事、俺は偉いと思ってるよ」
直弥から思わぬほめ言葉を聞き、たおやかな笑顔を貰い、大介の機嫌は一気に直った。
けれどやはり理屈ではない落胆に複雑な表情を浮かべ、広い背中を寂しそうに丸めた。
「大人だな」
(ちがう。そんなんじゃ……)
大介から零れ落ちた独り言を聞いて、直弥は焦れた思いを胸に押し込めるのが精一杯だった。
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