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無難な恋じゃ物足りないっ!

   今日は人生で一番最悪の日になった。  先ほどまで、俺は愛する妻と結婚式場の高砂にいたはずだ。  プロフィールムービが流れた途端、会場にいたおよそ500名以上──もちろんこの俺も──がはっと息を呑み、途端に空気が重々しく濃度を増していった。  映し出されていたのは、妻とは別の人間とキスをしている画像。今隣にいるこの男と濃厚なキスをしているシーンだった。  どよめきが起こり、戸惑う妻に言い訳をする間もないうちに高砂に上がって俺の目の前に姿を現したのは、映像として晒されている相手の男、(しん)だった。  心は満面の笑みを浮かべて俺の手を引き、観音開きの扉から連れ去った。  お前、頭おかしいんじゃないか。  あの画像はどうやって。俺らの関係はとっくに終わってるじゃないか。  口をついて出る言葉は心を罵るものばかりで、そうする事で気狂いそうになる自分を何とか押し留めた。  心はずっとニヤニヤしたまま「ちょっと落ち着きなよ、ねぇ運転手さん」とまるで俺がおかしいみたいにタクシードライバーに話しかけている。ふと心の荷物に視線を向けると、控室に置いていたはずの俺の鞄も紛れていた。  降りてからマンションの一室に押し込められた俺は慌てて部屋をぐるっと見渡す。  ここはどこだ。  こんな部屋、知らない。  だだっ広いリビングにあるのは熱帯魚が泳ぐ水槽とテレビ、セミダブルベッドくらいで、全く生活感がない殺風景な部屋だった。  心は徐に、俺の鞄からスマートフォンを取り出し、躊躇なく水槽の中に沈めた。  カッとなった俺は、心の胸ぐらを掴む。 「何やってんだよ」 「必要ないよ。だって俺と一緒に、ずっとここで暮らすんだ」  魚たちは今落ちてきた機器を避けるように遊泳をしているが、俺のものとは別のスマートフォンがすでに石底に埋れていることに気が付いた。  これはきっと、心のだ。  心は俺に掴まれて苦しそうに息継ぎをするも、内側からこみ上げてくる笑いを抑えられずに吹き出した。 「さっき、俺らがセックスしてる動画も奥さんと会社にも送っておいたから。もう戻れる場所はないよ。でも大丈夫。俺は絶対に裏切らないから。何もかも、一からやり直そう? だって俺たち運命なんだから」  怖い。心が怖い。  たった二、三度、体を重ねただけなのに。  度の過ぎた執着や束縛に辟易した俺はこいつから逃げて三年。すっかりその存在さえも忘れていたのに。  心は睫毛を伏せ、うっとりとした表情になる。 「俺、夢だった。結婚式の最中に好きな人を拐って逃避行するの。それが叶う日が来たなんて、俺本当に死んでもいいかも」  手首に鈍痛が走る。  見れば手錠が掛けられていて、片方は心の手首に繋がれていた。  心は俺の左薬指から光る物を抜き取り、それも水槽の水の中に捨て入れた。  水槽の上部フィルターから落ちる水の音がやけに耳障りで、俺の血が床に滴り落ちていく錯覚に陥った。  力が抜けてくずおれる。  心も同じように膝を折り、項垂れる俺の顔を持ち上げて白い歯を見せつけた。 「えんちゃん、だーい好きっ!」    。.゚ END。.゚

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