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第一章〈1〉邂逅

   ふうっと意識が浮上する。 「……忘れるわけない」  彼――ルーク・ベッカーは、ぼそりと呟いた。  目に映っているのは暗闇とは程遠い、茶色の木材で作られた温かみのある天井だ。  はあと息をつき、ほんのり湿っている赤毛の髪をかきあげた。前髪が額に張りついており、心なしか全身が汗ばんでいる気がする。  先程まで見ていた夢の余波(なごり)と首元に残る感触、それに加え窓の外からは雨音が聞こえる。身体はそのまま視線だけを窓に向けた。水滴が滴るガラスの奥に、分厚い鉛色の雲に覆われた空が見えた。  あの日も、こんな天気だったな。  そっと首に触れる。  忘れるわけない。いつだってあの日のことを……あいつを忘れたことなんてない。  おもむろに枕元に置いてあったペンダントを手に取り、金で装飾された縁をつまんで掲げる。五センチほどの紅色に染ったガラスドームの中に、薔薇の花が一輪入っていた。薔薇はガラスよりもほんの少しだけ濃い紅色だ。よく目を凝らさないと気づかないだろう。  彼にとってこのペンダントはお守りであるのと同時に……戒めだ。いつも肌身離さず持ち歩いていた。  忘れたくても忘れられねえよ。  そんな思いとともに握りしめると、階下から自分を呼ぶ声が聞こえた。 「ルーク! いつまで寝てんだい、早く起きてらっしゃい!」  ハッと思考が現実に引き戻される。  ガバッと勢いをつけて上半身を起こし、「今行く!」と返事をして、軋むベッドから降りた。ペンダントを首にかけ、そっとシャツの下に潜り込ませる。  まだ、夢の感覚から抜け出せていない身体を現実に戻すため伸びをして、頬をピシャリと両手で挟み、短く息を吐いて部屋を見渡した。寝る時に窓を締め切ってしまったせいか、なんとなく室内の空気が淀んでいる気がする。  ベッド脇の木枠で囲まれた窓を開け放すと、湿った土の独特な匂いが鼻孔に入り込んできた。  雨は、あの日のことを嫌でも思い出すから好きじゃない。  ふるふると頭を振って気持ちを切り替え、踵を返し、壁の出っ張りにかけてあるエプロンをひったくる。その流れでベッドサイドに置いてある髪留めを手に取り、木製の扉を開けた。  軋む階段を足早に降りつつ、身支度を整える。  襟足を小鳥の尻尾のようにくくって階段脇のキッチンへ向かうと、腕を組んで仁王立ちをしている人物が……キッとルークを睨みつけ、開け口一番「遅い!」と叱責した。 「ごめん、母さん!」  顔の前で両手を合わせて許しを請うが、返事が返ってこない。チラと様子を窺うと、数秒前までの憤怒の表情とはうって変わって、呆れを含んだ笑みを浮かべていた。 「まったくもう……いつもは私達より早いのに、なんで今日に限って寝坊するのかねえ」  ため息混じりにそう言い、ルークのシャツの襟を整える。ルークが乾いた笑い声を漏らすと、彼の肩を軽く叩きカウンターの中へ戻っていった。  全くだ。なんであんな夢を見たんだろうか……しばらく見てなかったのにな。  疑問に思いつつシャツの袖を捲くっていると、店の入り口辺りから「珍しいな」という声が聞こえた。 「父さん!」  彼はおはようとルークに声をかけ、手に持っていた今日使うのであろう果物や野菜が入っている籠をカウンターに置いた。 「お前が寝坊するなんて、何年ぶりだ?」  自分の記憶が確かなら、最後に寝過ごしたのはあの日……そう、六歳の時以来だ。 「えーと……十二年ぶり?」  クククと彼――ハンクが笑った。 「よりによって、こんな大事な日に寝坊するなんてついてねぇな」  思わずムッとした顔を向ける。ハンクは早く始めるぞ、と言いたげに頭に布を巻きつけながら顎をしゃくった。  自分も取り掛かるか、とルークは今一度エプロンを結び直した。

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