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第1話:鏡合わせの出会い

 初めに断っておくと、僕は文豪でもなんでもない。齢一八の僕に、人生を語るなんて大それたことはできない。  死にゆく僕が見る走馬灯は──秀才たる僕にしては──ひどく平凡で、滑稽で。ほとんどあいつの情報(思い出)で上書きされていた。  あいつのおかげ(せい)だ。こんなはずじゃあなかった。もっと生きて、輝かしい人生を送るつもりだった。  けれど、今の僕に、後悔もプライドも存在していない。  もしかしなくとも。  僕のすべては──あいつに喰われてしまった。  ■  育ちも家柄も顔立ちも。頂いたものには文句のつけようがなかった。  幼いころからの努力を積み重ねた結果、同年代の「友達」なんてものはいなかったものの、使用人たちにはひどく好かれていた。 「セイシュ様、おはようございます」 「銀の髪が輝いて、今日もお美しいですね!」 「今日も勉学に励まれて、素晴らしいわ!」 「当然だよ」  そんな彼ら彼女らの度の過ぎた賞賛の声を僕は疑わなかったし、当然のことのように思っていた。むしろもっと褒めたたえてもいいくらいだとまで考えていた。  一二歳。僕はその年ごろにしては学識を得ていたが、それと同時に──その年ごろ特有の──真心のない背伸びをしたがる子供だった。  人より早く大人になったのだから、何してもいい。一人でなんでもこなせるのは格好がいい。知的探求心を追い求めることは、きっと悪いことではない。  きっと、誰も僕を叱らない。そう思っていた。  ■  あの運命の日。僕は、客間の鏡を割ってしまった。  故意的にではない。けれど、何らかの制裁が来ると思っていたのに。壊しても、誰も僕を咎めなかった。 「お怪我はございませんか?」  メイド長はてきぱきと破片を片付けていく。ちらつく銀の輝きが、痛々しく僕のほうへと輝く。 「──っ」  心の臓に、何かが刺さったような感覚がした。これが、罪悪感というものか。また一つ賢くなったというのに、僕の気分はすぐれなかった。 「セイシュ様、こんな話を知っていらっしゃいますか」  メイド長が静かに語りだしたのは、とある鏡にまつわる伝承だった。  合わせ鏡には、悪魔が住むという。  なんてことのない、くだらない迷信話だ。 「そんなホラ話を聞かせてどうする気だ。僕が怖がるとでも思ったか?」  ■■■家の嫡男という立場上、無神論者だからだ──とは声を大にして言いづらいが。二一世紀のこの世の中で悪魔だ悪霊だのと誰が信じるだろうか。 「そういうところだと思いますよ」 「何がだよ」  メイド長はじとりと──それでいて悪意はない眼差しで、僕に向けてため息混じりに語った。  変な形をした赤いフレームの眼鏡が光る。 「可愛げがない、ということでしょうか」  叱られはしなかった。けれど──嫌味を言われた。  な──。 「なんだって!? おい貴様、お父様に言えば解雇されても仕方の無い発言だぞ!?」  メイド長は慌てる素振りも詫びれる様子もなく、二、三度瞬きした後に、「──申し訳御座いません」と頭を下げて、ガラスの破片を持って去っていった。 ■  僕はひたすらに部屋中を歩き回っていた。  誕生日は明日だ。別段楽しみではないが、学者で研究者たるお父様が帰って来る日。  さすがにメイド達を統括する人間を辞めさせるのはデメリットが多いと思ったので、僕は昼間の件を父には報告しないが──なんて無礼なやつなんだろうと憤慨していた。  夜は更けているというのに、ミミズクの鳴き声も聞こえない。部屋中に敷かれたふかふかの赤い絨毯は足音をかき消し、まるで僕の存在をもかき消しているかのようにしんと静かだ。  気に入らない。  僕はランプを片手に部屋を飛び出し、廊下に出た。  大理石の廊下はかつかつと僕の存在を知らせてくれる。心地がいい。  こんなに悪いことをしても平気だ。僕は叱られない。  今度嫌味を言われれば、今度こそお父様に告げ口してやる。  僕は正しい。僕は自由だ。  僕は──。 『孤独だな』  不意に低い声がした。そのわりに大人とも子供とも判別できないような声。  僕に失礼なことを言うやつは、こっちにいるのか。  ランプの向きを変えて、客間へと向かった。  もちろんのことだが、合わせ鏡ではなくなっていた。その代わり、片割れの鏡にヒビが入っていた、 「今の失礼な発言は君か?」 『そうだ』  声の主は、鏡の中から笑いを殺しながら答えた。覗いてみれば、僕しかそこにはいない。いや、その姿は確かに僕のものであったけれど、鏡の中にいるのは僕ではなかった。  マフラーをしているあたりはどうでもよかったが、なんか人相が悪い。 「僕はそんなに吊り上がった目をしていないぞ。今ならその無礼な態度を許してやるから。さっさと出てこい」 『ケケッ、怖がらないのか。それは好都合』  鏡の中の『僕』はにたりと笑った。  非現実的なことにはぞくりとするが、こう、前に見た異国の技術のプロジェクションマッピング的なあれかもしれない。あの嫌味メイドが仕組んだ罠か? 僕には通用しないけどね! 『ちょっと駄弁ろうぜ少年』 「口調が砕けてるぞ」 『これが素なんだよ』  そう言うと少し照れ臭そうに笑った。少し人間じみているような気が──ええい、人間が演じてるんだから当たり前だろう。 『オレは、この鏡の中の悪魔だ』  うん、予想通りの設定だ。予想通りすぎてもう少しひねりが欲しいところだ。 『お前が鏡を壊すから、元の世界に帰れなくなっちまった。なァ、お前……鏡をもう一枚持ってないか?』  これも予想通りのシナリオすぎて、何かドッキリ的な映像記憶装置(カメラ)か何かを疑ってしまう。  が──もう大人なんだし、付き合ってやるか。 「お母様の形見の手鏡ならここの引き出しにあったはずだけど、それでいいか?」 『あァ。素直な良い子は好きだぜ』 「とってきてやるからさっさと終わらせてくれよ」  僕は背伸びをして引き出しから手鏡を取り出す。  ボーンボーンと一二時の時報の音が聞こえる。  ハッピーバースデートゥーミー。 『なんだ、お前誕生日なのか?』 「ああ。今日は誕生日──」  待て。  仕掛けたのがメイド長だとして誕生日であることは知っているだろうが。今の口ぶりだと心を読んでないか? 『なんだ、オレがお前の心を読めるのがそんなにおかしいか?』  そんな馬鹿な。 『馬鹿はお前だバ―――――カ!!』  気が付けば体が動かない。それどころか鏡の前へっとロボットのようにカクカクすすみ、手鏡を向けようとする。 「やめ……っ!!」  鏡と鏡が重なり合い、光り輝く。外から雨音と風音、そして雷鳴が喧しく聞こえる。  鏡の中から『そいつ』は飛び出し、僕の首をきゅうと締め付けた。  抵抗しようとするが、そいつは──僕の首を絞めつけながら──あろうことか唇を重ねてきたのだ。  自分だけど。自分同士ではなくて。でも男同士で。こいつ男か? いや、そもそも悪魔とキス──悪魔なんているわけがなくて。  異常なファーストキスに、思考がふわふわしてくる。何が何だかわからなくなってきた。 「ぼっちゃん!!」  いつもは落ち着いているのに、なんて声をあげるんだ、メイド長。 「離れなさい! 曲者!!」  客間の椅子を振り回し、そいつを僕から引きはがそうとしてくれるが、そいつは──悪魔は手を挙げなにやらまがまがしいものを放った。 「きゃあっ!!」  吹き飛ばされ、何かに激突したような音がする。  その音さえどうでもよくなる感覚に囚われそうになる──が。 「ミリン!!」  僕は悪魔をなんとか除けて、壁でぐったりしているメイド長の名前を叫びながら彼女のもとまで駆け寄った。 「ぼっちゃん……やっと、私の名前……呼んで……」 「馬鹿! 名前くらいいくらでも呼んでやるから、医者を……それよりエクソシストか? ああっもう! 思考が定まらない!! とにかく逃げよう!!」  ミリンに肩を貸そうとするが、ミリンのほうが少し体格が大きいので無理がある。 『あと胸もでけえしな?』 「そ、そんなこと思ってない!!」 「ぼっちゃん……?」  ミリンの不安そうな顔がのぞき込んでくるのを見て、僕はさっさと逃げようと歩みを始めた。 『逃げられるわけないよな!!』  悪魔は黄昏色の魔弾を放ち、僕らごと吹き飛ばそうとしてきた。  固く目を閉じ、終わりを覚悟しようとするが、できない。輝かしい未来が約束されているのに、こんなところで死にたくない!! 『      』  聞きなれない言語が聞こえてきたかと思うと、体温が急に下がった感覚がした。  頭が、ひどく痛い。  けれど──なんだか、悪くない気分だった。  頭が痛いのに悪くないだなんて、おかしいけれど。  目を開いて悪魔を見る。真の姿なのか。黒く長い髪に紫と黄色に反転された目の少年がそこに立っていた。 「お前、の仕業──か?」 『ああ、お前は死ぬことはない。けれど──お前は今日からオレの餌だ。せいぜいオレを楽しませてくれよ!!』  ケケケケケ! という悪魔の笑い声だけが、妙にこだましていた。 ■  辺りは再び静かになった。日もいつのまにか上り始めて、部屋に明かりを差している。  鏡は粉々に割れているし。その現状が幻でないとでもいうかのように、客間はひどい有様となっていた。 「なんだったんだ……」  まあ、でも。悪魔は去った。もしかしたら僕は悪魔祓い師(エクソシスト)としての才能があるのかもしれない。  ふと、ミリンが茫然とした目でこちらを見ていることに気づいた。目を大きく見開き、まるで恐怖しているかのような……。 「どうした、ミリン」 「ああ……申し訳ありません……ぼっちゃん……いえ、セイシュ様。私は、あなたを守れなかった」 「一体、何が──」  割れたガラスを踏んで、足をどけると──そこには。  黒い髪に黄色と紫の反転目をした──悪魔おっくりの姿があった。  慌てふためいて泣きわめく悪魔の姿を、鏡は確かに映し出していた。

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