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第1話
トイレに入った途端、足が止まる。
だってそこにはそんな場所にもかかわらず、床に這いつくばっている男がいたから。
「……星海 さん。
なに、やってるんですか?」
「ストップ!」
怪訝に思いつつ近づこうとしたら、彼が手で僕を止める。
瞬間、びくりと身体を震わせてその場に立ち尽くした。
「コンタクト、落としたんだ。
それで、探してる」
「あー……」
それは、ご愁傷様、としか言いようがない。
そしてこの男でもそんなことがあるのだと意外だった。
星海といえば同期入社の中でもずば抜けてイケメンで、さらに入社試験も好成績、新入社員代表で挨拶をするほどの男だ。
新人研修でも常に褒められっぱなしのこの男が、綺麗に掃除はしてあるとはいえトイレの床に貼り付いている姿なんて誰が想像するだろう?
「予備とか持ってないんですか」
そう言いつつ、彼と同じように膝をつき、床を見る。
彼がどのくらいの視力かは知らないが、眼鏡の僕からしてもこれがどれだけ非常事態なのかはわかる。
「このあいだ使ったあと、入れるのを忘れていた」
「眼鏡は?」
「持ち歩いていない」
いくら目を凝らしたところで、クリーム色のリノリウムの上にコンタクトは見つからない。
「だいたい、なんで落としたり」
「ゴミが入って外したところで人がぶつかって、弾みで落ちた。
洗面台を探したけどないし、もしかしたら床かと思ったんだが」
探している間も入ってきた人間は僕たちを見て驚き、気持ち悪がって出ていった。
「もういい、ありがとう。
俺の不注意だ、仕方ない」
しばらくして立ち上がった彼は、僕へ手を出しかけて引っ込めた。
さすがに、トイレの床についていた手はマズいと思ったらしい。
「でも、困るんじゃないですか」
ふたり並んで手を洗う。
「まあ、なんとかするさ」
なんとかって、なんとかなるんだろうか。
僕は眼鏡がないとなにも見えないから、きっと同じ状況だったらピンチだけど。
「悪かったな、朝日 まで。
……おっと」
トイレから出ようとして、彼が壁にぶつかった。
「ヤバい、片方しかコンタクト入れてないと、距離感が全くわかんないわ」
おかしそうに彼はくすくす笑っているが、そんなの目にも身体にもよくない。
もしかして、片目コンタクトであと今日を乗り切ろうと? まだ、半日以上あるのに。
実はバカのか、こいつは?
「笑ってる場合か。
眼鏡、買いに行け」
「おい、待てって」
呆れて先を歩く僕を彼が追ってくる。
研修室に戻って彼は素直に僕の忠告に従い、上司へ眼鏡を買いに行く許可をもらっていた。
それを見ながら席に着いたものの。
「朝日」
すぐに彼がやってきて、僕の隣に立つ。
「着いてきてくれ」
「は?」
思わず、彼の顔を見上げていた。
けれど彼は急かすように、僕の腕を取る。
「さっきみたいに壁にぶつかったら危ないだろ。
それにひとりじゃまともに見えないから選べない。
許可は取ったし」
ちらっ、と上司を見ると頷かれた。
「……はぁーっ。
わかったから、離してくれますか」
ため息をつきつつ、立ち上がる。
「じゃあ、よろしく頼む」
見えていないはずの彼に引きずられるように部屋を出た。
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