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恋敵6

 どこをどう走ったのか――はっきりとは分からないながらも、見慣れた川と橋が見えてきたところで冰はようやくと歩をゆるめた。女の腕を未だ握ったままだったことに気付いて、とっさに離す。紫月もすぐに追いついて来た。 「はぁッ、くそ……! 冰君、無事か? いきなし全力疾走させられちまったぜ……」  ゼィゼィと息を荒くしながら、川縁りのベンチに大の字になってなだれ込む。 「お……お陰様で俺はこの通り無事です。紫月さんがいなかったらたいへんでした……!」  紫月は道場育ちなだけあって武術には長けている。しかも裏の世界で極道を張っている鐘崎の伴侶だ。男三人くらいの相手なら朝飯前なのだ。 「でも……さすが……紫月さんですね! 相手の人、三人もいたのに……あっという間に片付けちゃって……」  まだ息の荒いままで冰が言う。走ったからというのもあるが、突然の出来事から何とか逃げ切れた安堵感と共に、今頃になってバクバクと心拍数が上がりだしたわけだ。  そんな二人を横目に、女が恐る恐るといった調子で訊いてよこした。 「まさか……殺したの……?」 「ああ?」 「片付けたって……さっきの男たち……」 「まさか! 峰打ちよ、峰打ち! 殺るわきゃねえべ」  全速力で走った直後で暑いわけか、紫月がシャツをバフバフと揺らして風を送り込みながらそう答える。それを聞いて、女は少しホッとしたように深く息をついた。 「つかさ……、あいつらいったい誰よ? あんたを捜して来たようだけど、知り合いなわけ?」 「……知り合いっていうか……」 「しゃべるのも広東語だったろ? つーことは、香港から来たってのか?」 「……あの男たちは……借金取りよ」  言いづらそうにしながらも、女がおずおずと暴露した。 「はぁッ!? 借金取りだ?」  紫月はむろんのこと、冰もめっぽう驚かされてしまい、唖然としたように彼女を見つめてしまった。 「何よ……そんな蔑んだ目で見ないでよ……!」 「や、別に蔑んでなんかねえけどよ」 「……仕方なかったのよ! 焔に似合いの女になる為にはお金が必要だったの!」 「似合いのって……」 「彼に会うのは十年ぶりくらいだもの……。しかもあんな大きな商社の社長にまでなってる彼に……引けをとらないようにって思って、服も靴も鞄も……それに住む部屋だって美容にだってお金が掛かったわ! 彼と再会して、もしも部屋に来てくれるような流れになった時に恥ずかしくないように……少しでもいい部屋に住みたかったのよ!」  それで借金までして体裁を整えたというわけなのか。 「日本語の勉強や……就職試験や、他にもいろいろ。アタシの家は焔の家と違って大金持ちってわけじゃないし、ごく普通の家庭だもの。お金なんていくらあったって足りなかったわ」  涙目になりながらも気丈に言う彼女に、紫月も冰もしばし何と声を掛けていいやら分からなかった。

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