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厄介な依頼人28

「第一にこの場所だ。あの娘が粟津の経営するホテルだと知っていたかどうかは別として、普通に考えれば身代金の受け渡しに有名ホテルのスイートルームを使うとは思えない。犯人たちにとっては自ら逃げ場を失くしているも同然だし、防犯カメラを全く意識していないことから考えても犯行のすべてがずさん過ぎる。だが、娘本人が考えた狂言ならば合点がいくということだ」 「つまりは何だ。身代金が到着するまでの間でさえ、居心地が良くて安全な場所を選んだってわけか」  周が呆れたように片眉をつり上げる。 「おそらくは――無意識にというところだろうがな」  何の苦労もなく育ってきたお嬢様の考えそうなことだと思う一方で、娘の無事を確認するまでは油断は禁物だ。 「問題はその目的だ。本当に狂言誘拐であるなら、そんなくだらねえことをしでかしてまで娘が何をしたいかということだ」  説明をしながらも、鐘崎には彼女の目的が自分の気を引く為ではないかと思ってもいた。だが、まだ絶対にそうだとも言い切れない。父親である三崎社長の話では、このところ娘との間でギクシャクした雰囲気が続いていたということだし、反抗心から夜の街でも彷徨い歩いた挙句、よからぬ者たちに目をつけられた可能性も考えられる。もしかしたら本当に脅されて犯人の言いなりにならざるを得ない緊迫した状況にあることも視野に入れなくてはならないわけだ。 「とにかく急ごう。指定通り俺が一人で部屋を訪ねてみる」 「じゃあ俺は廊下で待機する。通信機を開けておけ。音を拾って事態が把握できた時点ですぐに踏み込むとしよう」  鐘崎と周が手順を確認し合う傍ら、清水は若い衆らと共に隣の部屋で待機することとした。  グラン・エーは超高級ホテルとして国内はもちろんのこと国外でも名だたる有名処だ。週末ということもあって混み合ってはいたが、さすがにスイートルームがある階では、さほどすれ違う客も多くない。  指定された部屋に着き、鐘崎がベルを鳴らすと、殆ど警戒の色もなく扉が開けられた。  犯人らしき男が一人、たいそう暢気な調子で招き入れる。 「よう! 早かったな」  男は若く、繭と同年代といったところで、少々粋がった感はあるものの、至って気は良く警戒心など全くないといった堂々ぶりに拍子抜けさせられる。鐘崎を見るなり、 「へえ! こりゃたまげた! マジでめっちゃいい男じゃん……!」  驚いたように瞳を丸くしながらも、「まあ、入ってよ」などと言って明るく笑っている。  これが演技なのか素なのか、珍しくも鐘崎の方が警戒させられてしまうくらいにあっけらかんとしたものだった。 「――ご令嬢は?」  鐘崎が余分なことを一切端折って訊くと、 「ンな、おっかねえ顔しないでよ! つか、ご令嬢って……! 大金持ちの娘が付き合う野郎ってどんなヤツなのかーって思ったけどさぁ。マジお上品なのな? アンタ、普段から自分の女のことそんなふうに呼んでるってわけ?」  ケラケラと笑って、缶ビール片手に余裕綽々でいる。

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