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厄介な依頼人44
「アタシ……あなたのようにやさしくて素敵な人に少しでも近付けるように努力するわ……。今日、あなたが言ってくれたこと、ひとつひとつ……絶対に忘れない。あなたが掛けてくれたやさしくてあったかい気持ちを絶対に忘れないわ……!」
「ん、俺も散々偉そうなこと言っちまったけどな、ホントはまだまだできてねえとこだらけだ。これからアンタも俺も――一緒に精進していこうじゃねえか。な?」
「そんなことない……! あなたに会えて大事なことたくさん気付かせてもらえて……アタシ、本当にうれしかった。今日のこと、忘れないわ。本当にありがとうございます……! おじいさんも……本当にごめんなさい」
繭は川久保老人と春日野に向かってきちんと頭を下げると、涙を拭いながら言った。
「鐘崎さんには……合わせる顔がないから……後で謝罪のお手紙を書こうと思います。本当にごめんなさい。そして……ありがとう」
少し切なげに微笑んだ表情には、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかさが浮かんでいた。これまでは我が物の如くだった『遼二さん』という呼び方も、自然と『鐘崎さん』に戻っている。紫月と腹を割って話せたことで、彼女の中で踏ん切りがついたのかも知れない。そんな様子を川久保老人も春日野もホッとしたように見つめながらうなずき合うのだった。
そういえば、いつだったか紫月らの親友である周焔の父親、香港の周隼が言っていた。憎しみや恨みは負の結果しか生み出さない。同じ労力を使うなら報復よりも手を取り合える道を探す方が幸せになれるのだと――。
紫月の繭に対しての向き合い方は、正にそれを体現したものだった。
そうして彼女を見送った後、表へ出ると、そこには鐘崎組の若い衆ら数人を従えた幹部の橘が待っていた。この廃墟へ入る前に春日野が電話で呼んだ応援隊である。彼らの後ろには、川久保老人を心配して集まって来た自治会の面々も顔を揃えていた。
「姐さん、お疲れ様です!」
ビシッと腰を九十度に折り、橘が出迎える。もう一人の幹部である清水は、今日は鐘崎について仕事の打ち合わせで留守にしていた為、橘が若い衆を引き連れて駆け付けたのだ。実に彼らはだいぶ前からこの廃墟に到着していたのだが、紫月が繭を諭す様子を目の当たりにして、出て行く機会を窺っていたのだそうだ。
「もしも若い連中が暴れ出したりしたら、速攻で応援に入ろうと思っていたんですが――」
橘の言うには、取り敢えずのところゴロつきたちが手を上げる様子もないし、ここで大勢で加勢に出て行って彼らの警戒心を煽るよりも紫月に任せた方がいいと判断したとのことだった。
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