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蛙の子はカエル

飛燕(ひえん)。――おい、飛燕居ねえのか?」  鐘崎組の長である僚一(りょういち)が一之宮道場を訪ねると、普段は賑わっているはずの稽古場に人の気配が全くなかった。頃はまだ息子たちが高校生の時分で、ソメイヨシノが咲き始めようかという季節のことだ。  勝手知ったる何とやらで生活スペースの母屋にも上がって見て回ったが、そこに飛燕はおろか道場を手伝っているはずの綾乃木の姿も見当たらない。 「買い物にでも出掛けたのか……」  諦めて出直そうとすると、裏庭の方から人の話し声が聞こえてきて歩をとめた。 「なんだ、居るんじゃねえか」  道場を突っ切って庭を覗こうとしたその時だ。この家の主人である飛燕が何やらこっそりと物陰に身を潜めながら怪しげな様子でいる。 「おい飛燕! 何やってんだ」  声を掛けると、驚いたようにこちらを振り返ると同時に、「しーッ!」と人差し指で唇を塞いでみせた。 「――何してんだ。庭に何かいるのか?」  まさか泥棒でも入ったのかと思いつつ、忍び足で飛燕のところまで行くと、彼の視線の先に息子たち二人と彼らの親友である周焔(ジォウ イェン)が三人で何かに取り組んでいる姿が飛び込んできた。 「なんだ、ガキ共じゃねえか。あいつら三人で何やってんだ?」  僚一が訊くと飛燕は楽しげに口角を上げてみせた。 「坊主共がな、こないだっからああして新しい技を編み出そうと頑張っていやがるのさ」 「新しい技だ? 三人でか?」 「それがなかなかにいい目のつけどころというかな。発想は素晴らしいんだが、どうも思うようにいかねえようでな。こないだっから再三稽古を積んでいるようなんだが」 「どら? いったいどんな技を考え出したんだ、ヤツらは」  僚一も一緒になって身を潜めながら裏庭の息子たちを観察する。どうやら紫月が他の二人の背を踏み台にして高く飛び上がり、重力を味方につけて上から刀を振り下ろすという形を編み出したいようだ。随分前からトライしているのだろう、息を上げながら三人が庭のあちこちに散らばっている。 「行くぞ!」 「おう」 「来い、紫月!」  紫月が庭の端からダッシュし始めると同時に周と鐘崎が地面にしゃがみ込んで肩を差し出す。それを土台にして飛び上がるのだが、思ったように高さが出ないようだ。途中でバランスを崩しては地面に転げ落ち、そのまま大の字でひっくり返ってしまった。 「ぐはぁ……まーたダメかよ。全然届かねえじゃん」  庭にある一等高い木からぶら下げた古新聞の束を叩き落とすことが出来れば成功のようだが、かなり高い位置にある為にかすりもしない様子である。もう幾度もトライしているのだろう、花冷えのこの季節だというのに三人は汗だくでバテ気味だ。三者三様、悔しそうに頭を抱えている。 「やっぱ高すぎるんじゃねえのか? もうちょい低い位置に結び直すか」 「けど、それじゃ意味ねえし!」 「今日はもうこんくらいでやめにするべ。腹減ってきた」 「あー、チックショウ……! 何で上手くいかねえかなぁ。つか、二人共、肩大丈夫か?」  紫月が踏み台にした二人の肩を気に掛けている。 「肩は大丈夫だが、おめえの方がしんどいだろうが」  ダッシュして飛び上がる紫月の役割が一番消耗するだろうからと鐘崎が気遣っている。 「俺らの中じゃ一之宮が一番軽いからな。ポジションを変えるのはムリがあるだろうし」  周も上手くいかない理由が分からずに頭をひねっている。  そんな様子を見ていた僚一がクスッと笑んでみせた。 「ほんのちょっとしたタイミングなんだがな。紫月が体重を消すのが早過ぎる」 「その通りだ。二人の肩を踏み台にする瞬間に遠慮が生まれている。重みを掛けまいとして焦る気持ちが体重を消すタイミングを狂わせているんだ。あれじゃ何度やっても成功はせんな」 「なんだ、お前さん分かっていやがったのか。だったらひと言アドバイスしてやりゃいいものを」  僚一が呆れて肩をすくめてみせる。 「だが言ったところでムリだろうな。坊主らが編み出そうとしているのは実戦の極限下にでもならねえっていうと本来の力は発揮できんだろうさ。本人たちが自らそれに気がつかねえ内は外野が何を言ってもダメだろうぜ」 「おいおい、スパルタだな。だがまあ確かにお前さんの言うことも一理ある」  僚一は苦笑ながらも、息子たちがそんな技を考え出して稽古に励んでいる姿そのものに感動したようだ。 「実戦向きの技――ね。あいつらにゃ自覚はねえんだろうが、大したものだ。というより、あれじゃやっぱりカエルの子はカエルだな」 「はは! そう謙遜することもねえがな」  飛燕は飛燕で可笑そうに瞳を弧にしている。 「奴ら、いつからあれをやっているんだ?」 「もうふた月くれえになるかな。どうも俺や綾乃木にも内緒にしてえらしく、道場の稽古が休みの日や俺が会合で出掛ける日を選んでやってるようだぞ」 「ほう? 可愛らしいことじゃねえか」 「ああ。いい息子たちだ。ちょっと前までは小っせえガキンチョだと思っていたのにな。すっかり頼もしく成長しやがって」  僚一と飛燕は誇らしげに瞳を細めては、二人声を潜めながら微笑み合うのだった。 「よし、そんじゃ今日はたらふく美味いモンでも食わしてやるか!」 「そうだな。焼肉にでも連れてってやろう」  二人の父親たちはわざと音を立てて『今帰ったぞ』という雰囲気を繕うと、空っとぼけたふりで、しれっと声を掛けた。 「紫月ー! 居るのか? 今けえったぞ。……ッと! おう、遼二坊と(イェン)も来てたのか」 「おー、親父! おっかえりー!」 「お邪魔してます」 「ご無沙汰です」  紫月は暢気な声で出迎えてくれて、鐘崎と周はペコンと頭を下げる仕草が可愛らしい。 「こっちは今そこでちょうど僚一に会ってな。これから焼肉でも食いに行こうかって話になったんだが」  飛燕がそう言うと、息子たちは途端に目を輝かせて喜んだ。 「マジ!? やりィ!」 「有り難え! 腹減ってたトコなんだ」 「神様仏様だな!」 「そそ! 神様仏様親父様! なんつってー」  ワチャワチャとはしゃぎ合う若人らを見下ろしながら、父親たちも喜びを噛み締める。頼もしく成長する息子たちの笑い声に包まれて小さな幸せを感じた――そんな春の宵だった。 蛙の子はカエル - FIN -

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