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孤高のマフィア66

 いったいどのくらいそうしていたのだろう。広いリビングの窓際で、二人立ったままでただただ互いの背に腕を回して抱き合う。じわりと汗ばむほどに長い長い時間そうしていた後、静かにその温もりを解いてはどちらからともなく見つめ合った。 「冰、一度香港に帰ろう。黄のじいさんの墓に行って、じいさんにも許しを請いたい。その後で本当にお前の気持ちが変わらないというなら親父たちにも報告したいと思う」  もしも黄老人の墓前でやはりそんなことはしない方がいいと思ったならば、ファミリーにも報告しない。じっくりと考えた上で決めてくれればいい、周はそう言った。  冰もまた、周のそんな気持ちが有り難くてならなかった。そしてもう心は決まっていた。 「ありがとう白龍。でも大丈夫。じいちゃんもきっと喜んでくれると思うんだ」 「冰……!」  周は感極まる気持ちに代えて、冰の背丈に合わせ少し膝を曲げては屈み、コツリと額と額を合わせた。そしてひと言、 「ウォーアイニー、周冰灰龍(ジォウ ピン フイロン)」  それは互いの生まれ育った国の言葉での愛の囁きだった。これまで幾度も愛を伝え合ってきたものの、母国の言葉で云ったのはこれが初めてかも知れなかった。 「白龍……多謝(ドゥォーシェ)」  俺も愛してる。あなただけを生涯愛してついていくと誓うよ!  広東語でそう応えた嫁をまた抱き締め、幾度も幾度も頬擦りを繰り返した。 「あ! そういえば……ねえ白龍!」  愛しているという言葉でふと思い出したように冰は目の前の亭主を見つめた。 「ん? どうした」 「さっき丹羽さんから香山さんって方の名前が出てたけど……」  香山さんって例の香山さん? と不思議そうに首を傾げる。冰にとってはまさか今回の発端が香山にあるなどとは思いもつかないといったところだったが、拉致犯の男から聞いていた『氷川っていうヤツに想いを寄せている人物からの依頼だ』という言葉を思い出したのだ。丹羽が香山についても取り調べると言っていたのを聞き、周に想いを寄せていたというのは香山なのではないかと思ったのだった。 「まさか今回の拉致を依頼した専務さんっていうのが……香山さんなの?」 「どうもそのようだ」  周は香山が何らかの目的で自分と近付きになりたいと思っていたらしく、その為に今回の拉致を依頼したようだということを打ち明けた。 「じゃあ……白龍のことを好きだっていうのは香山さんのことだったっていうわけか……」  拉致犯の男から聞かされた話によれば、どこぞの専務とやらが今回の拉致を依頼したことや、その目的が周への好意と同時に伴侶である自分が邪魔だからという理由だった。 「そっか……。香山さんは白龍のことが好きだったんだね」 「さあ、どうだかな。恋情というよりも単に出世やなにかの観点から俺を利用したいと思っていた可能性もある」  退社してから何年もの間、一度の音沙汰もなかったのは事実だ。年賀状のひとつさえよこしたこともないというのに、偶然再会したことで思い出したようにコンタクトを取りたがる様子からしてもそちらの可能性の方が高いと周は思っているようだ。

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