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身代わりの罠9

 彼女を見送り、コネクティングルームの扉に鍵を掛ける。 「……ったく。厄介な役目を押しつけやがって、親父のヤツ」  女に興味を持たれることにはある意味慣れっこだが、任務以外のプライベートについてあれこれと詮索してこられては面倒だ。やり手だと聞いていたが、これでは仕事の方も卒なくこなしてくれるのかと心配になってくる。二日目からこんな調子では、あの女と組んで一週間を過ごさねばならないと思うと気が重くなるのも確かだ。小さな溜め息を漏らすと、鐘崎はクラウスになり切るべく着替えを整えたのだった。  それから一時間もしない内に鄧が迎えにやって来た。鐘崎としてはホッと一安心である。特別室のメビィも既にブライトナー夫人への変装を済ませて待っていた。 「まあ! 遼二さん、さっきのお爺さんの姿とは別人ね! やっぱりこっちの方があなたらしくていいわ」  感嘆の声を上げながら、キャッキャと浮かれた調子で鐘崎の腕に抱き付いた。 「さあ、あなた! 今日はお買い物三昧よ! 楽しみましょう」  鄧もいるというのに、遠慮する素振りもなくすっかり夫婦気取りだ。鐘崎も掴まれた腕を振り払うことまではしなかったが、なんとも言えない仏頂面で部屋を後にしたのだった。 ◇    ◇    ◇  向かったのは銀座だ。  事前にブライトナー夫妻の趣味を聞いていたので、彼らが好みそうな店を回って歩くことにする。 「あなた! ほら見て。これなんかどうかしら? 私に似合うと思う?」  メビィは服や鞄などを手に取ってご機嫌だ。一応は流暢にドイツ語を使っているところをみると、やり手というのも満更嘘ではないのかも知れない。 「ああ、いいんじゃないか」  鐘崎もドイツ語で返しながら、メビィが試着室へ入って行くと軽く溜め息を漏らした。 「遼二君、気が重そうですね。まあ一週間の辛抱だ」  鄧がコソッと耳打ちしてくる。ホテルからここまで移動の車の中でもメビィはべったりと鐘崎の腕を掴んだまま離さず、店を見て回っている最中もまったく人目を気にせずといった調子で鐘崎の側を離れようとしない。いくら夫婦でもそこまでべったりするだろうかと、逆に怪しまれん勢いなのだ。当然鐘崎が気重に思っているだろうことも鄧にはお見通しであった。 「これも仕事だからな。贅沢を言っちゃいけねえとは思うが、あまり踏み込まれても面倒なのは事実だ」 「何かあったのですか?」 「今朝、先生が来る前にちょっとな。あの女、俺に浮気をしたくねえかと訊いてきた」 「それはまた……大胆ですね。具体的にはどのようなことを言われたのです?」 「たまには女を抱きたいとは思わねえのか――とさ」 「おや、驚いた」  それでは憂鬱になっても仕方ありませんねと鄧も苦笑気味だ。 「私からそれとなく釘を刺しておきましょうか?」 「ああ……まあ、あまり酷くなるようならな」 「そうですね。鐘崎組としても他所様のエージェントと気まずくなってもいけませんしね。遼二君が必要と思われた時は遠慮なく言ってください」 「ああ、すまないな鄧先生」  しかし、周にも言えることだが、イイ男というのも苦労が付きものですねと鄧は肩をすくめた。

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