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身代わりの罠30

「うーん、そうねぇ。万が一、遼が誘惑に負けて間違いを侵しちゃったらってことだべ? そん時は仕方ねえじゃん? ちっとキッツいデコピンでもくれてケツ叩いてやるしかねえべ」  メビィは驚いた。 「デコピンってあなたね……これは冗談で言ってる話じゃなくて、もっと真面目に……」 「俺はマジメさ。アンタみてえな別嬪の姉ちゃんが目の前にいてさ。二人っきりでいいムードになっちゃったんなら、それはそれで仕方ねえってことだよ。遼だって男――つか雄だからなぁ、あいつ」  カハハハと笑いながら紫月は続けた。 「なあ、メビィちゃんさ。アンタも同じ裏の世界に生きてる人だから分かると思うけどよ。俺たちの仕事っていつ何がどうなっても不思議じゃねえ世界だろ? 極端な話だが、もしかしたら今こうして話してる瞬間に敵と遭遇して死んじまうことだってある世界だ。だからさ、俺思うの。遼二と俺はこの世界に一心同体で生きてる生き物なんだって」 「一心同体……?」 「そ! だから遼が綺麗な姉ちゃんを抱きてえと思って情事に流されたんなら、その思いは俺にも通じてるっつーかさ。遼がやりてえと思ったことなら俺のやりてえことでもあるんだって。だからあいつが女を抱いたなら俺も一緒に抱いたんだって思える。あいつの脳と俺の脳は一緒なんだって、いつもそう思って生きてるからさ」  この世にはこんなにも深い愛が存在するのだろうか。  あいつと俺は脳が一緒、一心同体、言葉の上では美しいかも知れないが、実際にそう思って生きることなどできるのだろうか。  彼もまた自分と同じ感情を持った人間だ。どうすればそこまで崇高な考えに辿り着けるのだろう。もしかしたら自分には想像もつかないような悩みをひとつひとつ乗り越える中で辿り着いた答えなのかも知れない。すぐには相槌も儘ならないままで、メビィは紫月から目が離せずにいた。 「紫月……さん」  クラウスらの乗った飛行機がゆっくりと滑走路へ向かうのを眺める紫月の瞳を午後の陽射しがキラキラと照らし出し、それはとても美しかった。例えようもなく堂々としていながらどこか儚げでもあり、だが儚いからこそ美しくて、身体中が震えるほど、全身に鳥肌が立つほどに感動的であった。  金網越しに立つ彼の隣で、メビィはその背中に雄々しい大きな翼が羽ばたくような錯覚にとらわれてしまったのだった。 「なーんてな! カッコいいこと言ってっけどさ、実際そんなことになったら飛び蹴りでも食らわせちまうかも!」  またもや白い歯を出してニカッと笑った彼の腕に、メビィは堪らずに抱き付いてしまった。 「そっか。そうよね。ごめんね、変なこと訊いて。アタシね、アタシ……前に付き合ってた彼とね、そういうことがあったの。あれはアタシがエージェントになりたての頃だった。同じチームでアタシの指導に当たってくれてた彼を好きになって……。でもあっさり裏切られちゃったの。彼は誰にでも優しかったけど……でも手が早くてね」  メビィの言うにはその男が付き合っていたのは彼女だけではなく、方々に女がいたそうだ。

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