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ダブルトロア1
オーストリア、ウィーン――。
高年の男が二人、リモート通話を交わしながら深刻な面持ちでいた。
「なんと……! あの御方がこのウィーンへおいでになるというのか?」
パソコンの画面を覗き込みながら、緑寿を間近に控えた男は酷く驚いた声を上げる。”あの御方”とは彼にとって忘れたくても忘れられない人物の一人で、香港マフィアの頂点に君臨する周ファミリーの嫡男、周風黒龍 であった。
「いったい御用向きは何だというのだ……」
ファミリーの本拠地は香港だ。しのぎや付き合いの関係で近隣諸国へ赴くことがあったとしても、大概はアジア圏内である。米国や欧州へ出掛けることは稀なはず――と、もはや驚愕ともいえるほどに顔面蒼白の様子でそう尋ねた彼に、画面の向こうの男もやれやれと肩を落とした。
『近々そっちで宝飾品関連の見本市が開催されるだろうが。お前さんも知っての通り、周一族は中国の山の中に鉱山を持っていて、掘り出した鉱石を加工して市場へ流していらっしゃる。今回は新たな加工業者と顔合わせを兼ねたご視察のようだ』
それというのは世界的にも有名な市で、二年に一度各国を巡って開催される大々的なイベントだ。今年はここオーストリアが開催国に選ばれた為、首都ウィーンのイベントホールにて数日間に渡り催されることとなったわけだ。
「なんと……。あの宝飾市にいらっしゃるというのか。では御父上の頭領・隼 もご一緒で?」
『いや、今回はご子息である周兄弟が頭領に代わってご視察なされるとのことだ』
兄弟は共に三十路を超えた立派な青年だ。そろそろ次代継承者として父抜きでこうした交渉事を任される流れになってきているのだろうとの説明に、リモート画面の前でガックリと首を垂れた。
男の名は楚光順 。歳は六十代の半ばで、元は香港の裏社会を治める周ファミリー直下に属していたマフィアである。
在籍時には忠誠心にも厚く、人柄も良く、頭も切れた為、頭領の周隼 からも信頼されていた男だった。
ところが、一人娘の楚優秦 が起こした或る事件によって自らファミリーを去ることを余儀なくされたことから、慣れ親しんだ香港を後にして、ヨーロッパへ移住したという経緯の持ち主だ。リモート通話の相手は光順の古くからの馴染みで、現在も香港で周ファミリー直下に与している男だった。
二人は同世代で、ファミリーに入ったのも同時期の、いわば同僚といった仲であった。娘が事件さえ起こさなければ、今でも香港でファミリーの重鎮として肩を並べていられたはずである。そんな間柄の二人だから、片方がファミリーを去り、もう片方がファミリーに残って境遇が変わってしまった今となっても、これまで同様互いを気に掛け、友情を築いているわけだった。
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