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春遠からじ14
鐘崎はすっかり憑き物が落ちたような表情でいたが、逆に紫月の方は『おいおい』と言ってげんなり顔で肩を落として見せた。
「ひっでえなぁ、メビィちゃんってば! そんじゃ俺は屁もこくしゲップもするユーモアの無えつまんねえ男とくっついてるってことじゃん」
紫月の言い方が可笑しかったのか、皆は思わず噴き出しそうにさせられてしまった。冰などは飲み掛けたソーダを喉に詰まらせてしまい、ブハッとテーブルにぶち撒けた挙句苦しそうにもがいている。
「あ……悪ィ! 冰君、ダイジョブか?」
紫月が慌ててハンカチを差し出すも、既に周が自分のハンカチで冰の顔を拭いてやっていた。源次郎はここで笑ってはいけないと堪えた顔が苦虫を噛み潰したようになっていて、鄧はその真逆で額を手で覆いながら椅子の背もたれにのけ反って大笑いをしている。唯一真面目な表情で、スッキリ胸のつかえが取れたような顔つきでいる鐘崎の肩を、隣に座っていた周が突っついた。
「おいコラ、カネ! てめえの嫁が笑かすからー! うちの冰がソーダをぶちまけちまったじゃねえか! 可哀想にこんな咳き込んじまって!」
よしよしと背中をさすりながらも、どーしてくれんだといったふうに目を逆三角に吊り上げる。まるで漫画でいうなら『カーッ』っと牙を剥いた絵面を連想させるような周に、再び場は大爆笑と化した。
そんな中、鐘崎が皆を見渡しながら真摯な言葉を口にした。
「ありがとうな、皆んな。俺は――あの事件以来ずっと殻にこもっていて……皆に心配を掛けてしまった。ここでメビィに会えて、氷川が何とか突破口を見つけてくれようとしたこと――本当に有り難くて堪らねえ。メビィが心理学をやってたことは意外だったが、いろいろな意見を聞けてすごく為になった。すぐには変われるかどうか分からんが努力していく――。今までは好意を寄せてくれる誰かが現れたとしても、俺はてめえのことを棚に上げて、心のどこかでその好意自体に非があるふうに思っていたのかも知れない。そういったことを冷静に見つめ直して――いい方向に変えていけるよう努力する」
本当にありがとう、心配を掛けてすまないと言って鐘崎は頭を下げた。
その姿は以前のやさしい彼だった。優柔不断で口下手で、時には誤解もされるが本当は気のやさしい男――。事件以降、まるでその身を刃のように尖らせてきた深い傷が少しずつ癒されて、抉られる前の元の綺麗な大地が戻ってくるかのようだった。
「ん、いーじゃん! なんも気張るこたぁねえさ。おめえが屁ぇここうがつまんなかろうがユーモア言えなかろうが、俺ァおめえのそーゆートコロが大好きだからさ! 世界中のオナゴが寄ってこようが逃げてこうが、俺だけは一生おめえの側で笑っててやっから心配すんな!」
紫月が鐘崎に向かって胸を張りながらそう言って笑う。
「紫月……」
思わず滲み出した涙を堪えるように鼻を真っ赤にした鐘崎の隣で、
「ああ――つか、普段から屁はこき合ってっからなぁ。今更だけっども。なぁ、遼?」
ごくごく当たり前のようにそう言った紫月に、再び大爆笑が巻き起こる。鐘崎もまた、その通りだと言ってはグイと涙を拭いながら笑った。
「ああ、俺だって同じだ。おめえのすることならどんなことでも――それこそ屁だろうがイビキだろうが可愛くて仕方ねえ」
「だろぉー?」
紫月は満足そうに『うんうん!』と満面の笑みを浮かべている。人目も気にせず堂々のいちゃつきっぷりに、皆の視線も自然とゆるむ。そんな中、冰だけが真顔でパチクリと瞳を見開きながら意外なことを口にした。
「そういえば――俺、白龍のオナラって聞いたことがないかも」
いいなぁ、聞いてみたいなぁと、大真面目な顔付きで周を見つめながら期待顔をする。
「マジッ!? 氷川、てめ、家で屁ぇこかねえの?」
紫月は紫月で物珍しいモノでも見るような驚きぶりでいる。
さすがの周もタジタジとさせられてしまった。
「――そうだったか? まあなぁ――屁くらいならいつでも聞かせてやれるがな」
「ホント!?」
だったら早速今夜にでも――と瞳を輝かせた冰に、
「……つーか、出物腫れ物所嫌わずとは言うがな……出せと言われて待たれてたんじゃ、出るモノも引っ込んじまうだろうが……。っていうかなぁ、何で屁の話でこんなに盛り上がってんだ?」
実際、いざ出せと言われてもそう都合良くいくものでもない。口をへの字にしながら悩む周の姿に、場は再び大爆笑と化した。
「ふふふ、本当に素敵なご夫婦ね! 周さんご夫婦も、それに――遼二さんも紫月さんも、皆さんこんなにカッコいいのにお互いの前では気取らずにいられるんだもの。そんな相手がいるっていうことこそが何よりの幸せだわ。怖いものなんて何もないじゃない!」
だから肩の荷を下ろして、お互いに接するように楽に自然にしていればきっと大丈夫よと言ってメビィは微笑んだ。
「そうだな。お陰で今まで見えていなかったものが掴めそうな気がしてきた。メビィも氷川も、それに皆んなも――ありがとうな、本当に!」
ああ戻ってきた、以前の鐘崎が帰ってきたのだと安堵する。午後の陽射しの中、皆は安堵の思いのまま朗らかに微笑み合ったのだった。
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