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倒産の罠8

 鐘崎組に着くと、紫月が玄関口で首を長くしたようにしながら待っていた。 「紫月さん……! お世話になります」 「冰君! よく来てくれたな!」  紫月もまた、本当のことを知らされていない。周のことはもちろんだが、何を置いてもこの冰の身の上を我が事のように思ってか、彼が車を降りたと同時に抱き締めた。 「冰君、なんも心配はいらねえ! 自分の家だと思って自由にしてな!」 「紫月さん、ありがとうございます」 「真田さんも! 要る物とか用事があれば、些細なことでもいいっす。遠慮なく言ってください!」  荷物を持ちましょうと言って、紫月は真田の手から大きな鞄をもらい受けた。 「紫月さん、お世話をお掛けします」 「いえ、とんでもねえ!」  そこへ鐘崎もやって来て、まずはこれから厄介になる部屋へと案内された。 「うわぁ……素敵なお部屋」  周と冰が泊めてもらうのは広々とした洋室であった。来客用に設られたその部屋は、バスルームなども完備されていて、ホテルのような感覚だ。真田には同じくバスルーム付きの和室が用意されていた。周らの部屋と隣同士である。急にすべてを失った彼らに少しでも明るい気持ちになってもらえるようにと、紫月が心を込めて掃除からベッド周りの設えまで準備したものだ。 「ありがとうございます……何から何まで……」  丁寧に頭を下げる冰の傍らで、周もまた心からの礼を述べたのだった。 「カネ、一之宮、すまねえな。世話になる」 「構わん。気を遣わねえでくれることが一番だ。真田氐も冰も我が家と思って寛いでくれ」 「はい……ありがとうございます。本当に……」  その後、軽く荷解きを済ませてから、周は早速にこれから住むアパートの契約に取り掛かった。 「住処はこの周辺でいくつか見繕っておいた。冰の仕事先は紫月が既に話を通してくれている。午後から案内させてもらうな」  組事務所に移動して、鐘崎から資料を受け取る。 「カネ、一之宮、いろいろとすまねえ。俺はとにかく、手っ取り早く現金を稼げる日雇いの職に就くつもりだ」  周はこの近辺で日雇い労働者として当座の生活費を稼ぐという。 「今は時期的にも年度末の調整の為、各所で道路工事が行われている。このすぐ近所で働けるように知り合いの飯場に話をつけておいた」  周の仕事先も既に鐘崎が手配してくれていた。 「すまねえ、カネ。助かる」  社が乗っ取られたと分かった時点で、冰からはこれまでずっと周に支援してもらっていた莫大な金を生活費に充ててくれと言われていたのだが、実のところその金も含めて新CEOの曹来にそっくり預けてきていた。当然のこと、冰は新しい経営者が曹来ということすら知らされていないわけで、彼の意識下では社も邸も、それに現金も全て失ったという認識でいる。つまり表向きは一文無しも同然というわけだ。  冰は周が十年以上も掛けて援助してくれていたその気持ちまで洗いざらい失ってしまったことには心を痛めて号泣したものの、彼にとっては金を失ったこと自体よりも周の気持ちが踏みにじられたことが何より悲しかったようだ。  まさに天から地へ真っ逆さまの貧乏生活となったわけだが、それでも冰が周や真田と共にいられるだけで充分だと言ってくれたことには有り難いと思うと共に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。  周はとにかく即金になる日雇いの労動夫として仕事に出ると伝えていた。真田にはこれまで通り身の回りの世話を頼み、アパートにいて食事や洗濯などを行ってもらうことにする。  まあこれも敵方の目を欺く作戦のひとつなのだが、何も知らない冰や真田にしてみれば、先行きの不安だらけであろう。周も鐘崎も申し訳ないと思いつつ、彼らに真実を打ち明けられない胸の痛みを堪える日々であった。

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