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10話-6 ロール・プレイング
「もう限界だな。出していい?」
「ん……先輩の、中に出して……奥に欲し、です……」
「ふ、う……!」
入谷の足首を掴み、彼がねだったとおり、中の一番奥へゴム越しに精液を注ぎこむ。びくり、びくりという痙攣は俺の昂りのものか、入谷の中のものか、どちらであったのだろう。
焦らしに焦らされ、ようやく解き放たれたぺニスを入谷の中から引き抜く。ゴムの処理をするのも億劫なくらい、特に下半身が怠くて、俺はやたら肌触りのいいベッドに倒れこんだ。汗ばんだ肩を上下させている入谷と正面から向き合う形になる。
「橘先輩、すごかったです。あなたとセックスしたなんて、夢みたい……」
上気した頬を笑みで持ち上げながら、入谷が長い手足を絡みつかせてくる。しっとりした互いの肌はほぼ同じ温度で、抱き合うと二人の境目が溶け消えていくようでひどく心地よかった。
入谷が俺の耳元に唇を寄せてくる。
「先輩……好き」
「!」
どこまでも切実でまっすぐな響きに、心臓のあたりがじんと痺れた。
俺をぎゅうと抱きすくめながら相手は続ける。
「あなたと一回えっちなことができたらそれで充分と思っていたけど……。やっぱり本当は……恋人になりたい、です」
好き。恋人になりたい。その言葉は俺にとってかなりの衝撃だった。
入谷に告白されるなんて。彼から恋人にと請われるなんて。全身をじわじわと不可思議な多幸感が包んでいく。
押し黙った俺をうかがうように、腕の中にいる入谷が上目遣いでこちらを見た。
「駄目、ですか?」
「……駄目じゃない。そんなわけない。嬉しいよ」
「本当に? 僕も嬉しいです」
入谷の指が頬に伸びてくる。
俺たちはどちらともなく優しく唇を重ね合った。それは恋人が初めて交わすような、触れるだけの優しいもので。
しばらくして、入谷が俺の頭を慈しむように撫で回す。その手つきで、彼が普段の恋人に戻ったのが分かった。
入谷に続き、自分もベッドの上に身を起こす。
「ふふ。お互いずいぶん盛り上がってしまいましたね。柾之さん、ロールプレイお好きですか? またやりましょうね」
「……」
「柾之さん?」
「あっ、え? う、うん。そうだね」
放心状態からようやく回復し、慌てて首を縦に振る。これが、ロールプレイ。告白だって何回もできるし、入谷から恋人になってほしいとも言ってもらえる。ロールプレイって、すごいな。
ぽこぽこと湧いてくる温かい感情を噛み締めていると、入谷がこちらに上体を預けてきた。
「それにしても、こんな日が来るとは思いませんでした。あなたに変態だと罵られるなんて」
「あ、あれは」冷や水を浴びせられたように心臓がきゅっとなり、喉がひゅっと鳴る。思えば、入谷にずいぶんなことをたくさん言ってしまった。「いやその……あの場の勢いで口が滑ったというか、空気に当てられたというか、決して俺の本心ではなくて――」
「分かってますよ。むしろ僕は嬉しかったんです。普段は優しい人の罵声からしか得られない栄養がありますからね」
「何? それ」
恋人の得意げな顔が妙に可笑しくて噴き出してしまう。何はともあれ、彼が怒っていたり、傷ついていたりしていないのなら万事オーケー、だ。
そのあとは交代でシャワーを浴び、二人でゆったりと湯船に浸かった。裸で至近距離にいたらまた肌を重ねたくなるかと思いきや、終始和やかなムードでいられたのが不思議だった。
風呂から上がり、せっかくなので今日入谷が選んでくれた服に袖を通す。そうしているうちにちょうどよい時間になっていた。
「それじゃあ、出ましょうか」
出入口のドアのそばで入谷が促してくる。先ほどまで乱れていたことを一切感じさせない、俺の鉄壁の恋人。
不意にこの場を離れるのが惜しくなり、俺は入谷の腰を後ろから引き寄せた。そして。
「君のことが好きだ」
万感をこめて囁くと、腕の中の総身がぴくりと身動 ぎする。
「どうしたんですか? いきなり……」
「俺はどうしたら、君の隣にふさわしい人間になれる?」
自分はいきなり何を尋ねているのだろう。入谷もきっと訳が分からないに違いない。でもこうして顔が見えないときでないと、こんな情けないことは到底訊けそうにない。
今日一緒に人混みの中を歩いてみて理解した。客観的にも主観的にも、俺にとって入谷は眩しすぎる存在なのだと。
たぶん俺はずっと、そのことを頭のどこかで気にし続けていたのだ。
「今日のデートで痛感したんだ。俺じゃ君と釣り合ってないんじゃないかって……。君は周りの注目を集めるくらい綺麗だけど、俺は普通というか、平凡な人間だから。それで」
言葉尻が奪われた。振り向いた入谷の唇によって。
重なるだけのキスを終えた入谷が、間近から俺の目を覗きこんでくる。
「もしかして今日ずっと、そんなことを気にされていたんですか? 僕の恋人の方に注目しないなんて、みんなセンスないなあと思っていましたよ。僕のその言葉だけでは不足ですか?」
「……いや、それは」
相手は微笑しているが、目つきは真剣だ。だから、それらの言葉が単なるおべっかではないのが伝わってくる。
ふと、入谷の視線に寂しげな色が混じる。
「あなたが僕を好きだと言ってくれるのが、僕にとってはどれだけ奇跡的なことが、あなたにはきっと想像もつかないでしょうね」
入谷の掌が頬に触れる。壊れ物を触るときほどに繊細な手つきだ。そんな風にしなくても、俺は壊れも傷つきもしないのに、と思う。
「釣り合うかどうかなんて、あなたが気に病むことではないでしょう。元はと言えば、僕が押しつけた好意に付き合ってもらっている関係なんですから」
「待って」聞き捨てならない台詞に語気が強くなる。「それはなんというか、違うと思う」
片頬を覆う掌の上に、さらに自分の掌を重ねる。彼の手のすべらかな感触をしっかりと感じながら。
「押しつけたとか付き合ってもらってるとか、そういうことを言ってほしくない。もう俺たちは恋人同士なんだから、立場は対等じゃないかな。経緯のことなんかで、君は負い目に思わなくていいんだよ」
「ありがとうございます。あなたは好い人ですね」
入谷が口元をほころばせる。
「それじゃあ、お互い気に病むのはなしということで、いかがです? 二人のことは二人で言葉を尽くして解決していけばいいし、他人の目にどう映るかなんて初めからどうでもいいでしょう。僕らの人生には関係のないことです」
いつになく強い言葉で断言する入谷。でも、確かにそうだなとすんなり腑に落ちた。
「紫音くんの言うとおりだね。なんか……ごめん。情けないところ見せちゃって」
「いえ、むしろ良かったというか、ある意味で安心しました。心の柔らかいところを見せられる相手って、アラサーにもなるとなかなか見つからないですからね。恋人の僕にくらい、そういう部分を見せてほしいです」
「本当? 幻滅したりしてない?」
「まさか。逆にときめいちゃいました」
心の柔らかいところ、という表現が妙に胸に刺さる。自分にそんな細やかな機微があることすら、長らく忘れていた。俺以上に、彼はこちらをいたわってくれる。俺の心が乾いた土だとしたら、入谷は温かく優しく降り注ぐ雨だろうか。
対等だと言ったのは自分だけれど、やっぱり俺は彼に貰ってばかりだ。物理的にも、精神的にも。これからは自分も彼に返していきたい。返していかねばならないと決意する。
入谷がドアを開ける前に、その決意を言葉に換えた。
「紫音くんも、何かあったら俺に見せてほしい。俺じゃ、少し頼りないかもしれないけど」
「……ありがとうございます。覚えておきますね」
虚を突かれたように瞠目してから、入谷がいつもの華やぐようなほほえみを見せる。
その刹那の沈黙のあいだに過 った、逡巡にも似た陰のある表情が、視界にこびりついて離れなかった。
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