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2 高校編 2 初夏‐②
駅からバスで二十分。神社の前で降りると既に瑞季が待っていた。十分も早く着いたのに先を越された。
「ごめん、待ってた?」
「全然。今来た」
思った通り瑞季は着物姿だ。縞模様の入った臙脂色の着流し、金の絵柄が入った黒い羽織。前回よりもちょっと派手。
せっかくだから神社に立ち寄る。大きな鳥居、一対の狛犬、石畳の参道と石灯籠。手水舎で手を洗い、賽銭箱に五円玉を投げ入れ、柏手を打った。境内には屋台が出ていて、チョコバナナやりんご飴を売っている。人はそこそこ多かったが、豊かな自然のおかげか、瑞季はあまり緊張していないみたいだった。
北の外れ、木々に囲まれて小さなお堂が建っていて、昔瑞季と出会った場所にも似たようなものがあったなと思い出した。もっとも、あのお堂はうんと古ぼけていたし、ほとんど手入れもされず崩壊寸前であったから、この神社のお堂とは比べ物にならないが。そのことを瑞季に言うと、確かに比べるのもおこがましいなと笑った。
「あの山にあったお堂は、もう誰も住んでない。廃墟で、空っぽだ」
「ここには誰かいるのか?」
「ああ。まだいる」
瑞季はお堂の中をじっと見る。入口は木製の格子戸で、錠が下りている。俺も中を覗いてみるけど、真っ暗で何もわからなかった。
「お前、意外と迷信とか信じるタイプなのな」
「迷信じゃない」
「じゃあ幽霊でも見えるのか?」
「いや……でも、この場所が生きてるのは事実だろ。あの山のあれは、もう信仰が途絶えてる。ここはいいな」
「まぁ、こういうの継承してくのって大変だし。金かかるもんな」
大通りから神社に至る参道は商店街になっている。蕎麦屋と飴屋が多い。瑞季が気になると言うので、いかにも歴史のありそうな茶屋に立ち寄った。道路に面して、大きな赤い和傘と赤い布の掛かった長椅子が並んでいる。いかにもな茶屋だ。時代劇にでも出てきそう。
みたらし団子と餡団子を二本ずつ頼んだ。濃い緑茶と相まって甘さが引き立つ。なんだか風流人になった気分だ。神社のそばのお茶屋で、しかも屋外の赤い長椅子で団子食ってるなんて。その上、連れは派手な着物姿ときている。完璧すぎる。誰かに自慢したい。
「お茶のお代わりはいかがですか」
突然声をかけられ、それまで静かに団子を食べていた瑞季はビクッと大きく肩を揺らした。そんなに驚かなくても。ただの親切な店員さんなのに。瑞季の茶碗も俺が差し出して、お代わりを注いでもらう。その間、瑞季は俺のシャツの裾をぎゅっと掴んでいた。
「ごめんなさいね、驚かせちゃったみたい」
「ああいえ、人見知りで」
「それにしても、良いお着物ですね。紬かしら」
どうなんだ、と耳打ちすると、瑞季はこくりとうなずいた。
「素敵だわ。若い人が今時珍しいですものね。よくお似合いですよ」
店員が去ると、瑞季は握っていたシャツをやっと手放した。裾に皺が寄っている。
お前、他人と喋るのがそんなに苦手か。逆になんで俺は平気なんだ。学校ではもう少しまともじゃなかったか。と、言いたいことはいくつかあったのだが、自分だけ心を許されているというのは快感で、頼りにされているというのも嬉しくて、結局何も言わなかった。追加でよもぎ団子を食べ、茶屋を後にした。
瑞季の家は、神社から歩いて五分ほどの距離にある。大通りから一本裏道に入ったところ。神社から続く雑木林のすぐそばである。二階建てのアパートで、外観はそこそこ綺麗で新しい。住んでいるのは二階の角部屋で、一人暮らしをしているらしかった。入れよ、と言ってドアを開ける。鍵は掛かっていなかった。
「え、ちょ、なんで?」
「何?」
俺には衝撃的だったが、瑞季は至って平然としている。
「いや、ほら、もしかして普段から鍵かけねぇの? 開けっ放し?」
「鍵がどうした」
「締めとかないと物騒だろ。泥棒とか」
「盗まれるものなんてないぞ」
「またそんな屁理屈言って……」
だが、実際部屋には何もなかった。がらんとしたワンルーム。小さい電話機と、布団が一枚置いてあるだけ。しかもカーペットなんてなく床に直置きである。冷蔵庫や洗濯機といった基本的な家電もない。本当に何もない。生活感がないどころの騒ぎじゃない。つい今し方まで空き部屋だったかのような、たった今引っ越してきたかのような雰囲気だ。
「お前、ほんとにここに住んでるの?」
「さっきからそう言ってる。家賃も払ってるぞ」
それにしたって何もない。必要なものは押し入れに入れてあると言うから見てみると、勉強道具や制服類が全部まとめて仕舞ってあった。とはいえその程度だ。越してきて一か月と思えば仕方ないのかもしれないが、しかしこんな部屋で不便はないのだろうか。生きていけるのだろうか。なんだか放っておけない。ほっといたら死にそうだ。
「俺に財力があれば、家具家電一式揃えてプレゼントしてやるんだけど」
「……そんな面倒見てもらわなくたって自分で用意できる。今すぐ買いに行くか」
「でもお前、人混み嫌いじゃん。休日だし、きっと混んでるぜ」
「いいんだ。このままじゃお前が困るんだろ」
「俺のことなんか別に」
「関係ある。これからもうちへ遊びに来るだろう? お前にはなるべく快適に過ごしてほしいからな」
瑞季は俺を真っ直ぐ見てそんなことを言う。
これからもってことは、次があるってことだろうか。頻繁に遊びに来てもいいのだろうか。俺に快適に過ごしてほしいから、だなんて、その気遣いが無性に嬉しい。何に対する期待なのかわからないが、期待に胸が躍る。
「でも一人じゃ不安だから一緒に来てくれ」
「もちろんいいぜ。行こう」
そう言って自然に差し延べかけた手を、慌ててUターンさせた。行き場を失った掌は太腿に擦り付けて誤魔化す。凄い勢いで手汗を拭く人みたいになっている。
俺は今一体何をしようとしたんだろう。自分でもよくわからない。無意識だった。無意識のうちに手が延びていた。瑞季は訝しげに俺を見る。
「どうした? 顔色が変だ」
「あ、いや、その……鍵! 今度こそ鍵はちゃんと締めてこうな」
「? 盗めるものなんてないって、今見てわかったろ」
「お前な、危ないのは泥棒だけじゃないんだぞ! 空き家だと思われて誰かに勝手に住みつかれたり、変なやつに待ち伏せされて襲われたりしたらどうすんだ」
「そんなことあるのか?」
「あるある。田舎と違って都会は物騒だからな。自分の身は自分で守らねぇと」
瑞季は首を傾げたが、お前が言うならそうするよとうなずいた。誤魔化すために咄嗟に持ち出した話だったが、結果的に瑞季に防犯意識が芽生えてくれてよかった。差し延べかけた手のことも有耶無耶にできた。
アパートを出、バスで駅まで向かう。瑞季はバスに乗ったことがないらしく、料金の払い方等教えてやった。てっきり通学に使っていると思っていたので驚いた。毎朝一時間もかけて徒歩で通っているらしい。バスも電車もスピードが速すぎるし混むから嫌なのだそうだ。そうは言っても毎日となると大変だろうから、今度一緒に定期券を買いに行こうかと思う。
駅前の家電量販店は、思った通り混んでいた。瑞季はエスカレーターには慣れたらしく怖がらなくなっていたが人混みには怯んでおり、前と同じように俺のリュックを掴んでくっついてきた。俺は電気屋は結構好きで、最新式のパソコンを弄ったりVRを体験したりしたかったが、瑞季には刺激が強いだろうからやめる。
店員さんに色々教えてもらって、小型の冷蔵庫と洗濯機と電子レンジを買った。もちろん今日持ち帰るわけじゃない。明日の夕方、アパートまで届けてもらえるようにした。それから近所の家具屋に行き、カーテンとローテーブルを買う。冬は炬燵にもなる優れものだ。こっちも後から届けてもらえるように手続きした。
「明日の放課後に荷物届くけど、お前一人でちゃんと受け取れる? 心配なんだけど」
「言われたところに名前書けばいいんだろ」
「いやまぁ、そうなんだけどさ。知らない人が家に上がり込むんだぞ。俺が一緒にいてやろうか」
「大丈夫だ。部屋が出来上がってからまた見に来い」
俺の勧めるものは大体買ったし、勧めてないものまで買った。手触りの良いもちもちのクッションが気に入ったらしく、店にあるものを一通り触って確かめてから、一個選んで買っていた。別に今すぐ必要な物じゃないのにと思ったけど、楽しそうにクッションを触っている姿がかわいかったので何も言わなかった。
あんな何もない部屋で、しかも慣れない都会で一人暮らしをさせられているなんて、瑞季と両親は仲が良くないのだろうかと思ったが、そのわりにお金は自由に使えるらしいのでわからない。仲が悪いわけではなく、振り切れた放任主義なのかもしれない。
買い物を終え、駅前で別れた。バスも出ているのに、瑞季は歩いて帰った。クッションを大事そうに抱えて、こちらを何度も振り返っては手を振っていた。俺も手を振り返し、瑞季の姿が見えなくなるまで見送った。しばらく帰る気にならず、そばにあったベンチに座って余韻に浸った。
うちのとよく似た赤毛の中型犬を散歩してるおじいさんが近くを通り、そういえば俺も犬を散歩に連れてってやらなきゃいけないのだと思い出して、ようやく重い腰を上げた。電車に飛び乗り、急いで家に帰った。
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