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過去の記憶と不思議な指示
「それで、それはいつの事ですの? 場所は?」
アデールの言葉は先程の質問と変化はなく、どうやら王妃候補達が聞きたいのはエヴァンが最初に城下に出た日がいつなのかという事の様だった。
何故そんな事が気になるのかは不思議だったが、三人の目が真剣そのものだったので、これは何となくではなくきちんとした日付をご所望の様だと察する。
正直な所、あまり詳しくは覚えていないのだが、このまま解放される気配は無く、幼い頃の記憶をフル稼働で引っ張り出すしかない。
「確か姉の初めての城下警備訓練の日だったので、十二年前の……寒い時期だったとは思います。移動範囲は子供の足ですのでそう広くは無く、屋敷を出てそのまま中央広場付近をうろついていたかと……すみません、正確な日時まではちょっと」
「十二年前の寒い時期で、騎士候補生が城下警備の訓練をしていた日に、中央広場辺りにいらしたのですね?」
「はい」
何故かいつもほんわかしているナタリアが、やけにしっかりした口調でエヴァンの言葉を一つずつ確認してくるのに頷くと、三人の王妃候補達はお互いに顔を見合わせながら、笑顔で深く頷き合っていた。
今の話のどこに面白さがあったのかはわからないが、王妃候補達はどうやらエヴァンの言葉をお気に召したようだ。
「ねぇエヴァン。貴方今、好きな方はいるんですの?」
「い、ませんが……?」
「好みのタイプは、どんな方ですか?」
アデールが興味津々で質問してきた内容は、唐突だった。
十二年前の話はもういいのだろうかと不思議に思っていると、ナタリアまでもがアデールの唐突な話題変換に乗ってくる。
これはもう、女性特有の話がぽんぽんと別の場所に飛ぶというあれだろうか。確かに十二年前の話をこのまま続けろと言われても、そこまで当時の鮮明な記憶がないエヴァンからはこれ以上引き出せない。
正解がよくわからないが、エヴァンにとってはこのお茶会自体が既によくわからない状況なので、ここは素直に流れに任せておくことにした。
そしてこういう時、どう言えば良いのかもちゃんと察している。
「お三方とも、とても魅力的です」
「そういう事ではありませんの!」
「えぇ?」
エヴァンは自身の恋愛を諦めている所も有り、今までに好きになった人も居ない。
特に好みというものは無いに等しいし、後宮という場所で本当にエヴァンの好みが知りたいと思う女性がいるはずがない事は、ちゃんとわかっている。
だから王妃候補の三人が、男から見てどうかという受け答えが正しいと思ったのだが、どうやら違ったようだ。
「例えば、王は如何ですか?」
「何をお聞きになりたいか、よくわからないのですが……」
「あら、言葉のままよ。エヴァンは王の事をどう思うの?」
「どう、と言われましても……俺は王にお目にかかったことがありませんし、俺ごときがどう思うか等と口にするのも恐れ多いです。αらしい良き王だとお聞きしますので、王妃候補様方とはお似合いなのではないかと……」
「だから、そういう事ではありませんのよ!」
またしても怒られた。本当にエヴァンに何を求めているのかわからない。
困惑しているとベアトリスがビシっと持っていた扇をエヴァンに差し向けながら、真っ直ぐ射貫くような目で見つめてきた。
どうやら今までのアデールやナタリアからの言葉が真剣な質問であった事は理解したが、やはり真意はわからないままだ。
「では質問を変えましょう。エヴァンは王の事が、お嫌いですか?」
「滅相もない。好きとか嫌いとか、俺が判断出来る様なお方ではございません」
「はっきりしませんわね」
「エヴァンは王にお会いした事が無いようですから、仕方ないのかもしれません」
「それも一理あります。ではそうね……Ωとしてはどう感じていますか? 王とか身分とか関係なく、生理的に合う合わないがありますでしょう?」
確かにαとΩには相性というものが大きく作用する。αが捕食者である限り、Ωがどう考えようがどうしようもない事も多いのだが、傍に居て安心するフェロモンと恐れを抱くフェロモンとに、真っ二つに分かれる事が多い。
それもやはり実際に会ってみてから感じ取る所が大きいのだが、確かに会った事がない相手でも、何となく身体が拒否する事があるのだ。あの人とは関わりたくないと強く思う。
それはΩが何一つ勝てないαから自分の身を守る為の、防衛本能というものに近いのかもしれない。あのαに近付いてはいけない、と頭では無く身体が先に拒否をして避ける様な感覚だ。
王妃候補達は恐らく、エヴァンが王に対してそれを感じているかどうかを知りたいのだろう。
例え王の事をエヴァンが生理的に拒否していても、後宮の警備という任に就いている限り、いくら気をつけていてもすれ違う位の事はしてしまう可能性はゼロではない。
かなり低い確率の話だが、もしかしたら王妃候補達はそれを案じてくれているのだろうか。それにしては、随分質問内容が遠回りな気もするが。
「お目にかかったことがありませんので確信があるわけではないですが、Ωとして王を恐れた事はありません」
父や兄姉から聞いた話や世間一般的な噂程度にしか、本当に王の事は知らない。だが、αの王を怖いと感じた事は今までなかった。
そう感じていたなら、いくら名誉ある任だとしてもこの後宮という王の住まう城に程近い場所で警備をする事を、二つ返事で了承したりはしない。
エヴァンに見えていない部分だって恐らく沢山あるのだろうけれど、王としてはまだ年若いにも関わらず、戦いの無い平和な世を長く守ってくれていて、尊敬出来る良き王だと思う。
歴代の王が見向きもしなかった、Ωの地位向上にも尽力してくれている希有な王だという噂もあり、どちらかと言えば好意的な感情を持っていると言ってもいい。
何が聞きたかったのかエヴァンには結局の所全然わからなかったが、その答えはようやく王妃候補達の望むものに近かった様だ。三人はほっと息をついていた。
「エヴァン、貴方今日は確か朝まで警備でしたね」
「はい。今日はこのまま朝までお守りさせて頂き、明日はお休みを頂く予定ですが……」
「よろしい。では月が真上に上がる時間、必ずここに居なさい」
「え? ご用でしたら今、伺いますが……?」
「今夜でなければなりません」
話題が変わった事にほっとしつつ、エヴァンのシフトを正しく知っていたベアトリスの管理能力に驚かされた。
そしてそれ以上に、王妃候補が一介の警備兵を、真夜中と言える時間に呼び出す指示をした方が驚きだ。
Ω同士で気安い関係でいて貰えているとはいえ、男女の別というものはある。王妃候補である女性と夜中に会う等、言語道断だ。いくらΩ同士なら子を成せないとはいえ、肉体関係が持てない訳ではない。
だが王妃候補の言葉を強く否定するわけにも行かず、やんわりと用事なら夜で無くともと訴えてみたが、きっぱりと断られてしまった。
王の運命が見つからなければ、愛が無くても王妃になってみせると言った候補達が、王に対して不義理を起こすとも考えられない。何よりエヴァンでは相手にならないだろう。
「は、はぁ……」
真意がわからず頷けないでいるエヴァンを横目に、ベアトリスは自身の女官を呼んで、何やらスラスラと手紙を書き始める。
貴族の令嬢によくあるただのわがままな命令という感じもしないので、アデールやナタリアに助けを求めるように視線を向けてみるが、二人はにこにこと笑うだけでベアトリスに意見をしてくれる気配はない。むしろベアトリスがエヴァンに何を求めているのか、二人は知っていて口を出さないでいる様だ。
「必ずですよ」
書き終わった手紙を受け取った女官が、それを何処かへ届けに去って行くのと同時に、ベアトリスに強く指示をされ、そうして今日のお茶会は幕を閉じた。
王妃候補の三人がどこか嬉しそうというか満足そうな表情で解散していく後ろ姿を見送りながら、エヴァンはその場にぽつんと一人取り残される。
片付けを始めた女官達に視線を向けて、もし何か知っているなら教えて欲しいと訴えてみるが、彼女達は顔には出さないだけで普通のβ同様に主人以外のΩを快くは思っていない様子で、いつもの如く無言でさっさと仕事を終え、それぞれの主人が住まう屋敷に戻っていった。
「仕事、するか……」
結局、王妃候補達との会話は謎だらけだったが、よく考えてみるといつものお茶会での王妃候補達の会話の内容もそう変わらない。
いつも聞き役に徹しているのに、今日はいつもより話に巻き込まれた分、わからない事が多かっただけの事だろう。
そう納得させ、大きく伸びをすることで気分を一新し、エヴァンは改めて護衛任務に戻っていった。
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