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想いの行方

「ふ……ぅん、ん……」  僕は嵐に揉まれる小舟のように、ぐらぐらと目眩が止まらなかった。どうして。何で。こうなった。  佐々木(ささき)課長が呑みに誘ってくれたのは、二人で残業して二十一時過ぎの事だった。疲れてたし、長い間隣に座ってはいたけれどおしゃべりは出来なかったし、何より初めての誘いで嬉しかった。  行きつけだというバーに入って、格好つけてブランデーをロックなんかで呑む。忙しさにあまり酒を呑む機会はなかったから、自分の限界量を知らなかった僕は、気が付いたら見知らぬ部屋でベッドに寝かされていた。 「ん……?」  初夏の気温には、ワイシャツとスラックスでは暑い。肌に触れるタオルケットのサラサラとした感触で、僕はTシャツとハーフパンツに着替えさせられている事を知った。 「あれ……?」  ここ、何処だ? ぼんやりと、温もりのある隣を見やって僕はギョッとした。背中を向けていたからにわかには分からなかったけど、誰か寝てる! 慌てて上半身を起こすと、僅かに癖のある黒髪が振り返った。 「あ、起きたか宮城(みやぎ)」  上半身裸の佐々木課長だった。多分もう三十代半ばを過ぎてるだろうに、贅肉はなくしなやかな筋肉が白く光っている。  え、僕、課長と……? そう考えて、真っ赤になって口篭もる。 「あ、あのっ……僕、酔っ払って何も覚えてなくて……」  女なんか取っ替え引っ替えで、百戦錬磨の筈の僕は、感じた事のない焦りと恥ずかしさに目を泳がせる。今まで目を逸らしてきた課長への気持ちに、気が付いてしまった。  シリアスな空気の中で、課長がぷっと噴き出す。あ……こんな優しい顔、初めて見た。 「勘違いしてるな、宮城。お前が酔い潰れたから、俺んちに運んだだけだ」  課長も身体を起こして、可笑しそうにくつくつと笑う。だけど次の瞬間、顎に親指の腹が当てられた。ユーモアのセンスがあって女子社員にもウケの良い課長の事だから、これもジョークだったのだろう。 「それとも、『そう』なった方が良かったか?」  悪戯っぽい表情が、グッと近付く。 「あ……」  情けなくも、僕は反射的に、目を閉じてしまった。そして、冒頭に戻る。激しいキスが、chu、と音を立てて離れていく。  僕は混乱しながらも思った。このままじゃ気が済まない。男が廃る!  課長の華奢な項に両腕を回し引き寄せ、今度は僕が主導権を握った。歯列をなぞり、上顎の奥を攻め、舌に柔らかく歯を立て、激しく吸う。 「んン……は、ぁっ……」  掠れ声を鼻に抜けさせて、課長が喘ぐ。課長の舌は熱くて甘くて、焼き立てのパンケーキにかかった蜂蜜みたいな味がした。  銀糸を引いて身を分かつと、課長はトロンと快感に潤んだ瞳で僕の前髪の辺りに視線を彷徨わせる。課長……壮絶に色っぽい。 「課長……安心してください。責任は取ります。結婚しましょう」 「えっ」  思わずといった風に顎が上がると、色素の薄い瞳の中に、僕の柔らかな笑みが咲いていた。 「僕、ずっと貴方が好きでした。面接の時から。一目惚れです。だけど、『優等生』の貴方が僕の事なんか相手にする訳ないって、諦めてました。でも」  僕より一回り薄い身体を、腕の中に抱き込んでしまう。 「貴方も僕の事意識してるって分かって、止められませんでした。結婚しましょう、佐々木課長」  二〇八三年現在、日本では全国で同性婚が認められている。その言葉は、比喩でも気休めでもなく、賞味のプロポーズなのだと噛み締める。課長の体温が上がったのを感じた。 「お……おう。でもそのっ……心の準備が……」  蚊の鳴くような声で必死に綴られ、僕は課長を抱き締めたまま、耳の先に唇を触れさせた。 「はい。分かってます。貴方が良いって言うまで、幾らでも待ちます。結婚式は、二人だけで挙げましょうね」  思わぬ展開になった。その日僕たちは抱き締め合って、ドキドキしながら羊を数えて眠りについた。 End.

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