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ぎゅってして
別に金には困っていない。だが、この職業を辞めようとも思わない。客は選ぶがね。いわゆる、高級娼夫というやつだ。
上質なキャメルのトレンチコートを風に靡かせて、私はいつものように街角に立つ。
それは、夕立が上がった午後だった。ホテルの軒先で雨宿りをして、もう帰ろうかと思い始めていたが、空に鮮やかに虹がかかり柄にもなく帰らなくて良かった、などと思い見上げていた時だった。トン、と不意に身体に衝撃が走る。
「ん?」
見下ろすと、小柄で華奢な痩せっぽちの影が、胸の中に居た。客か。頭から爪先まで濡れネズミで、抱き着く前にもう少し考えて欲しかった、と思う。
「……ってして」
か細く掠れた声が上がる。
「何だ?」
訊き返すと、縋りついた掌が、トレンチコートの前をくしゃりと握る。
「ぎゅってして。……優しく」
その声が余りにも頼りなく震えていたから、思わず私は従った。抱き締めると、身体も小刻みに震えているのが伝わってくる。
無言で、五分ほどもそうしていただろうか。腕の中の人物はパッと顔を上げ、眩しい笑顔を見せた。
「アンタ、優しいね。思った通りだ。はい、これ」
そう言った顔は、濃いアイメイクを施した美しい少年だった。無造作にポケットに手を突っ込むと、二つ折りにした札を出して、私に握らせる。
「おい、待て。何もしていない……」
「ぎゅってしてくれたでしょ。だから、相場の半分!」
言いながら、身を翻して走り出す。水溜りをふわりと跳び越して、伸びやかな肢体はあっという間にホテル街の裏路地に消えた。
「何だったんだ……」
仕事をする気が萎えて、その日私はそのまま帰路に着いたのだった。
* * *
それから、ちょうど一週間目の事だったと思う。休日で朝から街角に立ち忙しかったから、よく覚えている。
ふと人の波が途切れた時、少し離れたホテルの出口から、罵声が聞こえてきた。最初に値段を提示せずふっかける奴もいたから、そんな揉め事はしょっちゅうだった。
──ドカッ。
「ヒッ! ごめんなさっ……」
続けざまに、肉をぶつ鈍い音が聞こえてくる。暴力沙汰になっているのは明らかだ。私は声が聞こえる方へ駆け出した。
「殴るなら、顔以外にして、働けなくな……っ」
道路に尻餅をついている黒いシャツにジーパンの少年を、中年の男が今まさに踏みつけようとしていた。
「一人前に働いてから言え!」
私は全速力で走り、その勢いのまま男に体当りして暴行を阻止した。男が吹っ飛んで、目を白黒させる。
「な……何だお前は!」
私は身なりが良い事を利用した。
「この子の上得意だ。もう気が済んだだろう。これ以上暴力を振るう気なら、警官に金を握らせて暴行罪で訴えるぞ」
男は、道に散らばっていた札を大急ぎで拾い集めると、そそくさと去っていった。後に残ったのは、片目が紫色に腫れ上がった少年だった。
「どうした? 大丈夫か?」
片膝を着いて顔を覗き込み、私は一瞬言葉を失った。抱擁だけを求めて消えた、あの日の少年だったからだ。
「お前も男娼だったのか。怪我は?」
「大丈夫……僕が悪いんだ。お金だけ盗ったから」
溢れる涙を拭って、少年は力なく笑う。無理に笑顔を作っていたが、私もそれに乗って冗談めかして言った。
「とにかく、今日はもう帰った方が良い。アイラインが滲んで、まるでパンダだ」
「はは。でも、帰る所……ない」
図太くなければ、この商売は勤まらない。少年は、男娼にしては酷く儚く呟いた。
「では、私の家に来い」
男娼なら一夜の宿に困らないくらいの金は持っているだろうと思ったが、それでも「帰る所がない」という少年に、無性に保護欲がわき起こった。
「着いてこい」
* * *
「名前は?」
暖かいミルクティーをテーブルに出すが、少年はキョロキョロと部屋の中を見回していた。十七階建てのマンションの最上階が、私のねぐらだった。
「名前は?」
私は辛抱強く、もう一度訊いた。
「あ。コヴィ」
「私は『シリウス』だ」
「シリウス? 星の?」
「通り名だ。コヴィは本名か?」
「うん」
名を呼ぶと、コヴィは酷く嬉しそうに微笑んだ。素顔は、まだあどけないと言っても良いベビーフェイスだった。
「男娼として生計を立てていくなら、客から金を盗ったりしない事だ。口コミは意外と広がるのが早い」
私もテーブルに着いてブラックコーヒーを飲みながら男娼の心得を語ると、コヴィは途端に笑顔を曇らせて俯いた。
「いや……あの……」
「……もしかして、初めから盗るつもりだったのか?」
「違う! 僕……客を取ろうと思ったけど……恐くて、でもお金がなくて……仕方なく……」
尻窄みに言葉が消える。恐くて? では、コヴィは。
「まだ客を取った事がないのか?」
「……うん。アンタに会った日、初めて客を取ろうと思って……やっぱり、お金を盗ったんだ。恐くて、心細くて、誰かに抱き締めて欲しかった所に、アンタが眩しそうに虹を見上げているのが見えて。思わず抱き付いちゃったんだ」
私は自分の中の保護欲が、ますます大きくなるのを意識した。この幼さの残る少年は、まだ誰にも身体を開いていないのだ。
「恐いなら……私が教えてやろうか。どうやって客を取れば良いか」
「あ……でも、僕、お金持ってない」
「別に買って欲しい訳じゃない。教えてやるだけだ。金は要らない」
狼狽える視線に、安心させるように目元で笑むと、コヴィは耳の先まで赤くなった。
「シャワーを浴びてこい」
「あ……さっき、浴びた」
「そうか。私も浴びている。では、ベッドルームへ。コヴィ」
私は立ち上がって掌を差しだし、誰も入れた事のない、ベッドルームへコヴィを導く。立ったままシャツのボタンをゆっくり外して脱がせると、コヴィは焦げ茶色の巻き毛をふるふると揺らして震えていた。
「恐くないぞ、コヴィ。優しく愛してやろう」
少しでもコヴィがリラックス出来るよう、私は饒舌に会話を続けた。私もシャツを脱ぎ落とし、キングサイズのベッドにそっと押し倒す。
「そう言えば、何故相場を知っていた?」
「男に拾われたんだ。男娼として働かないか、って」
「なるほど。そこにはもう、帰れないのか?」
帰す気などさらさらなかったが、話のついでに訊いてみた。
「うん。僕がお金を盗ったって、客が男に言ったから……また、捨てられた」
「心得その一。客とキスはしない事。するとしたら、金を取ってしろ」
「うん」
「だが今は仕事ではない。今だけは、お前は私のものだ」
「んっ……」
しっとりと潤った唇を食み、角度を変えて幾度も愛おしむ。差し出された舌を柔らかく吸ったり噛んだり舐めたりすると、掠れ声が鼻から抜けた。
何年も仕事の為に男や女を抱いてきたが、感じた事のない興奮に、私は血液がドクドクと音を立てて下肢に集まっていくのを驚きと共に受け止めていた。
「心得その二。キスマークは残すな」
「あ、んぁっ」
胸の尖りを両手の親指で引っ掛けて押し潰すように捏ねると、コヴィの身体が強ばって弓なりにしなった。
「聞いているか? コヴィ」
「ん、シリウスの、意地悪ぅっ」
その可愛い非難に、思わず頬が緩んでしまう。
「そんなにイイか。では、今はただ、感じろ」
ジーパンのジッパーを下ろして下着ごと脱がせると、薄い茂みの中心に、そこはもう勃ち上がっていた。上半身から下半身へと口付けを落としながら下がり、透明な雫を零すそこを口に含む。
「えっ、や、駄目ぇ……っ」
形ばかりの拒絶の言葉は無視して、舌を巧みに使って快感を引き出す。
「あ・やぁ・出るっ……出ちゃうっ!」
言い終わる前に、若いコヴィの雄からは、愛液が放たれた。コヴィはキツく瞼を瞑り、シーツを握り締めて荒く息をついていた。
「あ……は……」
弛緩しきったコヴィの肉付きの薄い身体を裏返すと、腰を掴んで尻だけを高く上げさせる。ツンと上向いた尻の谷間に親指をかけ割り開き、口内に溜めていたコヴィの愛液を塗り込むように舌をねじ込んだ。
「やんっ」
コヴィの身体がビクビクと揺れる。白濁を全て注ぎ込むと、私は中指を一本、その狭い孔に忍ばせた。
「は……」
「力を抜け、コヴィ」
「無っ……理」
前に片手を回して分身を扱き、片手は中指を腹側に折ってイイ所を探りながら注挿し、舌では繋がった箇所をチロチロと舐める。零すように意味の成さない呻きを上げていたコヴィの腰が、ビクンと跳ね上がった。
「アッ!」
「ここか」
私は指を二本に増やし、そこを執拗に攻める。ヴァージンのコヴィは、大仰なほど声を裏返らせて喘いだ。
「イイだろう、コヴィ?」
「んぁっ・あ・イイっ!」
片頬を枕につけて横顔を見せているコヴィの顔色を窺うと、整った紅顔は快感を訴えてくしゃりと色香を滲ませていた。
二本の指で狭い孔を押し拡げ、腸壁を擦る。やがてそこは自然と収縮しだし、充分に花開いてピンク色の内部を垣間見せた。
私はごくりと喉を鳴らし、スラックスのジッパーを下げる。灼熱を取り出すと、コヴィが痛みを感じぬように少しずつ進んでいった。
「痛くないか、コヴィ」
「痛く・ないっ、早く・きてっ」
哀願するような艶のある声が上がる。
セックスをコントロールする事など容易い筈だったが、堪らずに私は、最奥まで突き入れた。角度を調節し前立腺を擦って突き上げ出す。
「は・んっ・アッ・アァッ」
ペチペチと、微かな音が聞こえている。反り返った若いコヴィの雄が、私に揺すり上げられ腹筋に当たって跳ね返る音だ。何年も『仕事』として行ってきたセックスに、私は初めての興奮と悦を感じていた。
再び前に手を回して、揺れるコヴィの分身を掴んで捻りを加えて扱き出す。後ろだけでも大声を上げていたコヴィは、高く叫ぶようにして喘いだ。
「やぁっ! だ・めっ・イくっ!」
「イけば良い。思い切りイけ。……一緒にイくぞ、コヴィ」
大きく前後に腰を使うと、コヴィが泣き声を上げた。そして私たちは、脈打つようにして同時に絶頂を迎えていた。
「あぁん・イイっ! シリウス・大・好き──……!!」
「愛している、コヴィ……!!」
思わず言葉が口を突いた。私は……何と言った? 後ろから、泣きじゃくるコヴィを抱き締め、瞳を閉じて考える。
イく瞬間の戯れ言、と片付けてしまうのは簡単だった。だが、セックスがこれほど気持ちいいものだと初めて感じたのも確かだった。
「あっ」
楔をコヴィから引き抜き、横向きに向かい合って横たわらせて、溢れる涙を親指で拭った。
「大丈夫か?」
「ん……気持ち、よかった……」
涙の粒が光る長い睫毛を上げると、コヴィは笑った。寂しそうに。
「恐くない、って分かったから、これで働ける……アンタが最初で良かった。絶対忘れない」
働く? 嗚呼そうか、客を取るのが恐いと言っていたから、抱いたんだったな。そんな基本的な事さえ忘れるほど、私はコヴィに心酔していた。
「客は取るな。……いや。客は私だけにしろ。お前の一生分を買ってやる」
「え?」
「お前が働きたいなら客を取っても良いが、客は私だけにしろと言ったんだ。お前を愛している。自分でも信じられない事にな」
「な……何だよそれ。ズルいよ、シリウス。僕の事は独占しておいて、自分はまた街に立つんだろ?」
言われてみれば、もっともな苦言だ。私は即決した。
「では、身体は売らない。私はもう、一生分の財産を持っている。雑貨店でも開いて、暮らしていこう」
「それ、僕でも働けるかな」
「ああ。コヴィは何が好きだ? 好きなものを売れば良い」
「……花かな。ピンクの秋桜 が一番好き」
「花か。ならば、劇場や病院の近くに店を構えれば、それなりに売れるだろう。共に暮らしてくれないか、コヴィ」
コヴィは、見る見る内に件 の秋桜色に頬を染めた。
「それ、口説いてるの?」
「違う。プロポーズしているんだ」
「シリウス……!」
感激とも非難とも取れる口調に、語尾が跳ね上がる。私はそっとコヴィの項に掌をかけて抱き寄せると、耳元で囁いた。
「悪かった。正式に言おう。私と結婚してくれないか? コヴィ」
「う。……うん」
今度は打って変わって気恥ずかしそうに、小さく呻きが返ってきた。今まで一人が気楽で、誰かと共に生きたいなどと思った事はなかった。コヴィが私に、愛する事の素晴らしさを教えてくれた。
「愛している、コヴィ」
「うん。大好き。シリウス」
私たちは抱き締め合い、飽く事なく触れるだけの口付けで愛を確認した。あの日の夕立と虹に感謝しながら、私はもう一度コヴィの身体に薔薇の花びらのような所有印を散らすのだった。
End.
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