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最終章 : 3 (了)

 松葉瀬の家に着いた二人は、そのまま寝室へ向かった。  言葉は交わさず、ただひたすらに……互いを貪る。  ベッドになだれ込んだ二人は、何度も何度も唇を重ねた。 「ん――は、っ」  ようやくキスが止まったのは、矢車が松葉瀬から顔を逸らしたとき。  松葉瀬は眉間に皺を寄せつつ、それ以上の深追いはしない。  矢車が、なにかを言いたげにしているからだ。 「……ねぇ、センパイ?」  潤んだ瞳を向けてくる矢車を、松葉瀬は黙って見つめる。  無言の催促を受けた矢車は、松葉瀬が望むままに……言葉を続けた。 「……ボクの名前、呼んで……っ?」 「あー……? お前の名前、何だっけな。苗字すら思い出せねェわ」 「茨田課長を脅した時に使った録音のデータでは、しっかりと名前を呼んでくれてたんですけどねぇ?」 「忘れた」  アルファ差別に対するもの以外の怒りを、松葉瀬はあまり思い出したくない。  ましてやそれが、矢車を心配したからこその怒りだなんて……思い出したくないにもほどがあるのだ。  矢車のワイシャツを、松葉瀬は手早く脱がせる。  上半身を晒された矢車は、視線を彷徨わせた。 「センパイ、電気……っ」 「今更かまととぶってんじゃねェよ」 「人並みの恥と矜持ですぅ」  矢車の手首を掴み、松葉瀬はシーツに押し付ける。  それでも矢車は、一切の不愉快さを見せなかった。 「ほんと、センパイって人間のクズ。……こんなのが皆憧れるアルファだなんて、現実は非情ですねぇ? 世も末ですぅ」 「だったらテメェは、オメガにとって希望の星だろうな」 「絶望を愛するボクが、希望の星ですって……? あっははっ! 何ですかそれ、くっさいセリフぅ! 爆笑不可避ですよぉ、あははっ!」  足をバタつかせて笑う矢車を、松葉瀬は冷ややかに見下ろす。  軽蔑しているのではなく、一切取り繕っていない普段の表情で。  目尻に涙を溜めた矢車は、自身の上にのしかかる松葉瀬を見上げた。 「……でも、もしも本当にそうなのだとしたら……それって、センパイのおかげなんですよねぇ? 皮肉なことに、ですけど」 「あァ?」 「怖い顔ですねぇ? ……どうですかぁ? 自分より劣るオメガを喜ばせることしかできない、低能アルファに成り下がった気分は」  台詞自体は、あまりにも寒々しい。  しかし、矢車は笑顔だ。  それに対して……松葉瀬も、笑みで応える。 「――お前が思ってるほど、悪くねェよ」  ほんの少しだけ。  松葉瀬は【自分がアルファである】という事実を……好きになれた気がする。  それが誰のおかげなのか……誰のせいなのか。真下にいるオメガのように、言葉では伝えることができない。  それでも松葉瀬は、ほんの少しだけ……譲歩してみる気になった。 「つゥか、お前こそ俺の名前呼べよ」 「うっわぁ。センパイってほぉんと、自分勝手で――」 「――菊臣」  掴んでいた矢車の手が。  ピタリと、硬直した。 「ホラ、菊臣。……俺の名前、呼べるよな?」 「……っ」 「どうした、菊臣?」 「……わ、忘れ、まし……た……っ」  真っ赤になった顔を背ける矢車の顔を、松葉瀬は乱暴に掴んだ。 「泣かす」 「酷いですっ! だって忘れ――ん、っ」  喚く口を、松葉瀬がキスで塞ぐ。  すぐに離れた松葉瀬の顔は、少しだけ優しく……微笑んでいた。 「こんな人に今から抱かれるだなんて、絶望的……っ。……大嫌いですよ、陸真センパイ」 「奇遇だな、菊臣。俺もだ」  そう言って、二人は見つめ合い。  そのまま、笑い合った。 最終章【どうしようもなく絶望的で、だからこそ希望に満ちた世界】 了

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