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第1話

「……樹」 「……」 兄が、出て行った。 俺の声に応えることなく、〝真純〟って、俺の名前を呼ぶこともなく。 高校の卒業式のこの日、樹の転がす小さなキャリーバックの音だけが俺の耳に残っていた。 こんな、寂しい別れ方ってあるだろうか? こんな、胸が痛いのって……今まであっただろうか? 理由は明白だ。 俺が……俺が、告ったから……。 だって、どうしようもなかったんだよ。 ずっと、ずっと、好きだったんだから。 母さんに手を引かれて、立派なレストランに連れて行かれてさ。 そこにいたのは、人懐っこい笑顔の背の高いオジサンと。 オジサンによく似た、俺より少し背の高い男の子がいて。 ーードキッと、した。 そんな、男の子相手にドキッとなんて……俺、どうかしてるって。 だから、その時のドキッは、違うドキッだって思っていたんだ。 きっと、これから楽しいことがおこる、そんなドキッーー。 俺は八歳で、その子は……樹は十歳で。 俺と、樹は、すぐに……本当にすぐに仲良くなって、すぐに家族になって。 本当の兄弟みたいに、いつも一緒に過ごして。 一緒に野球をして、中学に入ったら樹の後を追うようにバレー部に入って。 頭のいい樹に置いてかれないように、勉強だって頑張ったのに……。 兄、だったのに……。 その〝兄〟という言葉が、重く俺にのしかかってきたのは……いつからだったのか。 高校に入って、一人先に大人になっていく樹に、俺はどんどん置いてかれるような感じがした。 溝が広がる……。 今は兄弟だけど、大人になったら? 結婚したら? 子どもが産まれたら? 俺たちは兄弟のまま、死ぬまでその関係をたもてるのだろうか?  それとも……。 どうにもならない感情に身も心も苦しくて、哀しくて……。 その時、初めて樹に会った日のことを思い出した。 そうか、あのドキッはーー。 最初に感じた、〝好き〟って感情のドキッだったんだ。 毎夜、毎夜……声を押し殺して、頭では樹を想像して。 前を弄って、欲求と願望を解放する。 ……そして、ドン底まで後悔して、涙が止まらなくなるんだ。 一度でいい、一度でいいから……樹と。 「……樹」 「なんだ、真純? 具合悪いのか?」 下着も脱ぎ捨て、手も足も汚した最悪の状態で、俺の部屋のドアが開いた。 布団なんて被る余裕もない。 泣きながら、ベッドに横たわる恥ずかしい格好の俺。 そんな俺に、樹は絶句してドアの前で立ち尽くす。 ……もう、何も言い訳できないと思った。 「好き……なんだ。樹」 「……」 「一度でいい。好きにならなくていいから……」 「……」 「抱いて欲しい……樹」 きっと樹は、ドン引きして部屋を出て行くんだろうな、って思ってた。 兄弟には戻れない、というか。 八歳以前の、元の他人の関係に戻るだけなんだって思ってたんだ。 「……樹?」 「……真純!!」 「ッ?!」 ドアのところにいた樹が、俺に飛びかかるように覆い被さる。 あまりに突然のことに。 抵抗した俺の手首を押さえて、樹は貪るようにキスする。 「んッ……んぅ……」 樹の冷たい手や舌先が、俺の胸や足の間を弄る度に。 今までに感じたことのない熱量と、感覚が一気に俺を襲ってきて。 ……息があがる、体が仰反る。 「っあぁ……はぁ……」 「……」 手や舌先とは裏腹の、熱いくらいになった樹のが俺の中に入ってきて。 その奥を激しく突いて、俺を侵略する。 俺は、願いが叶って幸せなはずだったんだ。 ……でも、樹は一言も言葉を発しなくて。 「真純」って、名前すら呼んでくれない。 視線すら……合わない。 その時、俺は初めて気付いた。 俺は、樹とこうなりたかったんだけど。 樹の心までは、俺と寄り添うことは決してないんだって。 心を通わせなくても、肌を重ねることはできて。 ……樹は、俺のせいで一生背負わなくてはならない、後悔を背負ってしまったんだということに。 俺は気付いたんだ。 それから、俺たちは〝兄弟〟として必要最低限のことしか絡まなくなって……。 樹は〝兄〟として、俺の前から消えた。 あれから、二年。 俺は卒業証書を手に、学校の門をくぐった。 さて……これから、どうしようかな? 兄とは別の大学に行く予定だし、一人暮らしをする部屋だってまだ決めてないし、やることはたくさんあるんだけど。 まだ俺は、なんとなく樹のことを引きずっていたから。 思わず、苦笑いをしてしまった。 「まだ、ボタン。残ってる?」 そう、背後で聞こえた声に、俺はドキッとした。 このドキッーーは、そう……。 「……樹……?」 「残ってたら、オレにくれない?」 「……」 そう、屈託なく笑う樹の笑顔が。 あの人懐っこい、俺が好きだった笑顔で。 声を発したかったのに、涙で喉を詰まらせたみたいになって、変な嗚咽が口をついでる。 「遅くなってごめん。真純」 「な……んで……?」 やっと発したかった言葉と同時に、恥ずかしくなるくらい俺の目から涙が溢れ出る。 「ずっと考えて、ずっと準備してたから。真純とオレが幸せになる方法」 「……」 あまりのことに、立ち尽くすことしかできない俺に近づいだ樹は。 ギュッと、抱きしめて耳元で囁いた。 「好きだ、真純」 「……樹」 「ズルすぎるんだよ、真純は。……オレから告る予定だったのに。あんなムラッとする格好で告りやがって。大切にしたかったのに、猿みたい真純とヤッちまって、オレだって後悔ばっかで辛かったんだぞ?」 「っっ!!」 「辛い思いさせて悪かったな、真純。これからは、もう……そんな思いをさせないから。……一緒に帰ろうか、真純」 「……な……んだよ……! 樹のバカッ!!」 だったら……だったら! あの時、ちゃんとそう言えってば!! こんなに、悩まなくても……暗い高校生活を送らなくてもよかったんじゃないのか?! 「怒るなって」 「……怒ってない! 怒ってるけど、怒ってない!」 そう、怒ってるよ?  でも……今、俺の胸のドキッが。 すごく明るい未来を予感しているドキッで。 嬉しくて、ムカついて、涙が止まらないんだ。

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