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カケラ

 そっくりだ。目の前にいるこのガキは、あいつにそっくりだ。 「郡司、郡司、ご飯! 俺、ご飯作ったよ!」  玄関に入るやいなや、風太は俺に駆け寄りそのまま押し倒す勢いで飛び付いてくる。俺はそれを避けることもなく、かといって受けとめるでもなく。衝突事故のようにただぶつかられ、自らもドアに身体を打ち付けた。  そっくりだ。この欝陶しさ、この煩わしさ。出会い頭数秒で人を苛つかせる。  姉貴の息子、つまり俺の甥の風太は、今年で15歳になるというのになんとも幼い。幼稚園児並だ。これでもまだ褒めてる方だ。実際俺はそこらの犬とそう変わりないと思っている。犬の方がまだ可愛い。  介護職に勤める姉貴が夜勤の時は、弟で独り身の俺がこうして姉貴の家に呼ばれ、風太の面倒を見なければならない。小学生の頃ならともかく、もう中学生なのだからひとりでも平気だろうと何度も思ったが、それを口にしたことはない。 「郡司、郡司、あのね、今日はパスタなんだ! レトルト!」 「ああそう‥‥」  レトルト! と何をそんな誇らしげに主張しているのだろうか。茹でた麺に温めたソースを絡めるだけのそれが、風太の中では立派な料理らしい。  引きずられるように連れてこられたキッチンの鍋の前で、俺は隠すこともなく深いため息をつく。これから一晩、こいつと過ごさなければならない。ハッキリ言って苦痛以外の何物でもない。 「偉いでしょ? 作ったんだよ! 俺が! 郡司のために!」 「あーはいはい偉い偉い」  俺のためを思うのならもう少し料理らしい料理を作ってほしいものだ。こんなもの小学生にだってできる。と思っても面倒だから口にはしない。  何度目かのため息をついた時、横でチョコマカ動いていた風太がぴたりと止まり、じっとこちらを見上げてきた。何か期待を込めた、欝陶しい眼差しで。 「なんだ」 「撫でて!」 「は?」 「俺頑張ったんだよ! だから郡司、撫でて」  風太は俺の手を両手でがっしりと掴み、撫でて撫でてと上下左右にブンブン振り回す。眩暈がするほどうざったい。が、俺はまるで工場の機械かのように腕を上げ頭を数回撫で、また下ろすという動作を躊躇いもなくやってのけた。そこに感情はない。  風太が嬉しそうにはにかむ。あぁ、そっくりすぎて嫌になる。何もかも。  風太の父親は姉貴より年下だった。あいつは俺の、高校時代の同級生だった。  俺の家に遊びに来ては当時大学生だった姉貴と三人で飲んだり喋ったりしていた。そうしているうちに姉貴に惚れてしまったのだという。  それからは事あるごとに姉貴にまとわりつき、美穂ちゃん美穂ちゃんとまるで犬のようにくっついて回り、時折撫でてもらえるその瞬間、それだけが至福かのような犬根性丸出しのやつだった。  最初は欝陶しがっていた姉貴もいつの間にやらかほだされ、懐妊。できちゃったねアハハと結婚。父親そっくりな風太の誕生。そして‥‥  目まぐるしかった。生活も心も何もかも。常に嵐の中にいるような毎日だった。  その嵐も今ではぴたりと止んでいる。穏やかな静寂の中。あれから一度も、俺の日常に風が吹くことはない。 「郡司、郡司! お風呂入るよね?」 「ああ」  夕飯を食べ終え食器洗い機に食器をセットしていると、後ろから風太がソワソワとした様子で話し掛けてきた。俺の返事にパッと顔を綻ばせた風太は、また俺の手を掴み風呂場へと引っ張っていく。 「もう沸いてるよ! 丁度いい湯加減だと思う」 「そりゃどーも」  風太はちょっと待ってね、と言うと洗面所の戸棚から何やらカラフルなボトルを取り出した。 「これ、あのね、入浴剤でね、すごい泡が出るんだ! 外国のお風呂みたいになるんだよ!」 「いらねえよこんなん‥‥」  泡なんて邪魔臭い、と言うと、風太はでも、でも、とまだ何か言いながらボトルの蓋をいじっていた。俺が喜ぶとでも思ったのだろうか。どうせならバブの方がいい。 「使いたきゃ自分で勝手に使えばいいだろ」 「俺、ぐ、郡司と一緒に‥‥」  風太が言いかけた言葉に俺は今日一番のため息を吐いた。心なしか頭も痛くなってきた気がする。本当にそっくりだ。あいつもこうやって俺のためだからと言って結局は自分の気持ちを押し通したいだけの自分勝手なやつだった。要するに押し付けがましいんだ。 「一緒になんだよ」 「い、一緒に‥‥入りたい」 「狭いだろ」  気持ち悪いだろ、とは言わない。さすがに言えない。風太は今にも泣きそうな顔をしている。 「狭くてもいいよ、いっぱいくっつけば入れるよ」 「いっぱいくっつきたくないので遠慮します」 「せ、背中も流すよ! 背中だけじゃなくて、全部洗ってあげるよ!」  どこのソープ嬢だ。  全身から嫌ですという空気を発してるのに全く気付かない、気付こうとしない。俺が、俺がと暑苦しい。若手芸人のようだ。 「前は一緒に入ってくれてたじゃん!」 「それはお前が5、6歳の頃の話だろ。精神年齢は変わらずともお前はもうちん毛の生えた立派な中学生だ」 「俺‥‥ちょっとしか生えてないもん」 「そりゃお気の毒に」 「郡司ぃ‥‥一生のお願いだから!」 「ガキはすぐ一生のお願いとか言う」 「お願い‥‥あと今日一緒に寝たい、一生のお願い」 「さりげなく一生のお願い増やすなよ」  その後、まだ何か喚く風太を洗面所から追い出し、結局ひとりで風呂に入った。当たり前だ。なんだってあんなうるさいガキとわざわざ身を寄せ合って入らなければならないんだ。気持ち悪い。  風呂から上がると、さっきの入浴剤のボトルを抱えた風太が不貞腐れたようにだらしなくソファに座っていた。 「上がったぞ」 「これ、すごくいい匂いするのに‥‥」  未練たらしい。よっぽど使ってもらえなかったことがショックだったのか、それとも一緒に入れなかったことが悲しかったのか。風太は恨めしそうに俺を一瞥すると、ボトルを大切そうに抱え直しそそくさと洗面所へと消えていった。  しばらくすると風呂場のドアが閉まる音とシャワーの水音が聞こえてきた。それを確認してから俺はようやくソファに腰を降ろした。 「‥‥帰りてえ」  独りごちて、リビングに飾られた写真立てに目をやる。風太とそっくりなあいつが笑っている。 *** 「‥‥郡司、郡司」  必ず、二回呼ぶ。郡司、郡司、美穂ちゃん、美穂ちゃん。あいつの癖のようなものだ。 「郡司‥‥」  応えてやれば良かったのだろうか。あいつが姉貴に惚れる前に。俺だけを見ていた時に。  誰かに好かれるだなんて初めてのことだった。だからそれがたとえ同性だとしても、少し嬉しくて。でも踏み込む勇気もなくて。付かず離れずの距離を行ったり来たりして、そのうち、いつか、だなんて‥‥そうして先延ばしにして、俺はあいつとの間に何を求めていたんだろう。 「郡司、風邪引いちゃうよ」 「ん‥‥」  しっとりと湿った感触が頬を撫でた。薄く開いた視界に、ぼやけた輪郭が映る。‥‥風太だ。 「風邪引くってば‥‥寝よう、郡司。一緒に寝よう」 「‥‥一緒には寝ない」  どさくさに紛れて何言ってやがる。  いつの間にかソファで寝てしまっていたらしい。風呂から上がったままだった髪はすっかり乾ききっていた。 「ぐーんーじ」  俺を揺すっている風太から俺とは違う匂いが漂ってくる。妙に甘ったるい。あの入浴剤を使ったのだろうか。 「ちゃんと風呂洗ったか?」 「洗ったよ」 「そうか。んじゃ俺はそろそろ寝るわ‥‥布団借りるぞ」  姉貴の寝室に閉まってある布団を取りに立ち上がると、風太が縋るように俺の手を掴んだ。 「またソファで寝るの?」 「ああ」 「郡司、一緒に寝たいよ‥‥」 「だから‥‥狭いだろ」 「狭くていいって言ってるじゃん」 「俺が嫌なんだよ、いい加減わかれよ」 「‥‥っ」  風太の手にギュッと力が込められた。俺はそれをまるでテレビでも観ているかのような気分で見つめていた。 「ほら、離せよ。眠いんだよ」 「郡司、郡司‥‥俺」 「その呼び方‥‥やめろよ」 「え?」 「‥‥なんでもない」  風太の手を解き、俺は姉貴の寝室へと向かった。その後ろを風太が着いてくる。鼻を啜る控えめな音がした。 「郡司は‥‥俺が嫌い?」 「嫌いだったらわざわざ来てやらねえよ」 「じゃあなんで?」 「‥‥‥‥」  風太はわけもわからぬまま俺に疎まれている。父親と俺の関係など知る由もない。姉貴も知らない。あいつも死んだ。俺が語らない限り、もう誰も知ることがなくいつか消えていく過去だ。それでいいのだと思っている。思っているけれど‥‥ 「お父さんの布団使うの?」 「‥‥‥‥」 「‥‥郡司、俺が一緒に寝るよ」  あいつは俺が好きだった。俺もあいつが‥‥たぶん好きだった。恋しいと思える日々が、確かにあった。誰も知らなくても、いつか消えていくだけの過去でも、確かにそんな日々が存在していた。  そのことを、時折無性に誰かに聞いてもらいたくなる。忘れずにいたいのか、解放されたいのか、自分でももうわからなかった。  俺は姉貴の部屋のクローゼットを少し開き、手を止めた。 「風太はさ‥‥寝相悪いから」 「寝相? な、直すよ!」 「直そうとして直るもんじゃないだろ」 「え、えと、じゃあ、縛っていいから!」 「はぁぁ?」  何を言ってるんだと振り返り風太の顔を見るのだが、その顔は真剣そのものだ。思わず吹き出してしまう。 「い、痛くしないでね」 「アホか。そんな趣味ねえよ」 「でも、寝相‥‥」 「いいよ、もう。寝相悪い方がいい」 「ええ? もうわけわかんない‥‥」 「お前に言われたくないな」  少しだけ開いたクローゼットの隙間から、出す予定だった布団が顔を覗かせる。それを一瞥してからそっと戸を閉め、部屋を後にした。  風太の狭いベッドに横になると直ぐ様風太が擦り寄ってきた。俺はそれを振り払うように背を向けた。郡司、郡司と名前を二回呼ばれる。だけど俺は振り向かない。風太が寝息を立て始め、その腕や足が乱暴にぶつかってくるまで、振り向くことはなかった。 完

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