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「ほら、きれいだろ!」
光の花が囁くように舞う丘で、アメジストのような瞳が優しく微笑んだ。
泣きべそをかいていた少年は、その微笑みに見惚れ、すっかり涙が止まってしまったようだ。
「…うん、とてもきれい」
「だろ?」
嬉しそうなアメジストのような瞳をぼんやりと見つめ、少年は傍らにあった白い花を摘むと、その花にそっと息を吹きかける。白い綿毛がきらきらと光を纏いながら、星の浮かぶ夜空へと舞っていく。
いつか、一緒に。
その煌めきに願いを込めて、少年はちらと、アメジストのような瞳を見つめた。彼の瞳は、きっと、世界中のどの宝石よりも美しいのだろう。それに、こんなにもこの胸を苦しくさせるのは、きっと、この先も彼ひとりだけだ。
少年は、ぐいと目元を拭うと、彼に向き直り、勇気を出して、その手を取った。
いつか、ではなく、必ず。その思いを込めて見上げた瞳は、この星空よりも美しく、照れくさそうにはにかむその額に、少年はそっと誓いのキスをした。
***
ウィネスタという国にある辺境の村、タタス。山々に囲まれ、農地が広がる穏やかなこの村に、大層美しい“アメジストの瞳”という秘宝を隠し持つ、老婆がいるという。
それは王宮の宝とも匹敵する程の代物らしく、噂を聞きつけた盗賊達がこの村を訪れるのも、よくある事だった。
そして村にやって来た盗賊達は、大抵、村の外れにある小さな酒場を訪れ、騒ぎを起こし、有益な情報を得ようとする。
この日もそうだった。
「さっさと情報を寄越せ!この女がどうなっても良いのか!?」
スキンヘッドに屈強な腕、盗賊の男は女性を人質に取り、大声を張り上げた。
人質に取られているのは、この酒場で働く店員、レイだ。金色の長い髪を後ろに結い、背は高く華奢で、丈の長いワンピースを着ている。左目には眼帯を付け、金色の長い前髪でそれを隠すように覆っているが、それでも彼女の美しさは隠せないようだ。だが、その美しい顔立ちも、この時ばかりは恐れに歪んでいる。盗賊に背後から体を抱えられ、首元にはナイフを突きつけられているのだ、レイは恐れから、指一つ動かせない様子だった。
「その子には手を出さないでくれ!」
そう叫ぶのは、この店の店主、ダンだ。肩幅はがっかりとしていてがたいの良い男性だが、その腰は引けている。いつもは穏やかなその表情も、今は悲痛に歪んでいた。ダンの傍らには、赤く長い髪を後ろで一つにまとめた女性がいる。ダンの妻、リオだ。彼女もまた、いつもは気立て良く笑うその顔に涙を浮かべていた。
「だったらさっさと吐け!」
盗賊の男が近くのテーブルを蹴飛ばすと、それを合図として、後ろに控えていた仲間の盗賊達が面白がるように奇声を上げ、店の中で暴れ始めた。手にはナイフや銃を持ち、側にあったテーブルや椅子を蹴倒しながら、盗賊達はダンとリオ目掛けて襲いかかろうとしている。
「アンタも少しは助けを求めたらどうだ?その眼帯にどんな傷を隠してる、さぞ痛めつけられたんだろうな」
盗賊の男は、レイの眼帯に何を想像したのか、その様を愉快そうに見つめ、レイの顎をナイフの刃先で上向けさせた。彼がきっと、この盗賊団の|頭《かしら》なのだろう。レイの顔を覗き込む顔は愉悦に歪み、どのようにレイが助けを乞うのか、面白がっているのだろう。
だがレイは、不意に怯えていた表情をその顔から消した。助けを乞うどころか、その美しい瞳をそっと眇て睨み上げれば、男の表情が僅かに強ばった。殺気立ったレイの右目に、思わずといった様子で息を飲んだのが分かる。
ただの、酒場の女じゃない。
そう思った一瞬が、命取りだった。
男がそれに気づいた時には、ナイフを持つ手が払われた後で、そのまま踊るようにレイと体制が入れ替わると、男は腕を捻り上げられ、頭を床に押しつけられていた。
一体、何が起きたのか。
華奢な女の力とは思えない、床に倒された太い腕がぴくりとも動かせず、男の顔がみるみる内に青ざめていく。
「相手が悪かったな」
聞こえたレイの声に、男は驚き、そして察した。長いスカートを捲り上げ、彼女はその足を、床に突っ伏した男の顔の横に投げ出し、そのまま思いきり床を踏みつけた。ナイフを突き付けられたお返しだろうか、ひ、と震える男の声を聞き、彼女である筈の美しい唇が弧を描いた。
その声も、その足も、女性のそれとは違う。
どこからどう見ても女だと思っていた店員が、今はどこからどう見ても、男にしか見えない。男のその困惑は、周囲から上がる悲鳴により更に増す事となった。
図体だけの弱腰の男だと思っていたダンに、か弱いと思っていたリオを前に、屈強な男達が次々とひれ伏していく。
あんぐりと口を開けた盗賊の頭だろう男の顔を覗き込み、女だと思われていた酒場の店員、レイは天使のように微笑んだ。
「おかげさまで店はボロボロだ。俺としては、アンタ達をこのまま憲兵に引き渡しても良いんだけど、一つ望みを聞いてくれるなら、考えてやっても良いよ」
盗賊の頭がその望みを受け入れるのは、時間の問題だった。
***
転げるように逃げ出す盗賊達を見送るレイの手には、金貨がずっしりと詰まった袋がある。
「まだ、例の噂は根強いようだな」
ダンが倒れたテーブルを起こしながら言うと、レイはくるりとダンを振り返り、得意気に胸を張った。
「あぁ、だからこうして教えてやってるんだろ?噂の真相をさ。そんな噂はデタラメで、しかも噂の村には、おっかない酒場があるってさ」
「何が真相よ…それこそデタラメじゃない。毎回店を壊されたらたまったもんじゃないわよ」
鼻高々なレイの額を、リオは軽く小突き、その手から金貨の袋を受け取った。
「なんだよ、ちゃんと謝礼貰ってんだから、また直せば良いじゃん!」
謝礼とは、見逃す代わりに盗賊から奪った金貨の事だ。リオはレイの言い分に、大きく溜め息を吐いた。
「そういう問題じゃないし、それにこれじゃあ、やってる事盗賊と変わらないじゃない」
「…じゃあ、それ返しに行く?」
「…これは使わせて貰うけど」
「ほら!だったら良いじゃん!」
「良くない!確かに、ことごとく返り討ちにしてれば、警戒にはなるかもしれないけど、下手したら大勢仲間引き連れて報復されるかもしれないでしょ!それに、もし相手が権威のある人間で、本当の事を知っていたとしたら?力だけじゃ敵わない。あなたの瞳には、それだけの価値があるのよ、レイ!」
リオに指摘され、レイは何も言い返せず、ムッとして唇を尖らせた。
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