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きゅうつぶめ

藤稔はすらりとして背が高い。 とても俊敏で、護衛としてかなり腕がたつらしいが、彼はいつも落ち着いた静かな声で話す。 それがなぜか、あの日下町で見かけた青年と重なった。 「ごめんなさい」 「謝らないでください、シャスラ様」 「藤稔」 ぼくは事あるごとに藤稔を抱き締める。 彼が藤稔であることはわかっているが、あの日下町で会った彼への謝罪を込めて抱き締める。 「シャスラ様が謝るようなことはなにもありませんよ」 言いながら、藤稔はぼくを許すために抱き締め返す。 翠峰さまが言うには、いまぼくは心が弱っているらしい。なんでも自分が悪いと思ってしまう病気なんだとか。 そうかなと思う。思うけど、ぼくがちがうよと言うと兄さまが悲しそうな顔をして、ゆっくり休みなさいと言う。 翠峰さまは兄さまの大切な奥さんだもんね。否定されたら悲しいよね。 ぼくは淋しい。いつも淋しい。 子供のころはいつか王子様がやってきて、末長くしあわせに暮らすのだと思ってた。 でも王子様はぼくを忘れて、他の人を連れてきて、そうしたら連れてきたその人にもじつは大切な人がいて。 ぼくはどこで間違ったんだろう。 「シャスラ様はなにも間違えていませんよ」 藤稔はそう言ってぼくを慰めてくれる。 本当かな。 王子を追い払って、あの子を好きな青年の代わりに藤稔を抱き締めるぼくが、間違っていないはずがない。 「ぼくね、本当は、ずっと王子が好きだったんだ」 「…はい」 10年も経てば心変わりがあっても仕方ないと思う。それは理解する。 でも、ぼくの気持ちが変わってしまうのは裏切りだと思う。 「そうですかね、オレはそうは思いませんが」 いつも丁寧な藤稔の口調がすこし崩れる。 「恋の祝福や恋の試練があるように、恋の変遷もまたあると思いますよ」 ねえ。かわいい人。 そう言って、藤稔がぼくの額に口づける。 王子には一度もされたことのない行為だ。 ぼくは顔が熱くなって、それからじわじわと込み上げて来るものがあった。 「…ふぇ…っ」 息がつまってうまく呼吸ができない。 えぐえぐとみっともなく泣き崩れるぼくを、藤稔はしっかりと抱き締めてくれた。 「シャスラ様はいつも頑張ってきました。これからはオレにもすこしお手伝いさせてください」 藤稔はぼくのところに来てから、ずっと側にいてくれた。それは王子を待っていた10年よりずっと近い距離だった。 「藤稔はぼくとしあわせになってくれる?」 「もちろんです。ずっと側にいさせてください」 それからほどなく王子は王都に帰っていき、ぼくと藤稔は公爵領に戻ることになった。 南の別荘を出る前に、翠峰さまに微笑みながら言われた。 「二人はいつも手を繋いでいるね、仲がよくて羨ましいな」 ぼくはぱちぱちと目を瞬いて、繋がれた手と、それから藤稔の顔を順番に見上げて――破顔した。 おしまい

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