83 / 101

第83話 月明りの中の先輩

かなちゃんの居ない2週間はすぐに過ぎ去ってしまった。 かなちゃんが大変な中に、こんなこと言うのは不謹慎かもしれないけど、 楽しい時間は直ぐに終わってしまうというのを身を持って経験した。 それくらい先輩と過ごした2週間は僕にとってかけがえのないものだった。 先輩は相変わらず優しかった。 そして前の様にジョークを言ったりもして笑い合った。 週末なんかは、映画を見ながら寝落ちした事もあった。 以前の様に先輩の隣で見る映画は凄く特別な気がした。 以前も特別だと思って居たけど、 先輩が僕の隣にいる事が 当たり前だと思って居た部分がある。 正に無くしてから気付くと言うか、 僕もそう言う気性は佐々木家の祖父に似ているのだろう。 そう言った当たり前の日常が無くなった時、 それは当たり前では無かった事に気付いた。 先輩を自分の隣に連れて来る事がこんなに難しかっただなんて…… 改めて、先輩が僕の隣に座っていることが不思議だった。 久しぶりに感じる先輩の体温は前と変わらず暖かくて、 今ではこれが詩織さんのものだと思うとやるせ無かった。 でも僕たちはそんな僕の思いも忘れさせる様な時間を一緒に過ごした。 今回の映画鑑賞は、あ〜ちゃんが寝た後で、 僕と先輩のみだったので、僕は思いっきり先輩に甘えた。 4月と言えど、朝、晩はまだ冷える。 ブランケットを部屋から持って来ると、 先輩と一緒に包まってソファーに腰掛けたと言うか、 イブの時に城之内先生に宣言された通り、 僕は先輩の腕の中で映画を見る事が出来た。 少し大胆になってみようと思ったからだ。 「ねえ先輩、このクッション、 そっちの端っこに置いて背もたれにして、 こっち側のソファーに足を投げ出して座って。 僕、先輩の懐に入って座りたい……」 ドキドキしながらそう言うと、 先輩は一瞬びっくりした様に僕を見たけど 「ハハハ、陽一君は相変わらず甘えただね。 勿論良いよ、おいで」 そう言って先輩は僕の手を取ると、 自分の方へと引き寄せた。 その勢いが、キスでもされるんじゃ無いかと言う様な感じで、 僕の胸は鳴りっぱなしだった。 きっと先輩は僕のこんな感情を知らない。 先輩の近くに来た僕の照れた顔を見ると、 ニコッと笑って僕を先輩の足の間に入れてくれた。 その上にブランケットを被せると、 まるで小さい時の僕に返った様な気持ちになった。 先輩の腕にスリスリと頬をよせると、 「陽一君が小さい時は良くこうやって映画を見たよね」 と先輩も僕の頭を撫でてくれた。 「陽一君今月末で18歳だね。 大人になる気分はどう?」 僕は先輩を見上げると、 「ずっと早く大人になりたかったから嬉しい。 でもずっと子供のままで居たいって思いもある……」 と答えた。 先輩は何も言わなかった。 でもそれは僕にとって、本当の心だった。 子供のままだと、何も考えずにこうやって先輩に甘える事ができる。 でも早く大人になって先輩と肩を並べて歩ける様にもなりたい。 でも18歳になったからってそれが直ぐにできるわけでは無い。 実際僕の高校生活はまだまだ続く。 その後にも少なくとも大学生活が4年はある。 法律では18歳は大人かも知れないけど、 まだまだ自分の足で立つには早い。 そう言ったギャップが凄く焦ったかった。 先輩が僕と同じ学生だったらそこまでは思わなかっただろう。 でも先輩の腕の中は凄く気持ちが良かった。 最近はかなちゃんの心配と家の事で疲れていたせいか、 気持ちの良い先輩の腕の中は僕にとってのゆりかごだった。 折角の先輩との貴重な時間なのに、 僕は映画が終わる前に眠りに落ちてしまった。 体がふわふわする様な感覚で目を覚ますと、 先輩が僕を抱えて僕の部屋へやって来たところだった。 僕は先輩と目が合うと、 ギュッと先輩にしがみついた。 「ごめん、起こしちゃったかな?」 僕は先輩の胸に顔を伏せたまま頭をフルフルと振った。 「怖がらなくても大丈夫だよ。 落としたりしないから。 陽一君1人なんてどうって事ないよ」 そう言って先輩は笑ったけど、 僕は怖くて先輩にしがみついたんじゃない。 僕を軽々と抱える先輩は逞しくて、 いつも見ている感じだと、 とても僕の様な体格の男を軽々と抱える様な人には見えなかったので驚いた。 中学生までは僕は小さかったけど、 今では身長も178cm程ある。 体重も60kgはあるので、小さいというほどではない。 お父さんほどではなくても、かなちゃんやお祖母ちゃんよりも背は高い。 どちらかと言うと、平均的な男性の体系だと思う。 そんな僕を軽々と抱える先輩は僕にとってやっぱり大人の男性だった。 “詩織さんにはいつもこんな感じなの?” それを思うと、嫉妬で気が狂いそうなほどだった。 僕の部屋についてベッドにそっとおろしてもらうと、 先輩は僕の窓の横に飾ってある絵に目を留めた。 「これ、ちゃんと飾ってくれてるんだね。 ありがとう」 「ううん、僕の方こそこんな心休まる絵をありがとう。 それにこの額縁の彫刻も凄く素敵で…… でも、本当にもらっても良かったの? 後悔してない?」 先輩は額縁をそっと指でなぞりながら、 「ねえ、僕、この絵の由来、 陽一君に話したっけ?」 と尋ねた。 僕が首を振ると、 「この絵はね、僕が番探しをするきっかけになった絵でもあるんだ」 そう言って僕の方をクルっと振り返った。 その時の先輩の顔が月の光をバックに、 天から舞い降りてきたんじゃないかと錯覚するほどに綺麗だった。 僕はその姿に息をのんだ。 「僕ね、中学生の時に夢を見たんだ。 出てきたのはこのお花畑と、 この4人の子供達…… ほら、向こうで手を振ってる人がいるでしょう? 小さいからゴマみたいだけど、 ちゃんと人なんだ…… この手前で笑ってる子…… 僕に向かって笑ってるんだよ。 そしてこのゴマね……」 そうして先輩はクスっと笑った後、 「この人、僕の運命の番なんだよ……」 と、そう言った。 僕は驚いて、 「え? その向こうにいる人が? 先輩はその人の顔を覚えてるの?」 僕は少しドキリとした。 「夢を見てるときは覚えてたんだよ。 でも、目が覚めたのと同時に忘れちゃった…… 凄く懐かしい感じがして、 凄く愛おしくて…… あんなに愛していたのに、 あんなに愛し合っていたのに…… 番の匂いまで感じてたのに……目が覚めた途端、 全てはパーだよ」 そう言ってまたハハハと笑った。 でも先輩の目は笑っていなかった。 どちらかと言うと、愁いを含んでいた。 「じゃあ、この子供たちは……」 「うん、夢の中での僕とその番の子供達さ…… だから、僕がここまで番にこだわるのも、 多分これが一つの理由にはなってるんだろうね…… 本当にこれが僕の子供達で、運命の番か分からないのにね」 そう言って先輩はにこっりとほほ笑む子供の頬を撫でた。 でも分からないのは、そんなに大切な絵だったら、 どうして僕にくれるのだろう? だから聞いてみた。 「でも先輩はそんな大切な思いの入った絵を どうして僕にくれたの?」 僕は少し先輩の答えに期待した。 でも彼の答えは、 「君は僕にとって凄く特別だから……」 「特別……? どんなふうに?」 「なんて言ったらいいんだろう? 兎に角、言葉では表せられないんだ…… ただ、僕の心がこの絵を陽一君に持っていてほしいと思ったから……」 それが答えだった。 “そうだったんだ…… 先輩はその番が僕であればって思ってるんだろうか? それに、もしかしたら本当にその番は僕なんじゃないだろうか……? だから僕はこの子達を愛おしく感じたんじゃないだろうか……?” 僕はもう一度月明りで照らされる絵を見上げて こっちを向いて笑いかける子供を見つめた。 彼女の顔を見ると、凄く胸が締め付けられる想いがした。 もしかすると、先輩は予知夢を見たのかもしれない…… 一つ間違うと、先輩はこの子達に会えなくなってしまう。 でも間違いない。 先輩の匂いは僕にとって運命の番の匂いだ…… 先輩は夢の中で先輩の番の匂いを覚えていたといった…… 僕に発情期が来れば、思い出してくれるんだろうか? それとも先輩が運命の番だと言う事は僕の思い違いなのだろうか? 先輩は今詩織さんと付き合っている。 彼女のΩとしてのフェロモンは嗅いだはずだ…… それでも付き合っていると言う事はやっぱり何か思う事があるのだろうか? まだ分からない。 大丈夫、先輩はまだ誰のものでもない。 こんなにも僕に寄り添ってくれている。 まだまだ猶予はあるはずだ。 でも僕がそう感じたその思いは、 詩織さんの姿が無かったせいで自分勝手な勘違いをしただけに過ぎなかった。

ともだちにシェアしよう!