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第1話 百人一首を学びませう
「あ~あ、忘れ物した」
色素の薄い髪をぐしゃりと搔きながら、藤原トオルは小さく呟いた。
高校二年生にもなってと、トオルは未だに母親からもからかわれるのだが、そのたびに忘れ物をしやすい体質なのだといってやる。
放課後、トオルが下駄箱で靴を履きかえようとして忘れ物をしていることに気づき、教室に引き返すと、そこには見覚えのある人物がいた。
「あれ? 笹塚先生」
色白の顔に白衣を着た、三十手前の教師、笹塚みのりは、トオルの席に横向きに座って読書をしていたが、呼びかけに気づき、ゆっくりと顔をあげた。すこし長い前髪と眼鏡で、その奥の表情は読み取れない。
「おう。トオルか」
柔らかな声で、笹塚が言った。
「てか先生、なぜ教室にいらっしゃるんですか?」
生物教師で同準備室に自室を持ち、なおかつそこを腐海の森の如く書類や書類や書類を足の踏み場無く展開させている笹塚先生が教室にいる理由、それは。
「え? 教室が広くて殺風景で落ち着く、から?」
と、やや早口に答えた。
どうやら生物教師笹塚は掃除ができないらしい。
「……いい加減部屋片づけたらどうですか?」
「んー、めんどい」
前髪をかきあげながら白衣の男は教師らしからぬことを言った。
「ところでそれ、何読んでるんですか?」
忘れ物を取りに戻っただけなのに、トオルはなかなか話を切り上げられないでいた。知りたくもないが、気になる人が自分の席に座って何を読んでいるかぐらいは聞いてもいいか、トオルの問いはそんな単純な理由で発せられた。
「あーこれ?」
笹塚先生はトオルに表紙が見えるように本を閉じる。
「『小倉百人一首』」
「……へー」
聞かなきゃよかったと、トオルはこの時になって後悔した。
「(なんか嫌な予感)」
「しょうがねえな。どっこいしょ」
楽しそうにそう言って笹塚先生は居直ると、トオルの顔を真正面から見据える。
「笹塚せんせいがかわいいトオルくんの為に解説してやんよ♪」
「え。いりませんよ?」
そう言ったのに、なんやかやと丸め込まれて、トオルは笹塚に百人一首の解説をさせられることになってしまったのだった。
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