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第6話「純情」

面倒な事になった、と義人は俯いた。 「ねえねえ、義人くんの好きなタイプは?」 ズイ、と近づく顔。目蓋に綺麗に塗られたピンク系のアイシャドウがキラキラと輝いている。 「え、、いや、タイプとかないかな」 「あ、それわかる!好きになる人とタイプの人って違うよね!」 教室での話し合いが終わった。今日の授業ではテーマと指定された構内の場所の組み合わせから導き出した自分たちのグループの課題のタイトルと進めていく内容を教授に提出し、そこから更に深めていくと言うもの。 提出は終わり、現場の写真を教授と確認し終え、自分達がしようとしているものを明確にしていくべく更にアドバイスをもらった。これからまた義人達のグループが指定された場所である7号館の吹き抜けまで使う素材を持って構想を練りに行く。 そんな道すがら、義人の隣にべったりと張り付いているのは、昨日まで藤崎にべったりと張り付いていた筈の斉藤だった。 (どういう状況なんだよ、、) ちらりと後ろを歩く藤崎を振り返るが、我関せずと言った態度で隣に並ぶ入山と会話をしている。そのにこやかな笑顔が恨みがましくもあり、また、先日までこんなにもねちっこくアピールをされていたのかと思うと同時に藤崎に対してものすごく同情の念が沸いた。 (まあ、藤崎が斉藤のこの感じに耐えかねて何か言ったんだろうなあ) 義人の推測は当たっており、この斉藤のねちねちアタックに耐えかねた藤崎は、昨日の内に彼女に対して「興味がない」とはっきりと示してしまっていた。 (いや、でも、気持ちが分かるなら助けに来いよ) 義人がちらちらと振り向いてくる視線に藤崎は気が付いていた。無論わざと助けに行かないでいる。そしてとうとうギロリと睨まれ、ニコッと笑って義人の神経を逆なでし始めていた。 「ちょっと藤崎くん!斉藤さんに何したの!?」 「別にー?集中したらって、言ったくらい」 隣を歩く入山は、先程から「何あれ」「嘘でしょ」と繰り返していたが、義人が藤崎に睨みをきかせた瞬間、バシッと彼の二の腕を叩いてしまった。 あまりにも、前を歩く義人が不憫でならないでいたのだ。明らかに引き気味で女慣れしておらず、もはや斉藤に対して恐怖すら抱いていそうな義人の背中を見ていられない。「可哀そうでしょ!?」と藤崎を更に叩いたが、藤崎は動じずニコニコと前を向いている。先程からずっと、義人が振り返ってくる度に笑顔で応えて嫌がらせをしている。 「義人くんと同じ階で作業したいな~」 「、、、」 藤崎と違い、義人はこう言った類の女子が心底苦手でまったく慣れていない。また、藤崎と違いうまく顔に出る心情を誤魔化す事ができない。周りから見た義人は明らかに「うんざり」と言う表情をしており、朝と比べて数時間でげっそりしたなと思える程コケていた。 げっそりしている理由は斉藤の存在以外にもある。彼女がつけているきつめの香水がふわりと鼻に香るたび、義人は表情をギュッとしてしまっていた。鼻と眉間に皺が寄り、不快感をもろに思わせるものになる。舌の上に妙な味が広がった様にも思えて、喉まで何かが迫り上がってきた。 「うぇ、、」 バレないように斉藤から顔を背け、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。そうすると、少し胸が落ち着いた。彼はこう言った香水の匂いにめっぽう弱い。フローラル、バニラ、何にしても頭が痛くなったり気分が悪くなったり、高校生の頃からめっきりダメになってしまった。 「うわ、ちょいちょい、佐藤くん。その死んだような顔はなんだよ」 義人が死にきった目で見ていた事に気がついたのか、藤崎が困ったように笑いながらこちらに歩み寄る。 その一瞬で、今まで寄り過ぎなくらいに体を寄せて来ていた斉藤が離れていって、反対隣の西野に話しかけた。 目的地に着いたのだ。7号館の1階、吹き抜けの真下に来ている。見上げれば晴れ渡った空が見え、その周りを建物のコンクリートが縁取っている。 「あれ、、?」 「大丈夫?」 前を向けば、どこか満足そうな笑顔を浮かべた藤崎。 (ああ、藤崎を避けてるのか) チラリと斉藤の方を見れば、貼り付けた様な笑顔で西野と話し続けていた。西野は急に話題を振られ、戸惑いながらもうまく会話を合わせている。自分の身に起こった事も理不尽に感じていたが、こうやって斉藤が藤崎を避ける度に誰かが気まずい雰囲気を飲み込んで、斉藤の誤魔化しの会話に参加させられるとなるとその方が不憫にすら思えた。 「お前キモいな」 「素直じゃねえなー、佐藤くん。ありがとうって言ってよ」 「何がだよ」 近づいて、コソッと話してくる満足そうな藤崎にカッとなった義人はその無駄に長い脚に強めの蹴りを入れた。 元はと言えば面倒な関係に勝手になったのは藤崎と斉藤の2人だ。周りのグループメンバーが迷惑をかけられるのも課題の進みが悪くなるのも義人としては御免だった。確かに先程助けて欲しいとは思ったが、いざこうして有り難がれと言われると、相手があの藤崎という事もあり感謝より怒りの方が勝る。 「痛いよ」 「ざまあ」 ハン、と吐き捨てる様な笑みを向けたが、藤崎はイラつきもせず、逆にニッコリとやたらと良い顔で完璧な笑顔を作って返してきた。 「何。そんなに俺に構われたい?」 「はー??それはお前だろ!」 いちいちむかつく言い返しにもう一度蹴りの構えをしたが、今度はうまく避けられてしまった。 「ハイハイ!それじゃあ7号館は4階まであるから、それぞれ別れて作業するよ!」 パンパンと手を叩く音。散り散りに会話していた一同の目がそちらを向く。やはり、指揮を取っているのは斉藤ではなく入山だった。 「え?」 「それでね、私が媚び売ってるとか言って来たんだよ、藤崎くん。自意識過剰だよね?キモくない?」 2限の授業が終わったところで一度解散し、放課後に再度集まった。 そろそろ19時になろうと言う時間。サークルがある人を除いたグループメンバーがいる。日が暮れ始めた構内でそれぞれ黙々と作業をこなしている筈だったが、まんまと斉藤は義人と同じ階になり、止まる事のない会話に彼を巻き込んでいた。 「え?あー、そうだね」 「ほんっとに性格悪いよアイツ!」 ご立腹の様子。 確かに藤崎は性格が悪いが、義人は斉藤も斉藤で問題があると思っている。だから少し曖昧な返事をした。 7号館最上階、4階に配属された2人は角材の飾りがついたワイヤーを設計図の通りに配置して固定し、照明の位置を確認していた。 「藤崎くんよりも、全然義人くんの方が優しいしかっこいい!」 「あーー、、うん、ありがと」 正直そうは思えず、濁した返事がひらりと舞った。 事実、嫌味な上むかつくくらいに藤崎は顔が良い。顔、だけは。どうにも掴めない性格と、テキトーな喋り方。時々見せる完璧すぎる笑顔が義人は苦手だった。かっこいいと言うより、色気がある。何故男の義人にそれを向ける必要があるのかは彼自身は知らないが、完全に「負けている」と意識するには充分すぎる程、並外れて人を魅了するものが藤崎にはあった。 「私、、藤崎くんといるときより、義人くんといる方が、何ていうか、ドキドキする、かも」 「は?」 きゅ、と服の袖を掴まれる。見上げてくる視線は、何か誘うように思わせるそれだった。可愛くないという訳じゃない。斉藤は化粧は濃くて素顔がどうかはハッキリしないが、造り上げたその顔自体は可愛いものだった。その辺の男子がこんな風に見上げられれば、もしかしたらクラっとくるのかもしれない。 しかし、先程まで整いきった藤崎の顔を間近で見ていた義人としては、別にそれ程ときめくものではなかった。逆に掴まれた服の袖から、ダラダラとしたイヤな感触が全身に伝わってくる様にすら思える。この感覚を、何と言えば良いのだろうか。斉藤の様な女の子からたまに感じる事があったこれを。言いようのないおぞましい感情が込められた目で、舐めるようにこちらを見られる。まるで義人を取り込んでしまおうと言う目だった。 「いや、え、、、」 相手はグループメンバーで、クラスメイト。加えて女の子だ。乱暴に振り払うわけにもいかない。 けれど逃げたい、怖いと頭の後ろから轟々とうるさい音がする。 このやたらと甘ったるく、重い空気が義人は嫌いだ。肌が擦られるようにざわつく。また、舌の上に嫌な味が広がった。 (気持ち悪い、無理だ) 相手の必死の上目遣いに、義人は自分の顔が強張っていくのが感じて取れた。 「、、、」 きっと斉藤からすれば最大限に自分が可愛く見える角度で義人を見上げているのだが、彼女の想いはどうであれ、義人からすればそれは可愛げを感じる事もできない物欲しさを表面上に惜しげもなく放り出した気分の悪い表情だった。 (こんなのより、あいつの視線の方が緊張する) そんな事を考えた。 こちらをじっと見つめるあの5センチ高い視線を思い出しながら、袖にあった温度が、今度は直接手に触れてくるのを目で追った。 「なぁにしてんのー?」 「きゃっ!?」 「うわッ!、藤崎!?」 突然の登場に、向かい合って立っていた斉藤が、義人の方へ突っ込んでくる。驚いたのか何なのかは知らないが、見事に抱きつかれていた。 「え、おい、斉藤!」 「あ、ご、ごめんね!びっくりしちゃって」 ぎゅっと腕が掴まれる。 「ッ、、」 その瞬間、喉にあったものがまたグッと口に迫り上がる。至近距離で嗅いだ香水は思っていたよりもダメージが大きかった。飲み込み押さえながら、こちらを見ている藤崎の視線に、何故か義人はギクリとした。 鋭い視線は斉藤が掴んでいる義人の腕を見下ろしている。 「義人くんごめんね?」 斉藤の声に急いで視線を戻す。 うるうるの上目遣い。長く綺麗に上を向いているまつ毛が見えた。 「別に良いんだけど、、はな、」 離れて。 そう言い返そうとした瞬間、涙を溜めていた目がパッと見開かれる。 「ええー、優しい!そんな事言われたら、もっとしたくなっちゃう!」 「え!?」 ああ、馬鹿な答えを返した。 ズイ、と更に密着しようとして来た斉藤の体。背後によろけながら、何とかそれをかわそうと義人が体を捻らせる。 「ねー、斉藤さーん」 いつものように気の抜けた藤崎の声がした。 「、、は?なに」 「!」 (うわ、明らかに態度違う) 藤崎が話しかけた瞬間に、声のトーンがガクンと下がって聞こえた。驚いた義人は自分に縋り付いて来ている斉藤を見下ろす。怪訝そうな表情だった。先日まで藤崎に向けられていたにこやかな笑みはどこへ行ったのだろうか。 藤崎の方は、何故か楽しそうに見える。 「佐藤くんは彼女いるから、あんまそう言う事しないでやってよ」 「え、、、あ、義人くんごめんねー。はいはい、離れますー」 明らかに苛立った口調で斉藤はこちらに視線を向けないようにしながら、短くて重いため息を吐き捨てた。 「私、1階に配電のこと教えてくるね〜」 きっと彼女と付き合う男は苦労することになるだろう。 義人は何事もなかったかのように自分から離れ、階段に消えていく彼女を目で追いながらそっと胸を撫で下ろした。 1階にはサブリーダーの入山がいる。入山頼りに課題を進めているせいで、斉藤が役目を果たそうとしていないなあとも思った。腕が解放され、すぐそこにあった体温が離れ、居なくなった彼女の靴音が遠ざかるのを感じながら、目の前の藤崎を見上げる。 「何でお前ここにいんの。持ち場3階だろ」 西野と共に3階班に回っていたはずの藤崎がここにいる事は現れた時から不思議だった。勿論助かったと安心した面もあったが、タイミングが良すぎる気もする。 へらっとふざけたように笑って、義人に近づいてくる藤崎。義人は何故か、また後ずさりしそうになった。 「全部終わって1階行ったら、終わってない4階班見て来てって入山さんに言われて」 「あー、早いな」 「んん、まあ」 義人の横を通り抜け、吹き抜けで、下まで見える廊下の端に寄り、柵になっている胸の高さ程の壁に腕を置く藤崎。 様になる。モデルのように脚を組むと、余計に格好良く見えた。 「本当はさっさと終わらせないと佐藤くんが肉食系女子に食われるって思ったから急いだんだけどねー」 義人に背中を向けたまま藤崎がボソリと言う。 覗き込んだ吹き抜けの真下には、1階についた斉藤が入山に何か言われているのが見えた。 藤崎が静かに呟いたその言葉は、ギリギリ、義人の耳に届くことはなかった。 「は?何か言った?」 「別に〜」 くるり。吹き抜けの下を見ていた藤崎が義人の方へ振り返る。 「あれだけ?」 「は?」 「チューとかされてない?佐藤くん」 「されるわけねえだろ!!」 いくらなんでも、斉藤はそこまでしないだろう。からかっているのか本気で聞いているのか解らない藤崎に、義人は顔を真っ赤にして声を上げる。 「あ、そう」 「お前人おちょくってんのか!」 「いーえ。俺は佐藤くんが心配なだけですよ」 へらり、とまた笑う。完全におちょくっている笑顔だった。それが妙に美しく、妙に整っていて、気がつけば義人の心臓は斉藤に迫られたときとは比べものにならない程、鼓動の速度を上げている。 「何の心配だよ!」 「優しいし、ほら、アレだから。チューとかハグで倒れちゃわないかってさ」 「アレってなんだ!倒れねえよ!」 舌が絡まりそうになる。顔から火が出そうに熱い。奥歯をグッと噛み、馬鹿にしてくる藤崎の方へ歩み寄る。 「アレって、アレ」 「はあ!?」 「ほら、童貞だから」 「何の嫌味だよ、意味わかんねえから!」 バッと振り上げた右手。だが、殴ってやろうとした瞬間に手首を掴まれる。ニヤリと笑った藤崎は、そのまま空いている右手をこちらに伸ばして来た。 「っ、!」 「純情そうだもんね、佐藤くん。大丈夫?キス一つでぶっ倒れそうだよね」 「はッ、、!?」 くい、と。無駄に長く綺麗な藤崎の右手が、義人の顎を持ち上げた。 「な、なに、」 「綺麗な顔してるね、佐藤くん」 無駄に綺麗な顔をした男が、彼に向かってそう言った。長い睫毛の奥にある良く分からない色をした目。何度も味わった読めない感情を含んだ視線は、少しの迷いも無く義人を真っ直ぐに見つめている。義人は、これが苦手だ。 「キモいッ!!」 「おっと、、!」 耐えきれなくなって、ブンッと振り回した左手の拳をひらりと避ける藤崎。 「お前ほんっとむかつく!キモイ!避けんな!!」 義人は顔を真っ赤にしたまま、うるさい心臓を誤魔化すように暴れる。 「照れんなよ、褒めただけだろ」 「うるさい黙れ!!」 褒められているなんて想えなかった。 (褒めてるとかじゃなくて、なんか、、!) 胸がザワザワしたまま、義人を放し彼から距離を取った藤崎を見つめる。 耳の後ろからドクドクと血の流れる音がしていて、まだ顔が熱い。 (なんかすげー恥ずかしかった!!) 肺に溜めた空気が、暴れているような気がした。目の前な男はそんな事も知らずにニヤリと笑う。 「こら男どもー!!何やってんのさっさと降りて来てー!」 吹き抜けの下、1階から、不機嫌そうな入山の声。

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