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「……っは、あぁ、わかった」
「そうなのだよ。私はあの、スケベじゃないのだから。キミのやらしい顔に下心なんて、私は……別に……」
すぐにハッとして、九蔵はバカな期待だったと虫のいい期待の破片を片付けた。
当たり前か。
自分はイチルではない。
そう簡単に抱いてもらえるなんて浅はかすぎた。ミス、ではないけれど、意識を修正しよう。少し素肌を触れ合わせただけで近づけた気がしていたのは、錯覚だ。
「じゃあ……ニューイはどうしたら俺にそういう気になんだ?」
「どうっ? い、いや、そもそも九蔵にそういう気には、なら、ならないのだ」
「ならない?」
「うむ。だって九蔵は人間の男で、私は悪魔の男だろう?」
コクコクと何度も頷くニューイを眺めていると、九蔵は虫のいい勘違いを、今更のように正されていく。
「九蔵のことは大好きだぞ。けれど悪魔は基本的に、異性を誘惑するものなのだよ。それは人間も同じはずである」
「……あー……」
──ああ、ああ、最悪だ。
どうして知ろうとしなかったのだろう。ニューイのようにもっといろいろなことを聞いておけばよかった。
知らぬが仏なんてただの詭弁に過ぎない。知っていれば犯さずに済んだミスもある。
「以前のキミ──イチルは、女の子だったからね」
予想通りの答えに、九蔵はただただ下手くそな笑みを浮かべて見せた。
「……そっか」
「っ、あ……うう」
ニューイは眉を下げて狼狽える。
九蔵の笑顔がニューイには理由がわからないながらも〝違う〟と感じたらしい。やっぱり愛想笑いが下手くそだといけない。
「あの、ええと……今夜の私のやり方が不快にさせていたのならすまないのだが、安心してほしい。九蔵に対してやましい気持ちなんて絶対に抱かない。絶対にないぞっ」
「はいはい。わかってるよ」
「本当にかい?」
オロオロと慌てて念を押すニューイを安心させるべく、もう一度笑顔で頷く。
寝ようと声をかけると、ニューイは九蔵を抱き寄せていつもより強く抱きしめた。
九蔵の体が固くなる。突き放すことは、できない。
「九蔵、なんとなくだけれど……もう私と離れようとするのは嫌だぞ」
「ん……?」
「今日はこのまま、くっついていよう?」
……まったく。
器用な悪魔様で嫌になった。
理由がわからないくせにこちらの機微には気づいて、一番されたいことをするのだ。堕落の天才なのだろう。
九蔵は返事をせずに頷き、黙って寄り添いながらまぶたを閉じた。
ニューイはホッとしたように九蔵を抱きしめ直し、腕の中に閉じ込める。
「おやすみ、九蔵」
「おやすみ、ニューイ」
いつも通りの挨拶をすると、月明かりの差し込む室内が静まり返った。
けれど九蔵の心は今夜ばかり、月明かりすら差し込まない夜の闇の中から抜け出せなかった。
──ニューイはイチルを愛しているから、イチルの魂を持つ九蔵を愛している。
たぶんこれは本当だ。
けれど、女だったイチルは性の対象になるが、同じ魂でも男の九蔵には欲情しない。
そういえばニューイが九蔵の痴態を前に反応したことはなかったと思い出す。
イチルの魂だから好かれた。
イチルの体、女の体じゃないから、結婚しようと言っていてもその気にはならない。
ニューイの好みになりたい。
女にはなれない。
記憶も人格もだいぶ違う。確かに愛されているのに、ニューイの感情が自分と彼女のどちらへのものなのか、区別できない。
『九蔵に対してやましい気持ちなんて絶対に抱かない。絶対にないぞっ』
(絶対、か……酷いもんだな……)
悪魔なんてファンタジーな存在のくせに、男同士だとか、そんな現実的な理由を恋の障害にするなんて酷すぎる。
ファンタジーならファンタジーらしく、王子様のキスでお姫様を幸せにしてくれ。
綺麗なドレスは似合わない。
ガラスの靴も履けやしない。
それでも魔法使いなんて現れなければ美しい歌声もなく、国一番の美貌もイバラのお城も魔法の髪も、澄んだ心さえも持ち合わせちゃいない。
ないない尽くしのお姫様を。
人一倍臆病で、恋が下手くそなお姫様を。
くたびれたシャツとジーンズで、大きすぎる骨ばった体を隠して、鏡の前で、ごきげんようとお辞儀をする。
ただ、王子様のことが好きで好きでたまらないだけのお姫様に──キスを。
「ふ……」
──俺、キスしたことねーんだった。
おとぎ話の王子様に恋をした幼いあの頃から、九蔵はなに一つ変わっていないのだ。
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