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17歳勇者と28歳従者のある夜の会話【SS】
「なあロッソ、その髪、触ってもいいか?」
ベッドにうつ伏せて、長い間黙り込んでいたリンデルが、視線だけ上げてロッソの黒髪を見ていた。
それを確認しながら、ロッソは静かに答える。
「……かまいませんよ」
今日、勇者隊が討伐に駆け付けた村は、既にその一部を魔物食い荒らされていた。
並べられた遺体の数と、村人達の心無い言葉に、この真面目で優しくまだ年若い勇者は酷く傷付いていた。
それをロッソは痛いほど分かっていたので、リンデルの突然の要求を、何も問わず快諾する事にした。
……内心多少の疑問はあったが。
「どうぞ、ご自由になさってください」
勇者の元へ歩み寄り、ベッドの脇で立ち止まる。
「ありがとう……」
小さく呟くような礼の言葉と共に、リンデルは長い指をロッソの艶やかな黒髪に割り入れた。
指の間を流れる、張りのある髪。
リンデルはサラサラとその感触を味わっていたが、ふとロッソを見上げる。
「ずっとそこで立ってるつもりなのか?」
「勇者様にご満足いただけるまでは、こうしている所存ですが……」
相変わらずの真顔で答える生真面目なロッソに、リンデルは少し寂しそうに苦笑して、ベッドをそっと示した。
「ここに座ればいいだろ」
「……勇者様がそうおっしゃるのでしたら」
「俺になんか……遠慮しなくていいのに」
少しの自嘲を含んだリンデルの言葉に、ロッソが反論する。
「そうはまいりません。私は、勇者様に仕えている身ですから」
言いながらも、そっとベッドに腰を下ろしたロッソの長い黒髪を、リンデルはベッドへ引き上げる。
黒髪の毛先を抱き込むようにして、リンデルが体を丸めて横になるのを、ロッソは黙って見ていた。
黒く艶やかな髪に、リンデルは頬を寄せている。
何度も何度も、優しく髪を撫でられて、ロッソはなんだか、自分が求められているのではないかと、錯覚してしまいそうになる。
彼がもし自分を求めるのなら、いつだって応えるつもりでいる。
そのための側仕えだと思っているし、実際、前の勇者様にもそうして仕えてきた。
勇者は国のシンボルマークだ。
その立場上、色恋に関わるわけにはいかない。
万が一の場合を考慮し、任期中は女性と肉体関係を持つ事も禁止されている。
しかし、この青年はそれに対して思う所が無いのか、そう言った不満を口にした事はなかった。
連日の戦闘で疲れ果て、守るべき対象からは非難を浴び続け、さらにはそんな自分を責めて。
彼の心が軋み、悲鳴を上げている音は、ロッソにははっきりと聞こえていた。
けれど、ロッソには、それをどうする事もできない。
せめて、この青年が私を求めてくれれば。
少しは慰めてやる事もできるだろうに……。
ロッソは、内心の葛藤を表に出さないよう、十分に注意を払いつつ慎重に口を開いた。
「いつまでそうしているおつもりですか」
ロッソの言葉に、リンデルはチラと黒髪の持ち主を見上げる。
怒ってはいない様子を確認すると、小さな声で答える。
「……もう少しだけ……」
ロッソはわざとらしくため息をひとつ吐いた。
それを聞いて、リンデルが拗ねるようにして言う。
「満足するまでいいって言ったじゃないか」
「物事には限度というものがあります」
ロッソは部屋の置き時計を見ながら答える。
時計の針はもう半分ほど回ろうとしていた。
「……頼む……もう少しだけ……」
リンデルに懇願されて、ロッソはゆっくりと瞬きをする。
「では、こちらで書き仕事をさせていただいてもかまいませんか?」
尋ねられ、リンデルは嬉しそうに「もちろん」と答えた。
結局、リンデルは、ロッソの髪を抱き締めたまま眠ってしまった。
ベッド脇に机を引き寄せ、不自然な姿勢で仕事をしていたロッソだったが、リンデルの完全に寝付いた様子に、その手からそろりと自身の髪を抜き取ろうとする。
もうあと少しで全部抜けるというところで、不意に、ギュッと髪を握られて、ロッソは思わず動きを止める。
「いやだ……」
まだ起きていたのだろうか、いや、今の拍子に起きてしまったのか?
「いやだ、よ……。忘れたく、ない……」
それは寝言だった。
けれど、リンデルの閉じたままの瞼の隙間からは、涙が溢れていた。
「勇者様……」
ロッソは、溢れてくるその雫を、取り出したハンカチで丁寧に拭う。
後から後からとめどなく零れる涙に、ロッソは己の無力を感じていた。
せめて、夢の中でくらい、幸せでいてほしかった。
夢の中だけでも、彼が笑えるのなら、私の髪だって、私自身だって、いくらでも差し出せるのに……。
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