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強請る三夜

斎藤は堪えきれずに噴き出し、噴き出すともう止まらなかった。 訪れていた客は帰った。 だから会いに、抱きに来て欲しい。 紫音の隠されたようでまるで隠しきれていない思いを汲み取れる。 それが堪らなく可笑しく嬉しかった。 紫音が何故頑なに自分の気持ちを隠そうとするのか、最初はそれが気になった。 受け止めるという態度をありありと見せてはきたが、紫音は変わらない。 最近はもうそれも気にならなくなった。 身体に力が入り表情が不本意だと語るのもほんの数分で、手を繋ぐなり、肩を抱くなり触れればすぐに柔らかい表情に変わる。 肌を合わせれば妖艶に喘ぎ、泣きそうな顔で強請り、頬を染めて甘えてみせる。 もう虜なのだ。 好きだと言って欲しいとも言わせてみたいとも思うが、そんな事すらもう小さな事だとも思える。 『何がそんなに面白かったんですか』 「ごめん、マスターが変顔するから思わず」 目の前のマスターにジェスチャーで謝りながら言うとマスターが肩を竦めてみせた。 「今から行ってもいい?」 『もう遅いですけど』 「明日土曜日だから泊まりたい」 『……っ、勝手に決めないでください』 「じゃあ顔だけ見たい。見たら帰るから」 息を飲む音が微かに聞こえ、しばらくの沈黙が訪れる。 「紫音?」 『あ…明日の朝用に食パンを買ってきて下さい、切らしてしまったから』 「え?あ、うん。何枚切りがいい?」 『あなたの好きなので』 「ん?」 『あなたの好きなのを食べてあげます、……一緒に』 斎藤は携帯を耳に当てたままため息をついた。 ………ダメだ、可愛いすぎる。 所謂ツンデレというヤツだろうか。 これほどまでに可愛いものなのか。 紫音だから可愛く思うのか。 これがわざとなら、いや、わざとでも構わない。 まんまと引っかかってやるさ。 「わかった、すぐ行くから待ってて」 電話を切り立ち上がる斎藤にマスターが声を掛けた。 「その締まらない顔、行くまでに少し引き締めた方がよろしいかと」 「え?」 「だだ漏れですよ、色んな感情が。主にアッチ系の」 助言感謝致しますと頭を下げてみせ、斎藤は足取りも軽く店を後にする。 食パン食パンと口ずさみながらスキップをしそうな足取りで愛しい人の元へと急いだ。

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