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1 天啓です
「――……! 花束だ……!!」
「え? なに急に怖い」
静まり返っていた事務所のとある一室。
急にガバッ、と顔を上げた希望に、唯は珍しく肩をビクリ、と振るわせた。
唯と希望は作曲と作詞の作業のため、半ば強引に同じ部屋に放り込まれていた。音楽の神に愛され、才能に溢れている二人は、溢れるままに曲を生み出すのが常だが、いざ『作れ』と命じられると気ままな音楽の神からの啓示を引き出すのに苦労する。
今日もガリガリ、ぐしゃぐしゃ、ガタガタ、とそれぞれ異なった音を奏でて黙って作業していたはずなのに、急に希望がテーブルに突っ伏したまま動かなくなったことに唯は気づいていた。気づいていたが、無視した。
励ましてやる優しさなど持ち合わせていないし、そんな余裕もない。希望だって、万が一唯が声をかけたとしても「アキさんがいい」とのたまうだろう。実際、この部屋に二人きりにされた希望の第一声は「チッ……アキさんがよかった」だった。思い出すだけで苛立たしい。
しかしながら、希望がまるで天啓でも得たように顔を上げたものだから、さすがの唯も視線を向けた。希望の瞳には星が煌めき、瞬きする度に輝きの破片を周囲に散りばめる。
「俺としたことが……なんで今まで気付かなかったんだろう……!」
しかし希望は、なぜかぎゅっと眉を寄せ、唇を噛み締めた。
「マイスイートハニーに花束の一つも渡したことがないなんて!」
希望が悔しさを滲ませて、だんっと強めに拳でテーブルを殴る。
『マイスイートハニー』という言葉で、唯の脳裏に一人の男が過ぎった。
「でも、今がその時だ! バレンタインだもんね! まさしく天啓! ありがとう神様!」
希望は突っ伏した際にぐしゃぐしゃになってしまった紙を放り投げて、新しい紙にすらすらと曲を書き始めた。曲を書きながら、鼻歌交じりにリズムを取っている。
希望が悩んでいたのは曲ではなく、10日後に迫ったバレンタインのことだったようだ。スッキリ解決して、溢れる心を音楽として出力している。
「あいつが喜ぶのか?」
「え? なに?」
「花束」
バレンタインやイベントの度に希望はライへのプレゼントに悩んで泣きついて慰められたり励まされたりして、周囲を巻き込んでいる。『ライさんの喜ぶプレゼントがわからない』と毎回泣いていた気がする。
そんな希望が花束と決めたのだ。ライの好みなど、唯には興味の欠片もないことだったが、単純に疑問だった。
「花束もらって喜ぶ男なんだとしたら、俺は引くけど。喜ぶの? マジ?」
「? 唯さんったら、なに言ってんの?」
希望は少し笑いながら、首を傾げた。
「ライさんが喜ぶかどうかじゃなくて、俺があげたいからあげるんだよ?」
「ああ、なんだ。いつもの殴り合いか」
唯が初めて希望を見た時、他人を想うあまり窒息しそうになっているような男だった。
底無しに溢れる彼の愛は、たった一人に捧げるにはあまりに重く、強く、押し潰してしまうから、歌に昇華して、多くの人に振り撒くことで心のバランスを保っている。自分の愛が相手の重荷になること、束縛してしまうことを何より恐れていた。
正しく愛されて育った希望にとって、愛は美しく、尊いものだった。だから、自分の愛が呪いに変わることを、希望自身が許さない。自分が窒息しても。
しかし、近頃は様子が変わった。時々こうして、ライを相手に「俺の好きなように好きなだけ愛するんだ! 覚悟しろ!!」と元気よく殴りかかっているのを見かけるので、楽しそうで何よりだ。矛先がこっちに向くと厄介なので、ぜひともそのまま恋人に向けていてほしい。
希望は作曲が捗っているようで、鼻歌がほとんど歌になっていてやかましいけれど、もうどうでもいい。
「あっそうだ! 薔薇の花束にしよう! 嬉しいなー♡俺、抱えるくらい大きな薔薇の花束を恋人にあげるの夢だったんだ♡楽しみだなぁ♡」
「普通に引かれそう」
「うるさいな。今までの恋人には、薔薇とかお花一本とプレゼントにしてたもん。引かれちゃいそうだし、置くとこなくて困らせちゃうかもしれないじゃん?」
「へえ、あいつは」
「ライさんが困っても俺は構わない」
「喧嘩してんの?」
「してないよ?」
あっそ、と暇潰しに興味をなくした唯は再び作業に戻った。希望も紙の上に鉛筆を走らせる。
「楽しみだなぁバレンタイン♡お花頼んでおかなきゃ♡」
五本の線の上に踊るようにするすると描かれる音楽は、希望の心の浮かれっぷりを表しているのだろう。
その様子を、僅かに開かれた扉の隙間から眺めている者がいた。
希望のマイスイートハニーこと、ライである。
彼をここまで案内した希望のマネージャー優が、ずっしりと重くなった空気と、僅かに眉を寄せたライの表情に怯え、その場からゆっくり離れていく。
「……また……余計なことを……」
忌々しげに低く低く呟かれた言葉と一段と暗さを増した眼差しは完全に希望へと向けられたものだったが、呑気に愛を歌う彼の耳に届くはずもなかった。
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