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駄犬と秋猫 最終章

じゃれついてくる佑真をかわしているうちに、互いの肌を強い摩擦で何度も痛めた。気づくと俺たちはベッドの上で、息を荒くしながら絡まり合っていた。ニットが暑い。今すぐ脱ぎ捨ててしまいたい。二つの鼻先が数センチ以内に収まると、佑真が唇を押しつぶしてのしかかってきた。 「っ…ん」 唇をついばむだけの甘いキスから、粘膜を擦り合わせる濃厚なものに変わるまでのプロセスがじれったい。恥じらいや躊躇いを、互いになすりつけ合っているようだ。キスをするうちにどんどん乗り気になって夢中になる。そんな佑真を愛おしく思うし、それは互い様だろう。俺の吐息まで全て、自分の体内に取り込んでしまおう、とばかりに大きな口で唇を奪われる。 「んんっ…!」 感じやすい乳首をキスの最中につままれると、体の芯がビクンと跳ねてしまう。そのまま指の腹でねぶるように左右の乳首を捏ねられる。欲望のバロメーターたる性器は、腹とほぼ平行にまで勃ち上がって苦しがった。それでも佑真は唇を自由にすることはない。温かい部屋で、平熱の高い恋人から、こんなにも熱い愛を流し込まれる。俺の小さな器からは溢れてしまう。目じりから、熱い雫が滴った。 仰向けだった体を横向きにずらして、佑真の下半身を覆う布を全て剥ぎ取っていく。ボタンやらジッパーやらゴムやらが、こんなにも煩わしい。やっと剥き出しになった佑真自身に、俺を重ねて腰ごと擦りつけるように動かしていく。ぐちゃぐちゃに交じり合った先走りが、生々しい音を鳴らす。 「…んくっ…ぁあ…」 佑真の喉から、快感に耐え切れなくて零れた喘ぎが、興奮を増長させる。気持ちよくなって欲しくて互いの密着を強めると、こちらの限界も近くなってしまう。 「ぅう…ゆう、まぁ…」 「ちあきさん、んっ、きもちいっ…きもちい」 ブランケットの中を、佑真の体をつたって下へ掘り進める。そこはアマゾンより湿度が高く、炎天下よりも熱かった。目の前に現れた佑真の性器は、血管が浮き出そうなほどはちきれそうになっている。鈴口は、くぱぁ、と開いて、透明な蜜がこんもり浮き上がっていた。 うまそう。そう思って舐めると、汗のような味がした。ちゅう、と吸い上げると、小さく吐息が聞こえる。同時に、大きな手が頭に乗った。前はこうされると、怖かった。あの男の無遠慮な手を思い出して、吐き気が襲った。でも今は嫌じゃない。大丈夫だ。 もう一度舐めようとすると、早くも新たに水滴が補充されている。 「千章さんっ、無理、しないでっ…」 無理なんかしてねえよ、と言う代わりに、ふっくらとまろい亀頭にしゃぶりついた。上目遣いで佑真の顔を睨みながら、歯を立てないように舌全体で転がす。そのままいつものように、ぐしょ濡れになった全体を、手で覆って念入りに扱いていった。佑真は今にもイキそうな顔をじっとり見られ恥ずかしいのか、顔を背けて腰を捻らせた。足を俺の足に絡ませて、必死に耐えている。最近の性行為では、俺攻められるのが常だったから、なんだか新鮮だ。悪くない。 「ん、んんっ…ダメ、それ…だめっす」 「舐めはへんの…いやは?」 枕に半分埋めたままの顔を左右に振る。全身でじたばたと暴れて逃げようとするくせに、空いている両手は使ってこない辺り、気持ちよくて仕方ないのだろう。そう考えると、こちらの興奮が収まらなくて困る。 更に奥まで咥えても、吐き気は襲ってこない。裏筋を、力を入れた舌先で強く押し付けながら、口腔内を真空にして陰茎全体をしゃぶり尽くす。佑真の尻の側面に手をあてがうと、筋肉を収縮させて快感に悶えているのがうかがえた。 「っハァ…ちあきさ…、離して、出るっ、出るからっ」 「んー、らひて」 「あっ…イく」 その瞬間、俺の右手の中で佑真の情欲の塊が膨張して、睾丸から精液を吸い上げる動きをした。奥まで咥えなおすと、佑真の激しい吐息に合わせて性器がびゅくびゅくと射精する。粘度の高い濃い精液が、しばらく俺の口内を汚し続けた。その間佑真はずっと「すいません…」と申し訳なさそうな顔をしていた。 その顔がそそるから、口の中のものをごくん、と喉の奥へと送り込む。 「ん、…んく、はぁ…、どうだよ? 俺の舌技は」 「の、の、飲んだんですか? 汚いっすよ!出してください!」 「あ? 何だよそれ。飲んでくれてありがとうございます、じゃないわけ?」 ぺろり、と唇に付着した分も舐めきってしまうと、射精し終わったばかりのものも丁寧に舌で拭った。くたくたになっていてもおかしくはない性器は、突き出してひくひくと動いている。その部分が、全体でひたすら俺を求めているように見えて、めらっと火が点いた。その火はろうそくの芯のように燃えて、体を溶かしていくようだ。俺はおかしいのだろうか。今すぐに、佑真が欲しい。 「なぁ、佑真…挿れて」 「…ゴム、つけないと」 嫌だ。今は一時も体を離して欲しくない。このまま突き破って来てほしい。 「いや。いらない…来て…佑真、きて?」 俺は知っている。佑真は俺の来て?に弱い。人の顔色を窺って何年も生活してきた経験は伊達じゃない。ほら、今だって下唇を強く噛んで、情けない顔をしている。とろとろの表情を浮かべながら、難攻不落のゴムツケロ要塞を落とすための作戦を練った。もう一押しで、きっと陥落だ。冷静に考えたら、IQが低すぎて笑止の沙汰だろうけど。今は何も考えられない。佑真の体温を内側から直接感じたい。それ以外のことは。 両腕で佑真の頭を引き寄せる。発熱したように熱い耳を指でなぞりながら、深いキスをする。 「っん…も、今日、だけっすよ」 耳元で吐息混じりの降伏宣言が響いた。よっしゃ、落ちた。唇を繋げたまま、湿った性器が俺の柔らかな門にぴとっと吸いつく。めりめりと貪欲に咥え込むそこだけに神経を集中させた。ふぅっと息をゆっくり吐いて、佑真の背に手を回す。佑真の肌はじっとりと汗ばんでいる。密着度が上がり、全身が繋がっているように感じて心地よかった。 「あっ…ひゃぁあ…!」 他に集中している時に乳首を弾かれて、思わず仰け反ってしまう。 「ぁあっ、ゆうまぁ…それ、やっ…!」 いつの間に、こんな芸当を身に着けたのだろう。佑真も戦いの中で進化しているのだろうか、などと下らないことを考えそうになると、弦楽器を弾くような深い声が、また耳の横で鳴った。 「…はっ、すげー、えろい声」 「っるせ…は、あぁん…ああっ」 悦い部分をめがけて執拗に突き上げられ、乳首を捏ねられながら、舌で首筋を舐め上げられる。三箇所を同時に責められると、快感は足し算ではなく掛け算式に強くなる。一気に上乗せされた刺激に体が追いつかない。目を閉じても、赤や青の稲妻がチカチカと横切って、気絶しそうなほどの快感が強くなるだけだった。要塞の地図を全て明け渡しているのは、こちらだったのかもしれない。自分がけしかけた期待の何倍も超える愛情と性欲を一身に向けられる。これ以上の至福はない、と朦朧とする意識の中で思った。 「ゆうまっ…、ちゅー…ちゅーして…」 俎上の魚と化した俺にできることは、口腔を侵略してくる佑真の舌と戯れることだけだった。大きなべろを根元から吸い上げて、自分のものと合わせて感度を高める。さっき男性器をしたように優しくむしゃぶりつくと、舌の奥から呻きに似た音が漏れる。 「んく…ん…」 「…んっ、はっ…んんぁっ」 「ぷはっ…ぁ、やべー。今日、千章さん、どうしたんすか?」 お前がいつの間にか上手くなりすぎてるのがいけないんだろ?と言ってやりたいけれど、力の抜けきった舌が回る気がしない。喋ってる暇があったら、腰を動かせ。来てほしい。更に奥まで。 「んっ、もっと…。もっと、して…」 「マジでっ、俺の彼氏、えろすぎて、も…無理っす」 彼氏。一瞬誰のことだろう、と考えて赤面する。そうだ、俺たちはもう。ずっと疎ましかった「恋人」という響きが、急に甘美なものに思えて、俺はつくづく利己的だと思う。 佑真は、はぁーっと肺一杯に空気を取り込んで、一度ギリギリまで抜いた接合部を一気に近づけた。意識が飛びそうなほど悦いスイートスポットまで、急降下してくる。ピンボールの玉がレーンとレーンの間を、高速でギュインギュインと往復するような快感が襲った。 「…ああっ、あっ、ん、いいっ、きもちいっ…!」 「っ、すげ…っ、締め付け…えぐいっ…」 確かに、性感帯を当てられる度に、自分の後孔がぎゅっと引き締まる自覚はある。 「んあっ、それだめぇっ!」 「ちょっ…んな、締めないでっ、ください」 「…っおまえが、ちくび…いじるっ、からぁっ」 執拗にいじられた乳首は、もうヒリヒリと痛んでいるのに、強く擦られる度に衰えることなく刺激を何倍にも増長させる。脳内のピンボール台は、カラフルなランプが灯って目視で確認できないほどの玉が一斉に暴れていた。 「あっ、ゆうまっ。も…イく…イっちゃう」 「俺も…そろそろやばいっす…外、出すから…」 「だめっ、ぬくなぁ…あっ、ああっ!」 種付けをするように、一番奥に出して欲しくて足を絡める。自分から迎えに行くように交合を深めながら、俺も達した。 「はっ、あぁっ、ん…」 射精の時の、性器がどくどくと脈打つ感覚を、今度は自分の中で存分に堪能する。温かいどろどろを余すことなく取り込もうと更に締め上げると、根元でからっぽになった蜜壺が震えた。放たれた精液は、触れたものを侵食する劇薬のように、俺の体を溶解させる。 さすがの佑真も、骨の髄まで俺に搾り取られてぐったりと倒れて動かない。数分沈黙が続き、俺の意識も深淵へと落ちていこうとした時だった。佑真がむくり、と起き上がった。 「ねえ、千章さん」 何を言い出すのだろう。このいたずらっ子的な表情、嫌な予感がする。 「ラーメン、食いに行きましょう!」 予感は的中だ。正気の沙汰じゃない。全身がギシギシ痛いし怠いし重い。俺はこのまま眠りこけるつもりでしかいなかった。大体俺は、ああいう回転率の高い居心地の悪い店が得意じゃない。誰が行くものか。絶対にお断りだ。 「らーあめん! らーあめん! やっふー!」 ゾンビのように歩く千章さんの手を引いて、行きつけのラーメン屋に向かう。 猛烈にラーメンが食いたくなる時が人間にはあるのだ。ばたん、とベッドの上に倒れ込んで、吐息まみれになっていた時に、その瞬間は訪れた。 大学と千章さんのアパートのちょうど真ん中あたりに、その店はある。 「さっき通った道だろここ。食いたいなら帰り道寄ればよかったじゃねえか」 「分かってないなぁ、千章さんは。運動した後が旨いんすよ」 そう言うと、意外にも千章さんは少しだけ耳たぶを赤く染めて目を逸らした。さっきのことを思い出したのだろう。 「らっしゃっせー!」 「二名で!」 カウンターの奥の席に座り、いの一番に声を上げる。 「十番らーめん、二つで。あとライス大盛り!」 「おい、勝手に決めんな」 ここに来たら十番らーめん一択だ。不満げな目線を送ってくる千章さんに、「まあ任せてくださいって」としたり顔をする。普段の会話や生活では、千章さんに主導権を取られることばかりだけど、ラーメンでは絶対、握らせてたまるものか。 「あとおじさん、俺FC鳴律なんで、煮卵二つ!」 そこに首尾よく畳みかける。 「おう、そうか!たっちゃん元気か?」 「はい、元気っす!」 ここのラーメン屋はOBがやっている店で、出身サークルの学生には煮卵を奢ってくれる、というのは、俺たちのちょっとしたライフハックだ。俺はもうそのサッカーサークルにはほとんど顔を出していないけれど、ここではご相伴に預からせてもらう。主将のたっちゃん先輩が元気かは分からないけど、適当に返事をする。骨折とか、してないでいてくれよ。 千章さんは、借りてきた猫のように、首をかしげてそのやりとりを聞いていた。千章さんを出し抜くと、少しだけ普段の仕返しができたように思えた。 現代人らしからぬ独特の雰囲気を纏う千章さんに、サラリーマンと学生が集うラーメン店の構えにはあまりにミスマッチだ。俺が連れてきた感が満載で、なかなか良い眺めだった。 「ハイお待ち、十番らーめん煮卵つき、とライス大盛一丁」 「あざーっす!」 「…どうも」 「ほーっ、やっぱこれに限るぜ!」 味噌ベースのスープから、雲のように蒸気が立ち上る。レンゲを沈めると、黄金色の細かい脂の粒がスープから浮かび上がって、食欲をそそった。 スープを一口啜ると、ガツンとした塩味とコクが体全体に染みわたる。いつもの、何倍も旨い。セックス後の、酷使した体が一番求めている味だという気がした。隣で千章さんも同じことを考えていたらいいな、と妄想する。ラーメン屋では、二人で来ていても、団体で来ていても、ラーメンに向き合う時間は孤独だと決まっている。無言でもくもくとラーメンを啜るカウンター席の連帯感が、何とも心地よい。 ラーメンが体の中に溶け込んでいくうちに、さっきまで凍えていた体は内からぽかぽかと熱く、ゆるゆると鼻水が流れそうになる。ナプキンで顔を拭って、味変のにんにくチップをどさっとかける。 「にんにく、入れると旨いっすよ」 「…いい」 「いやいや、騙されたと思って」 「後で、キスできなくなるだろ」 声をひそめて下を向く千章さんが可愛すぎて、俺は何度も目を擦りたくなる。これは現実の出来事だろうか。やっぱり、付き合い始めてから少しずつ、千章さんの意地っ張りが薄れてきているような気がする。千章さんらしくないな、と少し物足りないような気もするけれど、俺だけに見せる顔というのは格別だ。煮卵よりもずっと旨い。 「二人で食えば分かんねえっすよ」 「んー、そういうもんか?」 残った麺ともやしをかき集めて、レンゲに乗せて一気に啜る。スープが染み込んで柔らかくなった具材が、にんにくの香ばしさとのコントラストを上げてまた食欲を引っ張る。一口目とは全然違う味だ。 最後に、大盛のライスを残り汁にダイブさせるのが佑真流。親が見たら行儀が悪いとか怒るんだろうけれど、知ったこっちゃない。親に見られたら罪悪感が湧くことなんて、さっき死ぬほどしてきた。この隣のとびきりエロい彼氏さんと。 自由。これこそが大学生の醍醐味だ。すると隣からも、バリバリとにんにくチップを噛み砕く音が聞こえてきて、思わずにんまりしてしまう。 脂が絡みついた米を流し込み、最後に残った濃いスープを飲み干して、フィニッシュ。 「ごちそうさまでしたー!」 「ラーメン、久しぶりに食ったけど、旨いな」 「でしょ! また来ましょうね。運動した後に」 同じところで二度は照れてはくれないらしい。千章さんは何も聞こえなかったような顔で歩き出した。 もうすっかり日が短くなり、街灯のない通りは、至近距離でも互いの顔が認識できないほどの暗闇だ。この頃千章さんは、無茶な早歩きをしなくなった。前は後ろ姿しか見れていなかったのが、今は横顔にまで進歩した。いつかはこちらに顔を向けて歩いてくれるようになるだろうか、と考えて、それはないなと苦笑いする。それでも、寄り添って進む家路は一緒だ。同じ場所に帰れること、明日の朝も同じ場所で起きれること。そんなことが俺にとっては未だに、キセキだって思える。 「千章さん、明日何時に…」 言葉を急に失ったのは、不意打ちで肩を抱かれ、千章さんの唇が重なってきたからだ。 「っわ、にんにくくせー」 一方的にキスしてきて、一方的に暴言を吐く。やっぱりこの人、人格が破綻している。キスしたことの照れ隠しなのか、こちらにターンを渡さないまま御託を並べてきた。 「二人で食えば分かんねえって言ったのお前だよな。めちゃくちゃ分かるんだけど? むしろ二倍でくせえ! てか明日バイトなんだけど俺!」 「じゃあ、ちょうどいいじゃないっすか」 だって、バイトしてる時のあんたイケメンすぎなんですもん、とみなまで言うのはやめておいた。意味分かんねえ、とキレられるのは自明だ。でも、ちょっと口がにんにく臭いくらいじゃないと、バイトに送り出すのが嫌になる。 「佑真、帰ったら風呂とトイレ掃除、な」 余計なことを口走らなければよかった。 「あと、全力で歯磨き」 理不尽で気が短くて偏屈。それだけだと最悪な人だと思われるかもしれない。というか実際そうだけど、他にも俺に見せてくれるどの側面も含めて、まるごと全部、俺はこの人に惚れているんだ。 「あ、忘れもんした」 「おう、早くしろよー」 靴を片方脱いで、効率の悪いケンケンで部屋に戻る佑真を、鼻でため息をついて見送る。向かいのアパートの出窓の上に、数センチ白いものが積もっているのが見えた。雪の日は、昼でも深夜のように町全体がひっそりと静まり返るのはなぜなのだろうか。 去年も見た景色だけど、今年は佑真がいるから違う景色に見える、なんてことがあってたまるものか。誰といようと見慣れたものは変わらない。相変わらず、冬は苦手だ。かといって夏は死にそうなほど暑い上に蚊が出て不快だし、春は花粉がウザいし、梅雨はジメジメして気が滅入るし、秋は自分の誕生日があるから嫌いだ。つくづく嫌な国に生まれてしまった。でもまあ、これからはそんなことに気を取られるまでもないほど、年中暑苦しいやつが隣にいるわけで。悪くない、と思ってしまったことは素直に認めよう。すると突然視界に、ふわりとオレンジ色の靄がかかった。 「ほら、忘れもん。これしないと冷えますよ」 ぐるぐると大判のマフラーを巻かれた。それだけで、体全体がぽかぽかとした暖かさに包まれたような錯覚に陥る。 「おう、サンキュ」 「行きましょっか」 差し出された手は分厚くて、温かい。 嫌じゃない。手を繋ぐことも、優しくされることも、寒いのも。コーヒーに溶けるミルクのように、吐息が靄のように空気に混ざっていく。 俺はあの頃、賭けに負けてトラックに遭遇しなかったから、今もこうしてせっせと二酸化炭素を排出している。地球にとっちゃ迷惑かもしれない。でも近頃は、俺のことをキモイと言うやつがいようと、どんな扱いを受けようと、生きてやろうという胆力が備わってきたように思う。雑草の心が、この俺に芽生えたのだ。どこから飛んできた種子なのかは火を見るより明らかだ。しかし雑草ならば、少しは酸素を振りまいて、世のためになることをしなくてはならない。 そうだ。小説を書こう。俺にはそのくらいしか能がないんだから。今なら、描けるような気がした。今度は信頼に足る語り手で、恋愛小説でどちらも死なずにハッピーエンドで終わる話にしてみようか。そうしたら、佑真は調子に乗って訊くだろう。 「これ、俺たちの話っすか?」 「思い上がんなよボケ」 そうは言いつつも、この手から伝わってくる温もりを、早く言葉に乗せてみたくてうずうずしてきた。 「ん、何か言いました?」 「何でもねえよ」 この感情を、どう表現するべきか。温かくて心地よい時もあれば、危険なほど身を焦がす時もある。人は皆、火傷だらけでいきているのかもしれない。 だとしたらもう、書き出しは決まっている。 「恋とは、触れたら爛れそうで、熱く、脆い。しかし男は、その灯に救われた」 完

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