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こじらせ男子の夢と愛
『――――』
放たれた言葉は刃となり、智紀の胸を深く貫いた。
溢れたのは血ではなく涙。“別れ”の言葉はいとも簡単に人の心を殺す。
『待って、行かないで』と叫ぶ智紀は去っていく恋人の背中へ必死に手を伸ばす。どうしようもない悲しみと息苦しさに襲われて、底無し沼に囚われたような身体をなんとか前へ進めようともがいた。
(葵さん、葵さん、葵さんッ)
暗闇はどんどん深くなり、最後の瞬間には葵の姿は見えなくなっていた。
「葵さんっ――!!」
汗まみれで目を覚ました智紀は、そこが自分の家の安っぽいパイプベッドの上で、今まで見ていたものはすべて夢だったのだと一瞬で悟った。あの暗闇の中で葵が智紀に告げた、『さようなら』という別れの言葉は、夢だったのだ。ホッとした瞬間にふと横へ視線をやると、驚いて固まっている葵の姿があった。
「あの……おはよ、智紀くん」
葵はベッドのすぐそばのローテーブルで、作り置きしていた野菜スープをスプーンで掬って飲んでいた。ほっそりとした身体に白のゆるいパーカーを着て、朝のゆっくりとした時間を過ごしていたようだ。
「あ、お、おはよう……ございます」
「もう、急におっきな声出すから、びっくりしてスープこぼしちゃうところだったよ」
一瞬硬直したのちに吹き出す葵が可愛くて、智紀は思わずつられて笑った。笑いを堪えながらスープをテーブルに置いた葵は、何かを求めるように目を閉じる。智紀は何を求められているのかすぐに察知して、柔らかな頬に触れるだけのキスをした。
「……それだけ……?」
「まだまだ」
そう、これはまだ始まりに過ぎない。頬へのキスだけで目をとろんとさせた葵の脇へ手を滑り込ませ、強引にベッドへと引っ張り上げる。
「ひゃぁ、っ!」
細くて軽い葵の身体は簡単に智紀の腕の中に収まって、じたばたと足をばたつかせている。夢の中の冷たい視線を向けてきた葵とはまるで違う。生き生きしていて愛らしく、あたたかい。自分が知っている、大好きな葵だ。
「葵さん」
後ろから包み込むように抱きしめると、困ったような、しかし優しげな笑顔で葵がこちらを見つめてくる。
「どうしたの、今日は甘えん坊さんだね。怖い夢でもみた?」
大声で名前を呼んで飛び起きたりするから、すっかり葵に心配されてしまっているようだ。しかも、おかしな夢を見ていたことまで見透かされている。
「……うん」
「そっか、じゃあうんと優しくしてあげる」
「え」
「智紀くんがもう怖がらなくていいように、いっぱい“いいこと”してあげる」
いたずらっ子のような笑顔。柔らかいキス。
――ああ、この人を好きでよかった。
夢で見た別れの瞬間はきっとまだ訪れない。もしかすると、いつかはやってくるのかもしれないけれど、それは今ではない。
「葵さん……大好きです」
「僕も大好きだよ」
気持ちの繋がりは言葉だけじゃ確かめることはできないけれど、それでも言いたかった。
体勢を変えて、智紀は葵をベッドに押さえつける。
「葵さんを世界で一番愛してます」
「……面と向かって言われると、くすぐったいよぉ」
大真面目な顔で想いを伝えると、葵は真っ赤になって顔を手で覆い隠してしまった。
そんな仕草も可愛らしい。「顔、隠さないで」と耳元で囁き、智紀は細い指先にキスをした。
たっぷりと、燃えるような熱い想いを込めて。
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