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ホワイトデーは激辛の味

「今日は鶏肉が安かったから、あ~んどホワイトデーということでチキンカツにするよ~」 「よ! 待ってました!」  エプロンの紐を結びながら言う蒼に冷蔵庫の横で床に座っていた湊は拳をあげて歓声をあげた。ここに住むのは男子大学生。小食な雪也はともかくとして、彼以外の四人はよく食べる。特に湊は胃袋がブラックホールだ。サクッと揚げられたチキンカツにホッカホカの白米の相性は抜群で、想像するだけでよだれが溢れてくる。 「今日はちょっと寒かったから卵スープも作ろうか」  身体の内側から温まる方が良いだろう、そんなことを言いながら蒼はにこにこと微笑み包丁を握った。そんな蒼の姿を湊は静かに見つめる。  湊はこの場所が好きだ。冷蔵庫の横にある乾物などを入れた棚にもたれて床に座れば、キッチンで料理する姿を見ることができる。そしてポツポツと何ということは無い雑談をするのだ。他愛もない話に蒼はニコニコと返事をしてくれる。傍からみればそんなことで? と言われそうなこの時間が、湊にとっては一番好きだった。  同居人の皆とワイワイ騒ぐのも勿論好きだ。彼らが彼らのままで側にいてくれるから、湊は自然体でいることができる。でも、わざわざ大学のコマを調整して蒼との時間を作るほどには、彼は蒼と二人の静かな空間を楽しんでいた。 「そういえば今日、食堂で雪也に告白しようとしてた女の子がいたよ。バレンタインは周が阻止したから、今日勝負に出たなって感じだった」 「食堂で? それはまたチャレンジャーだね~」  湊が話し始めれば蒼は調理の手を止めることなく苦笑した。食堂は常に人が多く、今日は寒かったこともありいつもより混雑していたことだろう。そんな中でこれまた目立つ存在の雪也に、それもホワイトデーという日に告白するなど、おそらく食堂にいた全員から注目されただろうに。 「それがどう見ても告白なのはわかるんだけどねぇ、〝付き合ってください!〟の返事が〝……どこに?〟って。もうさすが雪也としか言いようがないというか、そんな返事を返す人初めて見たよ」  雪也は鈍い。それはもう一緒に暮らしている周の好意にまったく気づかないくらいには鈍い。それがわかっていても今回は勇気を出して告白した女の子に湊は同情してしまう。 「ッッ……、そう来たかぁ~。まぁ、雪ちゃんにはまったく悪気はないんだけどね~」  笑いを嚙み殺しきれていない蒼が米を研ぎながら肩を震わせる。きっと脳裏にはその光景が易々と思い浮かべられていることだろう。 「まぁね。どこかわからないけど行ける所なら付き合うよ、って言ってたし。横にいた周は遠い目をしていたよ」  きっと周も複雑な気持ちだっただろう。告白が成功しなかった喜びと、雪也の鈍さを実感しているが故の同情と共感。遠い目にもなろうというものだ。 「でも、ここで湊が普通にそれを話してるってことは、雪ちゃんには告白の意味は伝わらずに終わったってことでしょ?」 「まぁね。結局女の子が斜め上の返答にアタフタしちゃってる間に時間が来ちゃって、雪也は授業があるからごめんねって、行っちゃって終わり。授業終わってすぐに買い物に出て行ったから、あの子も雪也にはあれから会えなかったと思うよ」  なんとも罪作りな男だ、などと笑いながら蒼は手際よく下味をつけた鶏肉に小麦粉、たまご、パン粉とつけていく。小麦粉、たまご、パン粉、小麦粉、たまご、パン粉……、同じ動作を繰り返す蒼の手つきをジッと見つめながら、湊は口元に優しい笑みを浮かべていた。  雪也と初めて出会った時も、彼は女の子たちに(遠巻きに)囲まれていた。確かにとても綺麗な奴だとは思ったけど、きっと高慢ちきな性格なのだろうと最初は関わろうとはしなかった。けれど、どこにいても目立つ彼を見ているとそう悪い奴ではないのではないかと思った。その後雪也と話す機会がたまたま訪れて、そして彼がとても天然で周りの熱い熱い視線などまったく気づいておらず、そしてとても良い奴なのだと知った。雪也のおかげで彼の友人だった蒼と出会い、蒼の従兄弟である周と出会い、幼馴染である由弦も含めていつの間にか五人でいることが当たり前になって。 『家賃勿体ないからさ、ルームシェアしない?』  そんなことを言ってみた。  どうせいつも誰かのアパートに集まっているし、ちょうど仲良くしている春風先輩が同級生とルームシェアをしている二世帯住宅の西側を水光熱折半家賃なしで使って良いと言ってくれているからバイトをしているといってもお金は節約したい苦学生にはありがたいし、とか。  皆で食費出してやった方がちゃんとしたご飯も作れるし当番制にしたら楽になるんじゃないか、とか。  これで周の恋心に雪也も気づいたら良いのに、とか。  たくさんの本音と建て前を自分の中で並べ立てて。 「ま、あの女の子の方が素直だな」  ポツンと呟いたそれは揚げ物をしている蒼には聞こえなかったようだ。またポツポツと他愛無い話をしながら、湊は蒼をジッと見つめていた。見つめているだけなのに、なんでこんなに涙が溢れてくるのだろう。  そんなことを思っていたら玄関の扉が開く音が聞こえ、すぐに由弦と周がリビングに入って来た。 「ただい――辛ッ!! なにこれ辛ッッッ」  入ってきて早々沁みる! 目に沁みる! と叫び転げまわる由弦と、ただいますら言えないほどに固まった周に蒼はニコニコといつもの笑顔を見せた。 「お帰り~。今日は鶏肉が安かったから、あ~んどホワイトデーということでチキンカツだよ」  最後の一枚も揚げ終わったのだろう、蒼が真っ赤なチキンカツを嬉しそうに見せた。今回は何が入っているのだろう。ハバネロは確実に入っているに違いないし、唐辛子なんて生ぬるいと言わんばかりの赤さだ。 「帰ってきてたなら止めろやあぁあぁあぁぁッ!! 何をダーダー泣きながら見守ってんだよ!」  自分もボロボロと涙を零しながら詰め寄る由弦に、まさか思い出と己の心境に浸っていましたなどとは言えず湊は苦笑する。そもそも、湊が蒼を止められるわけがないのだ。  ピー、ピー、と炊飯器が音を立てる。今日は皆――蒼と雪也以外は白米を大量に食べることだろう。それでも蒼が幸せそうに笑ってくれるのなら激辛料理もたまには良いかな、なんて。 「ほんと、重症だな……」

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