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学生の修羅場

「いや、そうじゃなくて、こっちの公式を使って――」  コタツにすっぽりと入りはんてんを着ながらもピンと背を伸ばしてコピー用紙に数式を丁寧に端折らず書いていく雪也であったが、彼の斜め横に座ってその数式を見ていた由弦はゴンッと音をたててコタツの天板に頭を打ちつけた。 「無理。不可能。俺は頭悪くて良い。こんなの不可能。もはやアラビア語に見えてきた」 「並んでるのは数字と記号だよ~」  天板に額を付けたままグルングルンと頭を横に振りながらブツブツと否定の言葉を呟く由弦に雪也は苦笑し、由弦の正面に座ってお茶をすすっていた蒼は冷静なツッコミを入れた。ちなみにサクラは由弦の真後ろで伏せをするようにして寝転がっていて、周は雪也の隣でボンヤリと雪也の手元を見つめており、湊は雪也の正面でコタツに潜り込みながら永遠とミカンを剥いては食べている。今現在の記録は七つ。夕飯もお変わりまでしたというのに、彼の胃は無尽蔵であるという噂は本当であるらしい。そんな湊が再びミカンの皮を剥きながらチラと由弦の広げている教科書に視線を向けた。 「でもこれは諦めずに解き方覚えて、応用も利くようにしておいた方が良いぞ。割とこれからも出てくるから」 「テストに出るし、出来ると出来ないでは点数も大幅に変わってくるしね」  湊に続けて蒼がトドメを刺し、周が無言でコクコクと頷く。雪也は苦笑するばかりだが否定しないところをみるに湊達の言葉は本当なのだろう。それがわかるがゆえに由弦は「ううぅッ」と低く唸る。 「え、お腹痛いの? はやくトイレに行きなさいなぁ」  由弦の唸りに湊がミカンを頬張りながら真顔で冗談を言えば、蒼がニコニコと続ける。 「我慢は良くないよ~」 「漏らす前に行かないと」  普段は無口だというのに、こういう時だけはちゃっかり乗ってくる周。 「なんならトイレの壁に公式書いた紙を貼っておこうか?」  ニコリと美しく微笑みながら、腹痛でも公式を覚えさせようとする鬼畜っぷりを発揮する雪也。なんの打ち合わせも無くスラスラと紡がれるこのおふざけの連鎖に「トイレじゃないから!」と叫ぶまでがワンセットだ。 「でも本気でトイレの壁に公式貼っておかないと駄目なくらい時間ないよね~。テスト明日だし」  湊からミカンを一つ貰った蒼が皮を剥きながらのほほ~んと言えば、由弦は更に唸り声をあげて沈み込む。あまりにうるさくて安眠を貪れなかったのか、ムクリと起き上がったサクラが由弦の後ろからノソノソと移動し周をちょいちょいと突き抱っこを強請る。その願い通りに抱っこされてご満悦なサクラは周の腕に顎を乗せて瞼を閉じると、盛大なイビキをかいて再び眠り始めた。その穏やかな爆睡姿が由弦には非常に羨ましい。 「なんでまだ俺の部だけテストなんだよ」 「それ言うなら、なんで毎回テスト前日に慌てるんだい? 由弦君」  うがぁッッ、と叫ぶ由弦であるが、湊に突っ込まれると空気の抜けた風船のようにしぼんでしまう。そう、常ならば皆同じ時にテストを受けるのだが、今回は教師側の事情で由弦のいる経済学部だけが一日ずれてしまい、それゆえに皆がテスト終わりでくつろぐ中、一人だけテスト勉強という悲しい現状が作り出されてしまったのだ。 「確かに応用も含めたら難しい公式かもしれないけど、逆に言えばこれさえ使えるようになればけっこう点を取れるから、お得といえばお得だよ」  由弦が泣きついて勉強をみてくれている雪也が苦笑しながらなんとか励ましてくれるが、由弦にはどうしても公式が謎の文字にしか見えない。そんな由弦が経済学部に入学できたのは母と母が雇った家庭教師が恐ろしくて発揮した謎の記憶力の賜物だろう。その記憶力は知らぬ間に再び封印されたようだが。 「ま、悩んでも仕方ないからやるしかないよ。弥生先輩がいつも言っているように手が覚えるまでその公式の問題を解くのも良いかもね」  ミカン美味しいとニコニコ笑いながらの蒼からの助言に由弦は羨ましいと思いながらも頷くしかない。とはいえ、手が覚えるもなにも由弦一人でこの問題を一度でも解ける可能性は限りなく低い――否、不可能であるので、助けを求めるように雪也へ視線を向けた。 「わかってるから大丈夫だよ」  なんとも頼もしい雪也の美しい笑みに縋るよう手を伸ばした由弦は、その時トン、と足に柔らかな感触が当たり不思議に思って視線を向けると、そこにはいつの間にか周の所から再び戻って来ていたサクラが伏せをしながらペロペロと床を舐めていた。ちょうど由弦のお尻がある場所で……。 「うぉあ! こらサクラー! そんなところ舐めたら俺が漏らしたみたいになっちゃうだろ!」  由弦の叫びに皆の視線が彼の座っている場所に向けられる。蒼などは身を乗り出してまでその場所を見ていた。そこには小さいながらも丸く変色したカーペットがある。  由弦が叫んでも「え?」と首を傾げていたサクラであったが、抱き上げられ面と向かってメッ! と言われると、ほんのちょっぴり舌を出して口角を上げた。最近サクラが覚えた笑って誤魔化せ作戦である。 「サクラおいで。由弦は今修羅場だから、こっちで遊んでいよう」  立ち上がった周がサクラを由弦の腕から抱き上げてもと居た場所に座り、サクラの全身にコチョコチョし始めた。これはサクラが大好きな遊びなので満面の笑みを浮かべながら、全力でコチョコチョを楽しんでいる。その様子を見た由弦は安心して、再び現実逃避をしそうになりながら公式とにらめっこした。  そして無事、由弦は最終日の試験を乗り越えたが、後日現国の再試験が決まった。

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