24 / 24
【番外編】化け物屋敷
騒々しい物音に続いて、仕事部屋のドアが勢いよく開き、すみません、吉村さん、あの、と南が飛び込んできた。
本にペンを挟んでから振り向くと、裸だったのでぎょっとした。変な柄のトランクス一枚で、なぜか洗面台用の黄色いスポンジを握りしめている。
「お風呂に、むかでみたいなのがいて」
よく見れば、体がびしょ濡れだった。
「みたいなのって、むかでなのか? 刺された?」
「刺されてはないですけど、あの、すごく大きくて、何なのかわかりません」
仕方なく風呂場を見に行くと、それは窓の下の壁に張り付いていた。
「どう見ても、むかでだけど」
俺の後方に距離を置いて立っている南は顔を引き攣らせて、ぶんぶんと首を横に振った。
「むかで、そんなじゃないです。もっと小さい。色も俺が知ってるのと違う」
「お前、むかで見たことない? こんなの普通だよ。Mサイズ、大中小でいえば小に近い中」
棚のタオルを南に投げてやって、あらぬ方向に吹っ飛んだ足拭きマットを爪先で引き寄せた。
「そのスポンジは何で持ってきちゃったの」
南は左手に握りしめたスポンジを、泣きそうな顔でそっと洗面台に戻した。
「シャワー浴び始めて気がついて、パンツ穿いた時に慌てて」
「かわいそうに、パンツだけは穿いたんだ」
俺が笑うと、南は悄然として、
「で、どうすればいいでしょう」
と言う。
「どうすれば? 嫌ならシャワーで排水溝に流せば?」
「やだよ、気持ちわりいよお」
「殺虫剤も一応ある」
「吉村さんは、ああいうの、どうしてるんですか」
どうしてたっけ。あらためて考えると、別にどうもしていない。
「見ないようにしてる」
「ええ?」
「しばらくしたらいなくなるから、いなくなるまで待つ」
「だって、それじゃあ、どっかにまだいるってことですよ」
「そもそも、あれ一匹だけいるわけじゃないぞ」
そんな話をしているうちに結局むかでは消えていたのだが、南は気味悪がって風呂を中断し、その夜、俺が浴槽に入っている時に乱入してきた。
狭い浴槽に二人でおさまり、しばらく俺にからかわれていた南が、吉村さん、と深刻そうに切り出した。
「吉村さん、引っ越す気はないんですか」
「引っ越す? むかでが出るから?」
「むかでだけじゃなくて、でっけえ蜘蛛となめくじいるし」
「げじげじとか見たら、お前、パンツ穿く余裕ないだろうなあ」
「げじ? それ何?」
「知らないか。検索しない方がいいよ」
南は背後から回した腕で俺の体を抱きしめた。
「おばけも出るじゃないですか」
「虫とおばけか。そう言われるとまるで化け物屋敷だな」
「一緒に住んだりするのはだめ? 二人で部屋探して」
驚いて言葉が出なかったが、なぜか笑いがこみ上げてきた。
「吉村さん、鳥肌立ってる。どうして?」
南は俺の右耳に口を寄せて聞いた。ぞくぞくと体を震わせるその声から逃げて顔を背けると、天井近くに張り付いたむかでが目に入った。さっきのやつだ。
南が水音を立てて反対側の耳に何か囁きかけてくる。遮って教えてやるか、もう少し聞いていようかと迷いながら、俺は笑い出していた。
ともだちにシェアしよう!