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番外編「彼が魔王と呼ばれるまでの話」⑤
それから暫くして、クラッドの体は瞬く間に成長していった。
以前まで私の腰元くらいまでしかなかった身長も、私の肩まで伸びた。人間と違い、魔物の成長はその者の力が反映される。魔法の練習をし始め、彼の魔力も少しずつ増えていった。そのおかげか、どんどん顔つきも大人びてきた。
「クラッド。今日の訓練はこれくらいにしておきましょうか」
「わかった」
やはり彼の潜在能力には目を見張るものがある。私が1を教えれば、そこから10にも20にもして覚えていく。ここまで魔法に長けていたとは驚きだ。
それに彼の魔力属性。これは希少魔法である闇属性ではないか。かつての魔王がそうであったと聞くが、まさか彼もそうだったとは。
「リド。僕、狩りに行ってくるよ」
「気を付けていくんですよ」
「うん」
クラッドは駆け足で森の奥へと向かって行った。
私は彼の背中を見送り、洞穴の中へと入っていった。最初は二人でギリギリ入るような空間だったが、彼の魔法の練習を兼ねて中を広げていったおかげで十分なスペースが出来た。
もう人間を相手にしても余裕で勝てるはずだ。だけど彼はこの森から出ようとしない。まだ自信がないのだろうか。その気になれば国一つくらいなら滅ぼせる程度の魔力は持っているのだが。
一人だから駄目なのだろうか。かつての勇者がそうだったように、仲間がいれば変わるだろうか。人間に恨みを持ってる魔物は大勢いる。その者たちを仲間にしていけば、彼もやる気になるかもしれない。人間だって大勢で群がらなきゃ何も出来ない集団なのだから、こちらだって同じようにしても良いだろう。
「少し様子を意味に行きますか」
私は空を飛び、森を出た。
人間にような時間の感覚を持たない。だからこうしてたまに人間の様子を見に行くと街や文明などが大きく変化していたりするから、かつては面白いと思っていた。
今は人間側にあまり成長されても困る。クラッドが復讐と遂げるためにも、武器や兵器を作られたら面倒だから。
「……あの場所は」
少し離れた場所に小さな町が出来ていた。やはり人間の進化はこちらが思っているより早い。
それに、あの場所。クラッドが住んでいた集落があった場所だ。あの人間達の足元には、奴らが殺した魔物達が眠っているというのに。それを知ってか知らずか、この人間達は彼らを足蹴にしてのうのうと生きているのか。
胸のあたりが痛い。今まで感じたことのない感情が渦巻いてる。
なんだ、これは。この感情をどうすればいい。
頭の奥が、ジリジリする。
「おい、あれ……」
「え、うそ。天使様!?」
油断した。
人間に姿を見られてしまった。
逃げようとしたが、天使としての習性がそれを許さなかった。
人を慈しめ。希う者の話を聞け。弱き者を導け。
神様のお気に入りである人間にはそうしろと、言われ続けてきたことだ。そもそも下界に下りる天使はほぼいない。だから人間は天使を見たら崇め奉るのだ。
「天使様。どうか我々にご加護を」
「この近くに魔物がいるらしいのです。私たちは魔物に脅えて生きていたくありません」
「もう一度、この地に勇者を」
「神様の加護を」
「どうか」
「どうか」
人間達が天に舞う私に向かって祈ってる。
その魔物が、今足元に眠っている。
それを踏みつぶして生きているというのに。
まだ、奪う気でいるのか。
全てを奪われた彼が、文句の一つも言わずに生きているというのに。
これが、神様のお気に入りなのか。
こんな醜悪な人間達が。
私が天使じゃなかったら、こんな奴ら軽く滅ぼしている。
天使じゃなければ。
クラッドを守ってあげられるのに。
ああ。この胸に抱いた感情。
怒りだ。
「天使様?」
「どうなさいました?」
何も言わない私に、人間達は不思議そうな顔をする。
体が動かない。
本来ならここで人間に慈悲を施すのが天使。だけど今私はそれを抑えつけている。そんなことしたくない。
人間に与えてやるものなんかない。
私は、クラッドに。
彼に、私を。
「……クラッド」
絞り出すように上げた声は、突然現れた暗雲にかき消された。
ゴロゴロと鳴り響く暗雲が頭上に広がる。それに慌てふためく人間達。助けを乞う言葉。
もう聞こえない。私の体は黒い霧に包まれていく。いつの間にそんなことを覚えたんでしょうね。
私を抱きしめる霧が形を成して、真っ赤な血のような瞳が人間達を睨みつけた。
「貴様達にくれてやるものなどない」
地を響かせるような低い声。
人間達は震えあがり、多くの者が逃げ出していった。
しかし、それも無駄なこと。暗雲から放たれた一閃が彼らを貫いていく。
「この地は、我らの物だ。貴様ら人間が踏み込んでいい場所ではない。醜悪で欲深き人間など、断罪してくれる」
クラッドの姿が、私よりも大きく成長していった。
目覚めたのだ。本当の力に。
かつての王と同じ。魔を統べる者の力が覚醒したのだ。
覚醒したクラッドの力により、町はあっという間に崩壊した。
人間達も跡形なく消えた。
凄い。これがクラッドの力。私の魔力なんて軽々超えている。もう教えられることなんて何もない。
「……クラッド」
「リド……よかった」
地に降り、クラッドが私の体を抱きしめた。すっかり大きくなってしまった。私の体なんて彼の腕にすっぽり収まってしまうではないか。
「戻ってきたらリドがいなくて、心配した……」
「申し訳ありません。少し様子を見たら戻るつもりだったんですけど……」
「怖かった。リドまでいなくなったらどうしようって……」
「……クラッド。私は、どこにも行きませんよ」
そう言って、私は少し背伸びして彼に口付けた。
クラッドは驚いた様子だったが、すぐに受け入れた。
なんであんなに怒りを感じたのか。
どうして彼に興味を持ったのか。
なぜ彼のそばにいたいと思ったのか。
やっと分かった。
「……っ!」
彼の唇を噛み、滲んだ血を舐めとった。
魔物の血が、私の体に流れる。
体が燃えるように熱い。
天使の証である白い羽が一気に黒く染まっていく。
もう、これで私は天使じゃない。
地に堕ちた者。堕天使。
貴方と同じ、魔物。私は、悪魔。
「リド、なんで……」
「貴方を、愛しているからですよ」
「……え」
「これで、貴方と同じです。これから先もずっと、私は貴方と共にいます」
クラッドが目を潤ませ、また私を抱きしめた。
もう天界なんかに未練はない。
私の全ては、もう彼のものだ。
私はとっくに、彼の真っ赤で美しい瞳に囚われていたのだから。
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