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最終話
陽真SIDE
――兄さんのようにならない。
はずだった……のに。
「充さん……俺、やっぱり……電車には乗れない」
兄さんが用意してくれた新しい世界に、俺は素直に飛び込めそうにない。
ホームに入ってきた電車に乗り込もうとしていた充さんの手を引っ張って、俺は首を横に振った。
「陽真くん」
振り返って足を止める充さんの顔は、なぜかもう全てを理解しているような表情だった。優しく微笑んで、電車には乗らずに俺の隣に立ってくれる。
「……兄さんが、倒れたんだ」
「え?」
マンションの共同廊下で名前を何度も呼ぶ唯さんの声が気になって、ドアを開けた。そこには真っ青な顔をして倒れてる兄さんがいた。
下で待機している田野倉を呼びつけ、車に乗せた際に「気にせずに出発してください。こちらは大丈夫ですから」と背中を押されたが……。
無理だ。
間近で見た兄さんのこけた頬に、意外と軽かった身体が忘れられない。
無理をさせていたんだ。俺が幼稚に拗ねてた間も、兄さんはずっと父さんの下で戦う準備を整えてた。
兄さんの姿を見ようとしないで、俺は勝手に兄さんを父さんと同じ人間と決めつけていた。
最低な弟だよ。
「冬馬は大丈夫なの?」
「妬けるな」
「ちがっ……だって!」
充さんが慌てて、首を横に振る。
平気だよ。もう、兄さんを愛してるとか思ってないから。
充さんの想いは俺に向いてるんだろ?
「栄養失調と過労だって。休めば大丈夫って田野倉は言ってたけど……さ。兄さんが大人しく休む性格とは思えない」
「まあ、休みたくてもあの社長の下じゃ……休めないと思う」
「だから、助けたいって思ったんだ」
俺はにっこりと微笑んで、充さんの手をそっと握りしめた。
出発時刻になった電車は扉が閉まり、ゆっくりとホームを出ていく。
「俺、兄さんみたいにはなりたくないってずっと反発してた。だから大学を卒業しても就職せずに、バイトしてフラフラしてた。兄さんからの話も面倒で、無視してた。今日だって、充さんと別れて、家のために……て言われるもんだと思って警戒して、勝手にキレてたんだ」
「僕だって、ずっと勘違いしてたよ。近くで仕事してたはずなのに。あいつは変わったって嘆いて、半ば呆れてた。変えてしまったのはきっと僕たちのせいだったんだね」
「ああ。父さんの監視下から逃れるために、二人分の生活を用意してくれてるとは驚いた」
「自分は、監視下から出ずに」
「兄さんらしいよ」
俺と充さんは顔を見合わせると、笑い合った。
「じゃあ、戻ろうか」
充さんの言葉に俺は頷いて、改札に向かって歩き出した。
俺の……俺たちの新たな決意はすっかり田野倉にはお見通しだったようで、駅前に黒塗りの高級車が止まっているのを見た時は、充さんと大笑いした。
※※※
「今にも泣きそうな顔してたから、戻ってくるかなって思っていたら……本当に戻ってきましたね」
「……うるさい」
「副社長は大丈夫ですよ。唯さんのご飯以外は食べたくないとほぼ食事をとらず、三か月間ほどの睡眠不足がたたって、倒れただけなので。いい加減にご自分の年齢を考えてほしいですよね。唯さんがこれから一緒に住んでくれるそうなので、すぐに回復して、ぶくぶく太っていくと思います」
「田野倉……言い方」
充がぷっと噴き出すと、くすくすと笑い出した。
「ああ、一件だけ。これは伝えておきますね。副社長がしきりに血液検査をしてマッチングをしろって言っていた真相です。きっと陽真さまと充さんがマッチングすると信じていました。もし他の結果が出たときは、情報を改ざんして社長に渡せと弁護士に大金を握らせてましたよ」
「……え? 冬馬が?」
「副社長自身もう……結婚も番も諦めてたみたいです。唯さんに拒まれてたので。独り身の覚悟をしてたみたいですよ。今はどうだか知りませんけど。愛し合っている者同士が、きちんと向き合って、一緒になってほしいってこの三か月間、必死でした。まあ、改心したのは唯さんを愛したからみたいですけど」
「田野倉、サンキュ」
俺は運転している田野倉に礼を述べた。
「私は事実を述べただけです。実際に副社長を変えたのはあなた方三人ですから」
「教えてくれてありがとう」
俺は充さんと目を合わせると、手を重ね合わせた。
俺の知らない兄さんの姿。
ずっと勘違いをしていた。一族のために、優秀な後継者を残すために……充さんとの交際を無視して、新たな番候補を押し付けてくるのかと思っていた。
違ったんだ。
周囲を納得させるために、俺たちの愛を形に残そうとしてくれてたんだ。
「また兄さんの新たな一面が見れた」
「そうだね。陽真くんは知らないかもしれないけど……冬馬ってオメガには優しいんだよ」
「はあ?」
「僕たちオメガが仕事しやすいように仕事のシステムを変えてくれたんだ。冬馬は仕事を休めないのに、オメガには十分なほどの休みをくれるんだ。文句も言わずに。で、たいてい社長に怒鳴られて『アルファのくせに』って、陽真と比べられる」
「俺と? フリーターの俺なのに?」
「陽真のほうが優秀だって、社長の口癖」
「俺、就職したら父さんの前で、いっぱい失敗したろ」
それがいい、と田野倉まで楽しそうに返事した。
俺は兄さんの何を見てきたんだろうな。守ってくれてたのに。
「陽真くん、これからもよろしくね」
「ああ、充さんと一緒にいられて、幸せ」
ずっと傍にいたい。
どんなことがあっても、充さんと一緒なら乗り越えられる。
兄さんと唯さんと、充さんと……。
傍にいたい――。
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