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日記を書いた男

 薄暗く静かな洞窟には池とも呼べるような、天井部から染み出した雨水と湧き水が混じった水溜りと、大人が二人掛かりでも抱えきれない大岩がある。その暗さと凸凹とした地面を歩く不快感、そしてジメジメした空気を好む者は少なく、入り口も人目に付きにくい事から、洞窟の存在を知る者は少ない。もし仮に入り口を見つけようと、奥まで入って来たがるのは余程好奇心旺盛な冒険者か、何かから逃げてきた者だろう。  或いは、何か善からぬ事を企てる輩か―― 「その作戦でイケるんですかい? 万が一バレたら俺達全員、死刑は免れねえっすよ」 「やってやるさ。大丈夫だ。何せあらゆる事態を想定した十通りのプランがあるんだ」 「クックッ……これであの間抜けな王は死ぬ。濡れ衣を着せられた第一王子は軽くても幽閉。いや、謀反で斬首刑でしょう。次の王は貴方の傀儡である第二王子が玉座に就く。これで実質この国は貴方のモノになります。当然、成功すれば私どもも良い位に就けるんですよね」 「ああ、約束しよう」  大岩に偉そうに寄りかかている男はわざとらしく頷く。その男を取り囲んだ者達はそれぞれ欲望に満ちた表情で喜びの声を上げた。 「それで、決行はいつになさいます?」 「そう焦るな。王の即位十周年の祝いまでは皆気を張っているだろう。狙うならその直後だ。何事も成功の後は最も気が抜けるからな」 「御意に……」 「あァ、楽しみですねえ」  不穏な会議を終えたのか、男らは洞窟内に自分たち以外に誰もいないことを確認してから引き上げていった。秘密裏の会議だからか、誰も灯りを灯さなかった故、彼らの顔も瞳の色も確認できていない。  だが、話を聞いていたのは人間だけではない。 〈…………〉 〈…………〉  だが、この場から離れられない彼らにとっては王の危機など、どうでも良い事である。 〈聴こえましたか?〉 〈きこえた〉 〈あの者共の作戦は成功するのでしょうか?〉 〈どっちでもいい。いずれ、人は、しぬ〉 〈そうですね。まさか、私達が人の話を聞いているなどつゆ知らず、ぺらぺらと悪巧みを話している。それを聞いているときほど面白いことはないです〉 〈そうは、おもわない〉  ポチャン、と音を立てて楽しげに語る水溜りの水とは反対に、大岩は静かだった。そんな大岩の様子に不快感を示すこともなく、水は更に話を続ける。 〈人間は私達が言語を理解していることを知りません。私やあなただけでなく、炎も、植物も、太陽光も皆人間の話を聞いている。それが分からないのに何故、彼らは『加護だ』などと言って私達を意のままに操れているのでしょうね?〉 〈興味ない、から。みんな、じぶんのことだけ〉 〈そうかもしれませんね〉  ピチョン、と天井から染み出した雨水が水面に落ちた。  それから何度か日が昇って落ちてを繰り返した後の昼、土と血に塗れた男らが五人、洞窟に入ってきた。そのうちの二人は大きな木の枝を杖代わりにしてよたよたと歩いている。彼らは水溜りに集まり、その水が飲めそうなことを確認すると手で掬って、ガブガブと気が済むまで飲んだ。 「っはあ、生き返った」 「ここなら敵には見つからねえ。回復するまで待とう」 「助かった……もう歩けねえ」 「おい、座り込んで動けなくなる前に傷口を洗った方がいい」  何本の木の枝を使って作った松明を持つ、橙の瞳を持つ比較的元気そうな男が言った。その声で他の男らはそれぞれ腕や顔、足などを洗い流す。その後服を裂いて傷のに当て、僅かに残った食料を分け合って食べて、男らは揃って眠りについた。 日が沈み、再び昇ってから目が覚めた男らはまた少量の食事を取り、一人か二人で洞窟を出てはまた戻ってくるのを繰り返した。 「どうだ?」 「いや、まだ危険だろう。遠いが人影が見えた」 「そうか」  リーダー格らしい、一際体格の良い赤い瞳の男は他の者達のやり取りを聞きながら日記を書いていた。内容は誰にも分からない。水も大岩も言葉を聞くことはできるが、文字は理解できなかった。  やがて男らは回復し、自分らを負った敵もその場を去ったようだった。数人は洞窟を出て、戻って来なかったが、まだ負った傷が深く歩いて帰るのが難しい者は洞窟を出て行けない。比較的傷が浅かっただろうリーダー格の男は、そんな彼らの世話をするため、洞窟に残っている。  だが日記を書くだけでは暇になったのか、他の者が眠っている間、気まぐれに独り言を言うようになった。それは本当に独り言であったり、水溜りに話し掛けるような言葉だったりもした。 〈変わっていますね。あなた〉  水の声は男には聞こえない。だが、初めてこの洞窟に来たときによっぽど喉の渇きに苦しんでいたのか、男は何度も繰り返しこの水に感謝を伝えた。 〈もう聞き飽きましたよ私。何度目ですかその話〉 〈ありがとうは、聞いてあげて〉 〈一回聞けばわかりますって〉  そう言いつつも、大岩には水の声が嬉しそうに聞こえた。  やがて最後の一人が回復したとき、リーダー格の男も洞窟を去っていった。 〈さみしい?〉 〈いいえ。やっと静かになったと思いますよ〉  ところが、そんなに時間が経たないうちに、再び足を引き摺ったリーダー格の男がやってきた。男が持っているランプのお陰で洞窟の中は一気に明るくなる。 〈なにしてた?〉  以前と同じように、男は傷口に付着した泥と血を水で洗い流した。 〈全く、今度は何をしたんですか? そんなに頻繁に怪我していたらあなたそのうち死にますよ〉 「えっ? だ、誰だ?」 〈えっ?〉 「は?」  男はきょとんとした顔であたりを見回し、水も驚いて黙った。 「誰かいるのか?」 〈私ですよ。あなたの目の前の水です〉  男はランプで水溜りを照らした。水は男に挨拶をするように水面を揺らす。 〈あなた達、私の声が聞こえているんですか?〉 「あ、ああ。聞こえる。どういうことだ? 前は全く聞こえなかったのに」 〈さあ? それで、あなた何でまたそんな怪我をしたんですか?〉 〈きになる〉  リーダー格の男はオーウェンと言うらしい。オーウェンは自分がここに来た経緯を話した。民間人の自分は王国騎士団には入れなかったが、この国が好きで、同士と共に近隣国と民間人との諍いを鎮めているのだと言う。それは話し合いで収まるような、ちょっとした言い争いから、命がけの戦闘のときもある。最近は近隣国からの侵入者(スパイ)が多いらしい。自らの正義に忠実に生きる自分は正式に国を護る騎士団に入りたいと、何度もしつこく打診しているが、王都から見れば自分もも野蛮人の一人だと言われたと話した。 〈オーウェン、王様、すき?〉  大岩の声は残念ながらオーウェンに届かなかったらしい。水は大岩のために先程の言葉を繰り返した。 「ああ、好きだよ。最近の道の整備も、俺達みたいな庶民の声を聞いて始めたらしい。先代王がたんまりと徴収して貯め込んだ税金を活用したんだと」 〈そうですか〉 「何かあったのか?」  水は、以前ここで開かれた不穏な会議の話をした。 「なんだそりゃ、誰だそんな事を言ったのは?」 〈わかりません。『第二王子は傀儡、この国は貴方のモノに』と言っていました。王や王子に最も近い人物でしょうね〉 「分かった。聞かせてくれてありがとう」 〈どうにかする気ですか?〉  オーウェンは答えなかった。水の声を無視したと言うよりも、聞こえなかったかのような雰囲気だ。 「もし他にも何か分かったら教えてくれないか?」  オーウェンの問いに、水溜りは〈ええ〉と答えた。しかし、オーウェンには届いていない。オーウェンは首を捻り、そして立ち去った。  それから、オーウェンは何度かこの洞窟にやってきた。水が話し掛けて返事があったのは、決まってオーウェンが流した血を水溜りで洗い流したときだ。それに気付いたオーウェンは事細かにその日までの出来事を日記に書き記した。 「血の繋がり、ってやつかね?」 〈そうかもしれませんね〉  水はオーウェンが来るのを楽しみにしていた。たまに大岩に〈次に日が沈むまでに来ると思いますか?〉と聞く。大岩も水が楽しそうに水面を揺らすことを喜んだ。  何度目かの来訪の時、オーウェンは厳しい顔をしていた。 〈その凛々しい顔も素敵ですが、どうしたんです?〉 「いよいよ明日、王の即位十周年の祝日だ」 〈そうですか〉 「つまり明日が俺達にとって決戦の時だ。明後日、奴等の作戦が決行されるのを何としてでも止めなくてはならない」 〈そんなに大事ですかね?〉  ポチャン、と水溜りは音を立てた。 「今の王は国民の事を考えてくれる良い王だ。玉座を奪われるのは俺達の生活を脅かされるのと同義だろう?」 〈そうなるでしょうねえ〉  それでもやはり、水はオーウェンの行動を理解できなかったようだ。オーウェンが目の前の自分よりも明日の事で頭がいっぱいなのが不満らしい。ポチャン、ポチャンと続けて音を立てて水滴を作っては宙へ放り、水面に落とす。 〈あなたがどうしようが私には関係のないこと。せいぜい頑張るといいですよ〉 「ああ、そのつもりだ」  オーウェンは手で水を掬い、飲んだ。 「相変わらず美味いや」 〈そうでしょう。頻繁に怪我をするどこかの誰かさんの傷を洗浄する為に、自力で浄化していますから〉 「ありがとよ。じゃあな」  オーウェンはニッと歯を見せて笑い、洞窟を出た。  それから、何度日が沈んでは昇るのを繰り返しても、オーウェンは姿を見せなかった。 〈まあ良いでしょう。きっと大役を果たしたのですから、きっと私の事などすっかり抜け落ちているんですよ〉  そう言う水の様子は少し寂しそうだった。少し前までは、オーウェンが来るのを今か今かとそわそわと待っていたが、最近は諦めたような口ぶりだ。  更に時間は流れ、大風が吹いたある日のことだ。風に乗って流れ込んで来た一枚の落ち葉が、第二王子の即位とオーウェンらの死を伝えた。 〈大岩よ〉  オーウェンの訃報を聞き、日が2度沈んでもなお黙っていた水がやっと声を発した。 〈私がしたことは、間違っていたのでしょうか?〉 〈わからない、今は〉 〈…………〉  それ以来、水は沈黙した。底が見える程に澄んでいたが、今では誰も飲もうと思わない程に濁っている。  それから長い長い年月が経ったある日、赤い瞳の少年がやってきた。少年は大岩に寄り掛かって座り、誰に聞かせるでもなく心の内を吐き出す。 「クソッ、何で皆赤い瞳ってだけで悪人扱いすんだよ!」  少年はこの場所を隠れ家にでもしたのだろうか。頻繁に洞窟にやってくるようになった。だが動けない、声も届けられない大岩には何もできなかった。  けれど、大岩の心境など知らぬまま、赤い瞳の少年は青年になってもなお大岩に話し掛け続けた。楽しい話もあれば、辛い話もある。だが「これは家族にも言わないから」と話してくれるのは嬉しいと感じた。 〈人は、入れ替わっても、れきしは、めぐる?〉  大岩は今日も青年の話を聞いている。水の後悔を忘れてはいない。それでも、いつか自分の声がこの青年に届けば良いと思った。

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