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【2020/04 回帰】

初めて来たはずなのに、なんとなく既視感を覚えた。もしかしたら忘れてただけで、一度くらい訪れたことがあったのかもしれない。 ここは嘗て父の職場だった。今日からは自分の働く場所になる。 おれは中高と続けていた部活を引退した直後、或る問題が浮上し、特待生として入学が決まっていた学校への進学を断念した。 その後父の進言で警察官採用試験を受け、警察学校の初任科研修と交番勤務を経て離島に勤務していたが、都心に戻された年に漸く狙っていた鑑識官試験の受験募集がかかり、チャンスが巡ってきた。 父はここ高輪署の刑事課(この署では刑事組織犯罪対策課)の刑事だったが、自分は父と違い高卒で採用になった身で、もし昇進時に志願しても刑事としての採用確率は低く難しいと言われていたため、同じ刑事課で、捜査に携わることができる鑑識官を目指していた。 全く予定にはなかったことではあったものの、父と同じ警察官となったことも、鑑識官採用試験合格後、警察大学校での専門課程を修了して配属先が父が最後に勤めていた署になったのにも、偶然ではなく何か意味があるようにさえ思える。 但、その父は5年前に膵炎で急死した。原因の半分以上は自分が起こした或る問題にあると、今も思っている。 だからこそ、今度こそは、おれは道を踏み外すことなく職務を全うし、父に報いなくてはいけない。 「飯野さん、おはようございます」 入口傍のベンチに腰掛けている厳めしい顔の中肉中背の壮年男性に声をかけた。 彼は父の嘗ての部下だった。父の葬儀のときは勿論、何度かうちに来たこともあり面識がある。現在は課長であり、今日から上司ということになる。 「思ったより早いな。どう、ここは坂ばっかだしバスじゃないと来るの地味に大変だろ」 思いの外やさしい柔らかい口調で言いながら、手を差し出す。その骨張った手をそっと握った。 「今日からよろしくお願い致します。おれ、体力だけはあるんで問題ないです。」 「まあそうだろうけどさ、夏場は結構キツイぞ?」 和やかな雰囲気の中、朝礼まで署内の案内を受ける。行く先々で「あぁ、あの長谷さんの」と声をかけられた。中にはおれの学生時代を知る人もいて「立派になって」と仰り、涙する人もいた。 その言葉に、感謝や喜びよりも先に、頭の芯が冷えて心臓にまで冷たい感覚が走る。 絶対に、過ちを繰り返してはならない。 「一昨年の警視庁の鑑識官登用試験に合格し、昨年度の専門課程を経て本日より高輪署に配属になりました、長谷久秀と申します。父の英明の存命中には、大変お世話になりました。一部の方はご存知かとは思いますが、何分父の足下には遠く及ばぬ不束者ですので、何卒、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。」 朝礼で、辞令が読み上げられ、訓辞を受け、今後差し障りの無いよう出来るだけ丁寧に挨拶をして、所属の課に入った。 「長谷、っていうとアイツ呼ぶみたいでなんか変な気分だな。」とボヤいて、飯野さんが笑う。 「長谷、ちょっと来な。提案があるんだ」 窓の前の、机上に”課長”と明記された札の立つデスクに近づくと、鑑識官として必要な書籍やプリントの束が積まれており、更にその上には封筒に入れられた文書があった。 「付き合いのある解剖医にもし新人が来たら暫く見学させてもらえないか打診してたんだが、なんとかOKが出たんだよ、そいつについていれば監察医務院での行政解剖と医大の法医学教室で司法解剖、両方見れるけどどうだ?自ら志願したくらいなら興味あるだろ」 父のお陰もあるだろうが、あまりにも幸先が良すぎないか? そうは思いつつも二つ返事で有難く受けることにした。 「ちなみにソイツ、そこの准教授なんだけどさ、今は医大の教員と監察医務院の臨時でやってるけど元々が東大の出でガチの研究者でな、現職の教授の後釜候補なんだよ。実家の病院の役員もやってるから多忙だし、本人はどう思ってるか知らんけど、実際港区一帯とか監察医務院でおかしな事案あるとソイツの名前が真っ先に上がるくらいだから、勉強にはなると思うんだ…但、なあ…」 最後の1センテンスだけ間をおいて、溜息混じり気味にボヤく。 「ちょっと変わってるんだよな…」 様子を窺うようにおれの顔をじっと見る。 「大丈夫ですよ、できる人ってどっかしらおかしいのデフォだと思ってますし。そもそも、おれも決して真っ当な人間ではありませんから」 誇張も謙遜もせず答えると、「お前、人当たりがいいというか、人たらしっぽいしな」と言い当てられた。 「まあ、そうなんですよね。そうじゃなかったらここまで残れてなかったかもしれないですし…まあ逆にこんなんじゃなかったらあんなことにならなかっただろうなと思うこともありますけど」 正直、この性質には良くも悪くも振り回されてはいるのだけれど。 「じゃあ週明けから行けるように準備しとくから、それまでは班の指示で座学研修受けて待っててくれ。…あ」 指示の途中で不自然に話が止まる。 「ソイツ、お前と父親のこと、多分知ってるよ」 仕事上の付き合いのことだから言わなかっただけかもしれないが、少なくとも父からもそんな知り合いがいるとは聞いたことがない。おれ自身も知らない。 「そうなんですね、じゃあ行ったらちょっと訊いてみます」 無難に答えたつもりだった。しかし飯野さんの表情が急に硬くなる。 「や、それはやめておいたほうがいいと思う」 「何故ですか」 「今のはおれが悪い、一旦忘れてくれ」 その後、何度も遣り取りはしたものの、飯野さんから再度その話が出ることはなかった。 受け取った研修先の案内には「担当:准教授:藤川 玲」と書いてあった。 用便の序でに、スマートフォンで大学の名前と本人の名前を併記して検索してみたが、画像は男女どちらもヒットした。画像からウェブサイトのリンクを開くと大学のウェブサイトにつながり、男性であることはわかった。 しかし外見が統一されておらず、どれが本人なのか判然としない。 そして下の名前の読みが「れい」なのか他の読みなのかがわからない。 学者なら論文があるはずだと思いグーグルScholarやCINIIを検索すると、著者名にAkira Fujikawa(Akimasa Odaka)と記載された論文が複数あった。 また、大学の法医学教室のウェブサイトにはこうあった。 藤川 玲 ふじかわ・あきら、男性、43歳。 ※2019年度末現在 1975年11月26日、長野県生まれ。 公立中学卒業の翌年に大検取得、その翌年17歳で東大の文科三類に合格、文学部行動文化学科に進み、2000年(25歳)同大学院博士課程にて心理学研究室にて博士号取得、単位取得退学。専門は「心理的外傷による解離性健忘の脳生理学的発生機序の分析と、新たに自己同一性を獲得するための回復アプローチ」2002年(27歳)に本学医学部に入学、精神医学講座にて学部生時代から取り組んでいた東大時代の研究の続きに取り組みながら2008年(33歳)医師国家試験合格。翌年、同大学院修士課程を経て博士課程にて複数の論文で博士号を得たが、指導教授の進言により最終年度の2013年法医学に転向、修了後に本学法医学教室入局、現職の寺山教授に師事。並行し社会医学系講座で助教を2年、講師を3年担当。本年度より本学医学部法医学教室准教授として勤務。併せて東京都監察医務院非常勤職員兼講師。医療法人藤桜会理事。 とりあえず、びっしりと詰められた文字列からは、名前の読みと、とにかくはちゃめちゃに頭がいい人なのであろうということと、実家も裕福なんだろうということはわかった。 研修先の学校の情報も前もってもらえたので概ね把握した。 これからどのようなことを行うのかも座学研修中に先輩方に概ね教わった。 ただ、自分が教わる先生がどんな容姿のどういう人物なのかは、いまいちよくわからないまま、当日を迎えた。

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