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【Ἔρως(Erōs)】⑤ (*)
風呂上がり、軽く掃除することを申し出たら先生は「じゃあお願い、先に寝てるけどいい?疲れた」と言って、バスタオルで軽く全身の水気を拭くとそのタオルを洗濯機に放り込んでそのまま出ていった。そういや、服は部屋に脱ぎっぱなしだった。
掃除しながらおれは先生が言っていた言葉を思い出していた。
『おれもね、終わるまではダメだ、あくまで仕事として全うしようって思ってたよ。でも気が変わった。なんでだと思う?』
なんで?全然わからない。わざわざあんな痕見せつけてきたのも、急に先生がおれに甘えるようになったきっかけもわかってないし、なんで住みたいって言われてそんなあっさりOKしてくれたのかもわからない。
『長谷はおれのこと知れば知っただけ幻滅すると思う、そうはならないよ』
それはあの事件のことなんだろうか。あれが本当に先生に関わることかわからないし、全貌をまだ知らないからなんとも言えないけど、でも、あれらが事実だとしたら先生は被害者だろう。知ったからって幻滅するような要素なくないか?
擦り洗い終わった浴槽や浴室の床をシャワーで洗い流す。スキージーで天井や壁面の水滴をざっと落として、浴室乾燥をセットし、バスタオルで体を拭いて腰に巻いて部屋に戻った。
はて。自分の服だけならともかく、先生の服もそのままなのだがどうなってるのか。拾い上げて、ソファの向こうのカーテンをそっと開けて覗くと、バカでかいベッドの向かって右側の端っこで先生が小さく丸まって寝息を立てているのが見える。
ベッドの大きさは、多分クイーンサイズ。しかもご丁寧にセミダブルのマットレスを2枚敷いてある。掛けてあるものも枕やクッションもすべて全部2組ずつある。サイドテーブルもその上のランプも2つ。
右奥にクローゼットがあるのに合わせて窓側も観音扉が付けてあり、同じようにリビングと同じように天井全体には布がかけてあり、天井からは更に大小色とりどりのモザイクガラスのランプが飾ってあり、ベッド周りに天蓋がある。ほぼ左右対称の部屋。
床はモロッカンタイル風の青系の模様で統一したのクッションフロアで、壁も同系統の緑がかった紺。ベッド周りには毛足の長い焦茶色のラグが敷いてある。寝具もすべて焦茶色で統一してある。
先生、あまり家にはゆっくりいないと言うわりに、めちゃくちゃ住環境のこだわり強い。言動といい、いろいろと支離滅裂な感じがする。
カーテンを閉じてしまうと本当に真っ暗になりそうだったので、少し開けた状態で寝室に入り、忍び足で近づいて声をかけてみた。
「先生、寝るとき服着ないんですか」
むにゃむにゃ何か言ってるけど顔が全部隠れるくらい布団に埋もれてしまっているので音が布団に吸収されてさっぱりわからない。何か着てるのか着てないのかもわからない。とりあえず持っていた服を畳んで、サイドテーブルの下の棚に置いた。
「そんな端っこで寝たら落ちますよ、せっかく広いのに」
反対側に回り込んで、もう1組の布団は無視して、先生が入っている布団に潜り込む。手を伸ばすと先生の背中の素肌が触れた。抱いたときにも少し思ったけど、ちょっと肩甲骨周りやお尻の上に乾燥してるところがある。傷痕もたくさんあった。
何か塗ってあげたいけど、寝てるの起こしてまではなあ。とりあえずパンツは穿いてあることが確認できたからいいか。
先生の体の下に手を入れて、脚に脚を引っ掛けて、なんとか落ちる心配がないくらいの位置まで引っ張る。先生が脚で布団や毛布を挟んで巻き込んで寝ているので一緒にそれらも引っ張り上げた。
そのまま後ろから密着して先生の後頭部に顔をつけて、脇腹に手を添える。ひどく冷えていたので爪先に脚を当てた。余程疲れてしまっていたのか、まったく反応することなくスヤスヤ眠っている。
まあ、そりゃあ3回もしたらそうなる。しかも出血させてしまった。布団に埋もれて寝るのは元からなんだろうか。悪寒がするから、だったらどうしよう、熱を出したりしないだろうか。
「先生、寒くないですか」
声をかけると、しがみついていた寝具を手放してこちらに寝返りを打ち、片目を半目開けて「長谷、体温高い」と言っておれに抱きついてきた。
「寝てたんじゃないんですか」
「うとうとはしてたけど寝てない」
背中に手を回してゆっくりそっと、一定のリズムで叩く。
「疲れててもいつもそんななんですか」
「寝れるときもあるけど、3時間位で起きちゃうんだよ」
眉根を寄せ、おれの胸元に顔をくっつける。
「先生、まだ寝ないんだったら背中の乾燥したとこなんか塗りますよ、あと、服着て寝てください」
「いいよめんどくさい」
もう目を閉じて入眠モードだ。
「だめですよ、せっかくすべすべなのに荒れたまんまにしたら可哀想でしょ、あと、おれにくっつくくらいには寒がってるじゃないですか」
目を開けて顔を上げておれの顔を見る。
「可哀想って誰が?」
「先生が」
「結腸ぶち犯して怪我させといてからに?」
「いや、それは本当にすみませんですが…」
口籠っていると、ふふ、と小さく笑って、ころんと寝返りを打って俯せになった。
「やってくれるならやってもらおうかな、洗面台行ったら一通り置いてあるから持ってきて。あとトイレの棚にある箱も持ってきて薬入ってるから」
まったく先生は素直じゃないな、などと思いながら脱衣所に向かい、洗面台に並べてある化粧品を手にとった。案外プチプラというか、余計なものが入っていないシンプルなものと薬品メーカーのものがが多い。
無印の化粧水、ベビーオイル、白色ワセリン、ヒルドイトクリーム、ヒアルロン酸原液とセラミド原液、オバジC25セラムNEO、ハイドロキノン原液とレチノール原液…他にも外用薬のチューブが数本。何がどういうものなのかおれにはよくわからない。とりあえずこの箱ごと持っていけばいいか。
あとはトイレにある薬箱って言ってたので、トイレットペーパーホルダーの下の棚にある箱を開けたらいろいろ外用薬のチューブなどが入っているのを確認してこれだなと思い一緒に持って寝室に戻った。
「先生、戻りましたよ。色々有りすぎて何塗ったらいいのかわかんないんで指示してください」
「背中だったら化粧水、ベビーオイル、乾燥ひどいとことか傷痕残ってるとこにヒルドイト塗ってワセリンでいいよ、痣できてるとこはペリドールってやつ塗って」
窪ませた掌に化粧水を貯めて、少し温めてから手に馴染ませて背中の乾燥した辺りにその手を載せた。
「ひ、冷た」
「一応手で少し温めてますよ、どうします?チンしてきましょうか?」
「やけどさせる気か?」
「はは、冗談ですって」
乾燥した部位が柔らかく感じるまでそのまま手を当てて待ってから、今度はベビーオイルを数滴手にとって、同じように手のひらで温めて馴染ませてから化粧水を馴染ませておいた箇所を撫でた。
「…やっ…長谷、やだ、触り方やらしい」
「なんつー声出すんですか、何も性的な意図はないですって…先生くすぐったがりすぎですよ」
よく見ると肘から先や膝から下も割と乾燥して妙に皮膚の質感が違って見える。全身やっとくに越したことはなさそうだ。少しずつ化粧水とベビーオイルを手にとって、繰り返し少しずつ全体をケアする。繰り返しになるが、まったくもって性的な意図はない。
しかし、さっきから先生ときたらずっと、事の最中でさえ割と大袈裟にアンアン言わない人なんだなと思ってたのに、今はゲームしていたときと同じくらいうるさ…。いや、ほんとにうるさい。ずっと悩ましい声で何か言ってる。
「やっ、だめ」
「ふぁ、んっ…」
なんだこれ。無駄にいけないことしている気持ちとムラムラがおさまらないんですが。
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